借り受けた通行証を使って、ミューズの街へと入れると、喜んだのも束の間。

再び、ジョウストン都市同盟の盟主市の、市門を目の前にしてカーラ達は、頭を悩ますことになった。

アレックスの通行証には、当然、と言うか、当たり前、と言うか、彼や彼の家族の名や年齢、関係等々が記載されており、が、一行の中で一番年嵩らしい雰囲気を持つユインでさえ、アレックスの年齢である、三十六、というそれには到底及ばず。

化けて誤摩化す、と言ったレベルですらなく。

彼の妻、ヒルダと、唯一性別を同じくするナナミは、やはり、何処からどう見ても、二十代後半の人妻、と言うよりは、田舎から出て来たばかりの、未だ未だ子供でしかない少女、にしか見えないから。

「さて、どうしようか」

言外に、無用の長物なんじゃないのかなあ、これ、との気配を漂わせながらユインは、市門の前で腕を組んだ。

「え、平気ですよお! 私、演技は上手いんですから!」

だが、ユインの思案を他所にナナミは、大人の女を演じ切れるっ! と言い張り。

「えーとー。ユインさんに、アレックスさん役をやって貰ってー。私がヒルダさんになってー。ジョウイ……よりはカーラの方が子供っぽいから、ピート君がカーラでー。ジョウイとピリカちゃんは、親戚の子供ってことにしてー。……うん、これでばっちり!」

彼女は勝手に配役を決めて、カーラ達が止めるのも聞かず、ずんずんと、門兵の眼前に立ちはだかり、鼻高々に、通行証を差し出した。

……が、本人の申告には沿わず、殊の外下手だったナナミの演技は固より、端から、アレックスに扮するつもりなどなかったらしいユイン、僕が二人の子供って言うのには無理があるー、とそっぽを向いてしまったカーラ、ユインとカーラが、演技もナナミのフォローも放棄した所為で、仕方なく、ナナミを取りなそうとしたジョウイ、では。

そうか、と門兵が、頷いてくれる筈もなく。

至極当然の成り行きに従い、彼等は不審者と看做され、門柱脇の牢獄に、放り込まれる運命を辿った。

「もうっ! 誰も協力してくれないから、こーゆーことになるのよっ!」

放り込まれた牢屋の中で、ナナミは三名の男共に、ぶうぶう文句をぶつけたけれど、ユインは何処吹く風で。

ジョウイは、ナナミの演技が下手だから、と言い出しナナミと喧嘩になり。

カーラは、まあ強いて言えば、最初っから全部駄目だった、ってことだよね、と、何処までもそっぽを向いたままで。

事態は、これっぽっちも打開されず。

彼等は、ミューズ初日の夜を、裏寒い、牢獄の中で向かえることになった。

────その日、深夜。

放り込まれた、もう季節は春だと言うのに底冷えのする、寒い牢獄の中で、それでもナナミやピリカが眠ってしまっても。

ジョウイは寝付けぬ風に、一人、鉄格子の嵌った窓辺に佇んで、空を見上げていた。

……彼が、何時まで経っても、眠ろうとしなかった所為だろう。

佇むジョウイの気配に気付いて、うとうとし始めていたカーラも又、眠たそうな目を擦りながら、床に敷いた毛布より起き上がって、ジョウイの傍らに並んだ。

「どうしたの? ジョウイ」

肩と肩が触れ合う程の傍に立っても、ちらりと見遣って来るだけで、それまでと変わらず、鉄格子の向こう側の空を見上げているジョウイに、カーラがそっと、声を掛ければ。

「満月だなあ……って、思ってさ。……天山の峠から、滝壺に飛び込んだあの夜も、そう言えば満月だったな、って。……あれから、こんなにも、時間が経ったんだなあ、って……。──カーラ」

月を見ているのだ、とジョウイは、月光より視線を逸らさず、語り始める。

「ん?」

「あの夜から今日まで、色々なことがあった。……あり過ぎるくらいに色々なことがあって、もしかしたら僕達は今、不幸……なのかも知れないけれど。それでも、あれから今日までの間に、僕は、幸せってこういうことを言うんだろうなあ……って言うのを、見付けたんだ」

「…………うん。それで?」

「……だから、カーラ。何時か、きっと三人で、キャロの街に戻ろう。僕達三人くらいなら、何をどうやったって、食べて行けるだろうし、生きていける。軍に戻る以外のことだったら、多分僕にも何だって出来る。…………そういう所に、幸せはあるんだ、って。僕はそれを知ったんだ。……それが幸せだ、って。それを教えてくれたピリカのご両親や、ピリカを、僕は守れなかったけれど……。…………うん。僕は、何時の日か、僕達が無事にキャロに帰れるような、そんな幸せを得られる、その時の為に。戦うよ。僕はこの地に、静けさと、正しい時代が戻って来るように。その為に、戦う」

