まるで、楽しい遊びにでも出掛けて来たかのような、些細な冒険を終え、白鹿亭へと戻ったら、ヒルダが、高熱を出して倒れてしまっていたので。

それまでの、気楽な風情を彼等は捨て、忙しなく、働き出した。

ナナミは、グレミオと共にヒルダの看病を始め。

彼女に命じられてジョウイは、医者を捜しに飛び出して行き。

アレックスは、「お母さんが!」と泣き出した息子のピートと、ピートに釣られて泣き出したピリカを宥めるのに追われ。

庭先の井戸から水を汲みながら、どうしよう、と暫し狼狽えた後、カーラは。

…………あ、と。

何か思い当たったように、宿を抜け出し。

慌ただしく駆けて行ったカーラの後を、おや? とユインは追った。

「……カーラ? どうかした?」

慌てた素振りで外へと出て行ったカーラを追い掛けてみたら、彼が向かった先は、先程出て来たシンダル遺跡の入口で、その片隅に踞った彼へ、ユインは声を掛けた。

「あ、ユインさん。……もしかしたら、これ、効くんじゃないかって思って……」

「……ああ。『お宝』の、薬草?」

「はい」

背後から掛けられた声に、カーラは、こんな物を求めていた訳じゃないのにと、遺跡の奥で見付け、がアレックスがそこに打ち捨てた、薬草を手に立ち上がる。

「…………そうだね。試してみる、価値はあるかも」

「はい。効かないかも知れませんけど。駄目元かな、って思ったから」

パン、と膝に付いた土を払い、自分の方へ歩いて来たカーラと、彼の手の中の薬草をユインは見比べ、干された草を、大事そうに抱えて歩き出したカーラと肩を並べた。

「……本当は」

「ん?」

「…………本当は、一寸だけ。折角宿したんだからーって、紋章──あの魔法使いの女の人は、『輝く盾の紋章』って言ってた、この紋章に、こっそり祈ってみたりしたんですけど。やっぱり、駄目ですよね。紋章は、病気までは治してくれないんですよね。……二十七の真の紋章の片割れ、って言っても。中々、思うようにはなってくれませんね」

「……そうだね。魔法を生んでくれる紋章は、とても便利な物だけど。何時も何時も、僕達が望むような結果を齎してくれるとは、限らない」

「ですよね……。そんなに都合の良い話なんて、ないですよね……。──強くなれたり、大切な人を守れたり、誰かを助けられたり。……そんなことが、もしも出来るんならって。そんなことをする為の、助けになるんならって、思った部分もあって。紋章、宿してみたんですけど。…………上手く、いかないなあ…………」

────黄金にも勝る、宝物のように。

大事に大事に薬草を抱えるカーラと並んで歩き出して、彼が、世間話の延長のように言い出したことに、耳を傾けていたら。

未だ、紋章、という存在のことも、二十七の真の紋章、という存在もののことも、良く理解していないカーラの言葉が、そんな風に続いたから。

「二十七の真の紋章、は…………」

ユインは、柳眉を潜めた。

「……やっぱり、何か知ってるんですか? ユインさん」

「…………知っている、と言うか。………………噂、に……聞いたことがあるんだ。二十七の真の紋章は、人が扱うには強大過ぎて、厄介過ぎる、って。……うん。噂、だけど…………。……だから、カーラ? その……」

「はい?」

「……気を付けて、ね? 余り、良い噂を聞いたことがないんだ、その……真の紋章って奴に関しては。強くなりたい気持ちも、大切な人を守りたい気持ちも、誰かを助けたい気持ちも。良く、判るけど。……それで、君が厄介を背負い込んでも、楽しくないだろう……?」

