幾ら何でも、少し時間が掛かり過ぎてはいないだろうか、と。
そわそわとユインが、隠れていた木立の中から、小道へと、顔を覗かせた時だった。
「……ん?」
野営地の方角から、何やら、騒ぎが起こっているらしい喧噪が聞こえて来て。
「…………まさか、バレた、とか……?」
少しばかり顔色を変えてユインは、ザッと、潜んでいた場所から飛び出した。
「……インさ………………。──ユイ……ユインさんっ!!」
と、彼が飛び出すと同時に、小道の向こうから、カーラが、転げるように駆けて来て。
「どうしたの? カーラ。……ジョウイ君は?」
倒れ込みそうなカーラを支えて、カーラが無事だったことに一先ずホッとし、次いで、姿の見えぬジョウイのことを、ユインは訊いた。
「バレ、て……。僕達のこと、知ってる隊長がいて、その所為で、バレて……。ジョウイ……。ジョウイが、何とかしてみせるから、逃げろ、って、僕を押し出して……。──ユインさんっ! ジョウイのこと助けて下さいっっ」
すればカーラは、抱き留めてくれたユインに、縋るように事情を語る。
「一人残った? あの中に? ……何とかしてみせる、って……。何とかなる訳ないのに」
それを聞き、チッと舌打ちをしてユインは、カーラの望み通り、野営地の方へと駆け出そうとしたが、刹那、ユインが見遣った、その方角より、巨大な気と、薄暗い光が膨れ上がるのが、ユインにも、カーラにも判り。
「……あれは……黒き刃の紋章…………」
膨れ上がった気と光に、彼等は、その足を止め。
「もう一人は、こっちにいたぞ! 仲間もいる!」
気と光より逃れたらしい、ハイランド兵士達に、彼等は見咎められた。
「…………カーラ。行こう」
「え?」
「諦めるんだ、今は」
「でも……っ」
「カーラっっ」
「…………はい……」
さっと、辺りを見回してユインは、それでもジョウイの元へ行こうとしたカーラの腕を強引に引いて。
「えっ? えっ? ねえ、何が遭ったの? カーラ? カーラは無事なの? あれ? ジョウイは? ねえ、カーラっっ」
ジョウイがいない、と騒ぎ続けるナナミと、事情を察して無言となった、ツァイと、ムクムクも促し、国境の関所を目指し、ユインは。
唇を噛み締めるのを止めないカーラを連れて、走り出した。
ハイランドの野営地に、ジョウイが一人残った所為……なのだろう。
煩わしい追っ手と、少々遭遇はしたけれど、ユインとカーラ達は無事に、関所の詰め所前へと戻ることが出来た。
そうして彼等はそこから、慌ただしくミューズへ取って帰り、ビクトールやフリック達と相談して、ジョウイを救い出す手立てを立てようと、レオナの酒場のある、宿屋へと飛び込んだ。
「ビクトールさん、フリックさんっ!」
「おう、カーラか。無事だったか? レオナから話を聞いて、心配してたんだぞ。……ジェスの奴に厄介事、押し付けられたんだって?」
息せき切ったまま、宿屋へと飛び込んでみれば、そこには、丁度レオナから事情を聞き終えたらしい、ビクトールとフリックの二人がおり。
「でもまあ、無事に戻って来たんなら、良かった。ユインも一緒だって聞い…………。──…………? ジョウイはどうした?」
「それがっ! ジョウイが……。どうしようっっ」
無事に戻って来たのなら、と安堵し掛け、が、面子が一人足りないことに、ん? と首を傾げ始めた二人へ、肩で息をしたままカーラは、事情を説明した。
「ジョウイが、捕まった?」
「うんっ。ほら、キャロで僕達のこと処刑しようとしてた、ラウド隊長、あの人が野営地にいて、正体がばれちゃって……。それで、ジョウイは僕を逃がす為に…………」