真円の形に近い、満月に誓うように。

ジョウイはカーラへ、決意を語った。

「ジョウイ……。でも…………」

「守りたいモノを守る為に、力が欲しくて、強くなりたくて。紋章まで、宿したんだ。……僕は、戦うんだ。静けさと、正しい時代の為に。僕達の、幸せの為に」

「……ジョウイ…………」

──淡々と告げ続けられる、ジョウイのその決意に、カーラは何か、言いたげな様子を窺わせたけれど。

困惑しているようなカーラの風情に、ジョウイが気付くことはなく。

「…………二人共。そろそろ、寝ないと。又、見回りの衛兵達にどやされるよ。ナナミちゃんとピリカを、起こしてしまうことになるから。もう、お休み」

寝入る、ナナミやピリカとは、少しばかり離れた壁の隅で、踞るようにしていたユインが、不意に顔を上げ、彼等の秘かな会話を打ち切るように、声を掛けた。

「あ、ユインさん。起きてたんですか?」

「……一寸、うとうとしてたかな。君達の声で、目が覚めた。……何時までもそんな風にしていると、風邪引くから。…………お休み」

寝ている、とばかり思っていたユインに、嗜めの言葉を掛けられ、驚いたようにカーラは振り返り、バツが悪そうに、ジョウイは俯く。

「……そうですね。お休みなさい」

「はーい。お休みなさい、ユインさん」

そして、ジョウイはピリカに添い寝をするように、カーラは空いている場所を適当に探して、それぞれ、横になった。

…………だが、確かにジョウイが寝入ってしまっても、先程の彼の告白が耳に残る所為で、カーラは寝付けなくなってしまう。

「……目、冴えちゃった?」

「あ、はい…………」

「…………じゃあ、こっちおいでよ」

その気配をユインに悟られカーラは、手招かれるまま、ユインの傍へともぞもぞ這って、やはり、促されるまま、彼と並び、牢獄の冷たい壁に凭れて、一つ毛布に踞った。

「……どしたの」

「一寸…………さっきの、ジョウイの話が気になっちゃって……。──あの、魔法使いの女の人が言ったみたいに、僕達は、真の紋章の片割れを分け合って宿す資格があるくらい、色々、似てるのかもしれなくて、なのに、この地の静けさと、正しい時代の為に戦う……って。それが、見付けた幸せに繋がる……って。そう言われても、僕には未だ、ピンと来なくて……」

寒いから、一緒の毛布で温もろうねとユインに言われ、真実体が触れ合う程に、寄り添い並び、もぞもぞ、と身を捩りながらもカーラが、考え込むように俯いたから。

ユインが優しく問い掛ければ、ジョウイの言うことが、良く理解出来ないと、カーラは洩らした。

「………………そ、っか。……うん。そうだねえ……。──ジョウイ君の言うことは、決して間違っていることではなくて。……何時か……。そうだね、何時か、もしもカーラが、運命のようなモノに導かれるようなことがあったら、それが理解出来る日も、来るのだろうな、とは思うけれど。…………でもね、カーラ」

「……はい?」

「覚えておくといいよ。決して、忘れないように、覚えておくといい。……幸せは、人それぞれ、形も色も、違うモノだ。何を幸せと感じるかは、その人それぞれ。そしてね、カーラ。大それたことを考えても、人は決して、幸せにはなれない。細やかさの中や、平凡の中にある何か、それが幸せだと言うなら、細やかさや平凡の中に、それを求めればいい。細やかさ、穏やかさ、在り来たりの日常。それが欲しいならば、それだけを見詰めても、罪悪にはならない。…………カーラ?」

「…………何ですか? ユインさん」

「人の手は、一対しかない。その右手と、左手、一つずつしかない。……人の手は、一対しかないから。人の持てる幸せも、右手に一つ、左手に一つ、だ。──人には決して、溢れる程の幸せを、持ち切ることは出来ない。……欲を掻いてはいけない。持てる数も、持てる重さも、人には限度がある。例えそれが、幸せであっても。……だから。それを忘れなければ。それを、覚えておけば。カーラの、その両手に持ちたい幸せは何か、それを決して見失わなければ。……大丈夫、君も必ず、幸せになれるよ」

──ジョウイの言う、幸せと。

この大地の為に戦う、と言うそれが、上手く結び付かない、と洩らしたカーラに。

ユインは、瞳を細めながら、静かな声で諭した。

「…………ユインさん」

「ん?」

「ユインさんって。ゲンカクじーちゃんみたいなこと、言うんですね。…………とっても長生きして、とっても沢山のことを見て来た人みたいなこと、言うんですね」

「ゲンカクじーちゃ……。……ああ、君達の養祖父の? ……やだなあ、僕は未だ、若いよ?」

「あは、そうですよね。御免なさい。…………でも。ユインさんの言う『幸せ』は、僕にも判ります。両手に持ちきれるだけの幸せ。うん、それで僕は、充分です。充分だって、思います。幸せって、細やかなものですもん」

だからカーラは、ユインの諭しへ、微笑みながら応えて。

「…………何か、ユインさんと一緒にいると、お兄さんが出来たみたいで、僕、一寸幸せです」

お兄ちゃんみたいな人の肩に凭れながら、急にやって来た眠気に襲われたように、瞼を閉じた。

「……お休み」

己へと、その身の重さを預けながら、寝入り始めたカーラへ。

ユインは低く呟いて、自身も又、その瞳を閉ざした。