赤月帝国の帝都、グレッグミンスターの陥落と、赤月帝国最後の皇帝、バルバロッサ・ルーグナーの居城だった、グレッグミンスター城の落城を以て、トラン解放戦争に勝利し。

新しく出来た己達の国、トラン共和国の初代大統領となってくれる筈だった、解放軍軍主、カナタ・マクドールが、終戦の夜、皆の前から忽然と姿を消して。

それより、数週間程が過ぎた頃。

周囲の後押しに従って、いなくなってしまったカナタの代わりに、もう間もなく、トラン共和国初代大統領に就任する予定のレパントは、あの、最後の戦の最中、炎に包まれはすれども、崩れ落ちることなく残り、大統領府とすべく、人々の手による改装が施されたグレッグミンスター城の一室で、一通の、手紙を読んでいた。

それは、数日前、あの戦争を共に戦った、老医師リュウカンより手渡された手紙で。

戦争が終わって暫くの間、忙しそうにしていた老医師は、ここの処、余り人前に姿を見せなかったのに、急に、改装が終わったばかりのグレッグミンスター城へやって来て、もしも、カナタ殿以外の誰かが、新しく出来るだろう国の、初代の統治者になったら、その者に渡して欲しい、との『遺言』と共に、マッシュより託されたから、と、それ以上のことは何も言わず、レパントの手に、今は亡きマッシュよりの書状を押し付けるようにして、さっさと帰って行った。

だから、あの戦の終わり、この世を去ってしまった仲間よりの手紙とは、一体何だろう、と。

レパントは、愛妻・アイリーンさえも部屋から追い出して、一人、その手紙に目を落としていた。

今、この手紙を読まれている方が、一体何方なのか。

私には判りません。

もしもこの手紙が人目に触れることがあるのだとしたら、その相手は恐らく、レパント殿か、ウォーレン殿、辺りではないかと思いますが。

……兎に角。

カナタ殿が、我々の故郷に新しく起つだろう国を捨てて、何処へと去られて。

あの方の代わりに、新国の統治者となられる、『戦友』の『貴方』へ。

『貴方』がこれを読まれている時、もう既にこの世にはいないだろう私の、遺言……という訳ではありませんが、お願いしたいことがあります。

多くを語らずとも、『貴方』はもう、様々な事情に気付いているでしょうから、端的に記します。

この手紙を『貴方』が読まれている今、未だサンチェスが、処罰を待っている状態であるなら、何も言わず、彼を、放免してやっては貰えませんか。

バルバロッサ皇帝や、赤月帝国への忠誠を捨て切れず、己が責務を果たし切ると言うなら、他の誰でもなく、私に刃を向けて下さいと、サンチェスに頼んだのは私自身です。

彼がそうすることを、私自身が望んだのです。

帝国の間者だった彼を、黙って放免することは、風当たりの強いことだと思いますし、納得する者も少ないでしょうから、秘密裏に、という形で構いません。

何とか、彼を放免してやっては貰えませんか。

大層な骨折りを求めていると、そうは思うのですが。

どうか、聞き届けてやって下さい。

私は彼が帝国の間者であることを、シャサラザードに攻め入る以前から、知っていました。

全て判っていて、彼を捕らえることも、罰することも、せずにいました。

私がサンチェスに伝えたことは、カナタ殿へ刃を向けるつもりがあるなら、代わりにそれを私に向けて欲しい、ということだけです。

……何故、私がそんなことを、サンチェスへと言ったのか、『貴方』は理解して下さらないかも知れません。

でも、私はこれで良かったと、そう思っています。

あの戦争を戦い抜いた私達、『戦友』の全てが、『夢』を見て止まなかったカナタ殿の為に、私に出来る最後のことを、したまでです。

最初から、あの方の代わりに命を落とすつもりがあった訳ではありませんが、カナタ殿の為の、最後の盾が必要だと言うなら、私がそれになろうと、私は思っていましたし、カナタ殿の為の最後の盾に私がなることあるとしたら、本当の意味で、あの方の為に、『私に出来る最後のこと』をしようと、そうも思っていましたから。

…………これから私が綴ることは、誰も、知らぬ話です。

私と、カナタ殿の二人しか、知らぬ話です。

──私は以前、あの方に、問うたことがあります。

これで、本当に良かったのだろうかと、自分自身へと、問うことはあるか、と。

そんなことを問うた私に、カナタ殿は、逆に問い返しました。

これで、本当に良かったのだろうかと、自分自身へと、問うことはあるか、と。

そして、そんなやり取りをした最後、カナタ殿は私に、約束をしてくれました。

自分自身の想いと、自分自身の願いの為に、己の手で荒野あらのを生み出すことを厭わない。その荒野が、トラン全てに広がっても、後悔などしない。

でも、その代わり、荒野の果てにあるモノ、それを見て、それを必ず還す、と。

そう言いました。そして私にも、約束を迫りました。

この約束を、何時か必ず果たすから、何時の日かやって来るかも知れない、『これで、本当に良かったのだろうかと、自分自身へ問う瞬間』、その時が来ても、後悔は覚えないで欲しい、と。

…………そんなことを、臆面もなく告げられるカナタ殿は、とても、不幸な方です。

私達が、カナタ殿の中に『夢』を見ること、私達の為に、カナタ殿が『夢』を見せようとすること、その、何も彼もが。

カナタ殿の、『総て』が。

あの方の負った、不幸です。

私は、そう思います。

……ですから、私は、『私に出来る、本当の意味での最後のこと』を、しようと思ったのですよ。

──カナタ殿と、そんな約束を交わしても、今、こうして書状をしたためているこの瞬間も、そして恐らくは、死に逝く瞬間も。

実の処私は、己自身に問い続けています。

私はこれで、本当に良かったのだろうか、と。

……後悔など、所詮は虚しいだけのものです。過去を振り返るのは、無意味です。

ですが、それをするのも人のあるべき姿です。私は、そう思います。

だから私は、私は本当にこれで良かったのだろうかと、自分自身に問い続けることを、止めようとは思いませんし、それで良いと思っています。

…………けれど、あの方は、後悔を『認めない』。

決して、振り返ろうとはしない。

何を捨てても、誰を捨てても、自分さえ切り捨てても、あの方は決して後悔しようとしないし、振り返ろうともしない。

父上の為に荒れ野を生んで、親友の為に荒れ野を生んで、我々の為に荒れ野を生んで、祖国の為に荒れ野を生んで、けれど、己自身の為には、荒れ野一つも生み出せないのに。

……………………ですからね。

私は、この道を選んだんです。