どういう訳か、渋い顔付きになって。

二十七の真の紋章は、と言い出したユインの顔をカーラが覗き込めば、ユインは曖昧に笑って、噂に聞いただけだ、と告げながらも。

不意に、立ち止まり。

強く、カーラの両肩を掴んで、自身へと向き直らせ。

「ユインさん?」

「噂、は……噂でしか、ないけれど……。──カーラ、気を付けて。二十七の真の紋章の力は、とても強大で、人には過ぎる、厄介な物なんだ、って。忘れては駄目だよ」

驚きに目を見開いたカーラの、琥珀色の瞳を覗き込んで。

漆黒の瞳に、この上もなく真摯な色を乗せて。

ユインは、カーラに言い聞かせるように、語った。

「…………? 変なユインさん。どうしちゃったんですか? そんな怖い顔して。大丈夫ですよ、噂は噂でしかないんでしょう? でも、ユインさんがそんなに心配してくれるんなら、気を付けるようにしますね」

けれどカーラは、何故、ユインがそんな態度を取ったのか、知る由もないから、不思議そうに笑って、はい、と、気楽に答えるだけだった。

ひょっとしたら、との、カーラの想像通り、持ち帰ったシンダルの薬草は、素晴らしい効力を発揮して、瞬く間に、ヒルダの高熱を下げた。

それ故、明くる朝にはもう、彼女は起き上がれるようになっていて、カーラ達は無事、アレックスよりミューズの通行証を借りることが出来。

「わーい、これでやっと、ミューズに入れるね! ビクトールさんやフリックさん達に早く会って、これから先、どうしたらいいのか相談に乗って貰わなきゃ」

借り受けた通行証を片手に、再びナナミははしゃぎ出した。

「………………ビクトールに、フリック…………?」

と、はしゃぐナナミから飛び出た二名の名前に、ピクっとユインが反応を示した。

「あれ? ユインさん知ってるんですか? ビクトールさんとフリックさんのこと」

何処となく、マズい、という風な表情を浮かべて、ナナミが洩らした、ビクトールとフリックの名前をなぞったユインへ、カーラが問いを放った。

「まあ、知らない仲……じゃないんだけど。以前、すこーしだけ一緒に戦ったことがあると言うか、ないと言うか……。────グレミオ」

だがユインは、カーラの問いを、適当な言葉で誤摩化し、ちょいちょい、とグレミオを手招くと、彼の腕を引いて、部屋の片隅へと向かう。

「……………だから。……した方が良いだろう?」

「でも、坊ちゃん、それはですね……──

──今更、ミューズに行かないなんて言えないだろう? あの二人の名前が出たからって………………──

「ですけどっ。私一人で……──

「ああ、もう。兎に角っっ。グレミオ、お前は先に家に戻れ。後で連絡するからっ」

ぼそぼそ、ごにょごにょ、カーラ達には聞こえぬ程度の小声で、ユインはグレミオと、何やらを言い争い、四の五のとやり合った後、くるっと微笑みながらカーラを振り返り。

「カーラ。一寸ね、グレミオが、別の用事を思い出したそうでね。彼はここから、引き返すって。……あ、でも僕はこのまま、ミューズまで行くつもり。……いいかな? それでも」

酷く不服そうにしているグレミオに、口を挟ませる余地を与えない風な早口で捲し立てた。

「え、お別れなんですか?」

だがカーラは、ユインとグレミオの、少々おかしい様子にも大した疑いを抱かず、寂しそうにグレミオを見上げる。

「いえ、その……。ぐっ……────……はい、そうなってしまいます……」

そんなカーラへ何やらを言い掛けたグレミオは、脇腹をユインに小突かれて、引き攣った笑みを浮かべながら、別方向へ旅立つ、と言った。

「でも、又お会い出来ますよね? あ、僕、手紙書きます! 後でユインさんに、お家のこととか色々、伺ってもいいですよねっ」

すればカーラは、何処までも、何も一つとして疑うことなく、手を振りながらグレミオへと別れを告げ。

「……坊ちゃん、早く連絡寄越して下さいね……?」

カーラへは、手を振り返しながら。

ユインへは、恨みがまし気な視線を送りながら。

ミューズへと向かう彼等を、見送る風にし始め。

「じゃあ、行こうか」

「はいっ」

これ以上、何も言われぬ内に、と思ったのだろう。

ユインは、カーラを促しそそくさと、白鹿亭を、出て行った。