「……成程。…………厄介なことになったな……。──判った、取り敢えずアナベルの所に行って、相談して来る」
「…………相談?」
「ああ。……相談、と言うか。本当の処は、ジョウイを助ける為に、勝手にやらせて貰うぞ、って、一応の断りを入れて来る、って奴だがな。だから一寸待ってろ。──どの道もう直ぐ日が暮れる。夜に仕掛けるなら、もう少し遅い時間の方がいいし。事と次第によっちゃ、明日、ってことになるかも知れないし」
必死の表情、必死の声で、カーラが事の成り行きを語れば、傭兵達は、俺達が何とかしてやる、と言い残し、市庁舎へ向かう為、慌ただしく宿屋を出て行った。
「…………どうしよう、ジョウイ……」
直ぐ戻るから、と、そう言って出て行った傭兵達の背中を見送って、緊張や、焦りの糸が切れてしまったのかカーラは肩を落とし、泣きそうな風情を漂わせる。
「……大丈夫。あの二人のことだから、きっと良くしてくれる。僕も、手を貸すから。そんな風に、落ち込まないで」
今にも、しゃがみ込んで泣き出してしまいそうな気配を、カーラが見せたから、その傍らへ寄ってユインは、宥めるように、ぽんぽん、と肩を叩いた。
「…………帰って来る、って。そう言ったんでしょう? ジョウイ。……だったら、帰って来るよね……。ジョウイ、約束破ったこと、ないもん。ジョウイが帰って来るって言ったんだから、絶対に、帰って来るよね……」
泣き出してしまいたそうにしている、義弟のように、ナナミも又、その声を詰まらせながら、自らに言い聞かせる風に、言い始め。
「…………うん。何とかしてみせるから、って。きっと、戻るから……って」
「……なら、帰って来る、よね。うん。絶対に、帰って来るっっ。だから私、ジョウイのこと、待ってるっっ」
彼女は決意を固め、ぱっと踵を返して、ジョウイの帰りを待つのだと、市門の方へと走って行った。
「………………あー……」
そんな、ナナミの後を、面倒を見てくれていたレオナの腕をすり抜けたピリカが追い掛けて行き。
「ナナミ……。ピリカ…………」
カーラも又、その後を追い掛けようとしたけれど、宿屋の玄関を、出るか出ないか、の所で、ぴたりと彼の足は止まった。
「……カーラ? どうしたの?」
動くことを忘れてしまったみたいに、立ち止まってしまったカーラの背へ、ユインが声を掛ける。
「………………ユインさん……」
すればカーラはゆるゆると、ユインを振り返って、酷く、顔を歪め。
「…………一寸、こっちおいで」
彼の、その表情を一瞥してユインは、ちょいちょい、とカーラを手招き、酒場の片隅の、一等目立たぬテーブル席に腰を下ろした。
「もう一回訊くよ? どうしたの? カーラ。ジョウイ君のことなら、きっと何とかなる。……うん、何とかならなかったとしても、何とかしてあげる。ビクトール達だって、そう思ってくれてるよ?」
対面の席ではなくて、隣り合わせる席に、カーラを促し座らせ、顔を覗き込むように、ユインが尋ねれば。
「だって、僕…………」
膝の上で、両手を揃えて握り固め、カーラは深く俯いた。
「ん?」
「……ジョウイに、逃げろって言われて……。確かに、そうするしか他にないって……。二人揃って捕まる方が余計に悪い、ジョウイの言うことは正しいって、そう思いましたけど……。でも、結局僕が、ジョウイのこと見捨てるようにあそこから逃げて来たことには、変わりないよな、って……そう、思って…………」
「…………でもね、カーラ。それは──」
「──判って、ます……。判ってる、んですけど……。──最初、ジョウイに逃げろって、そう言われた時。僕、咄嗟に、ユインさんのこと、思っちゃったんです……」
「僕?」
「ええ。……ユインさんだったら……って。ユインさん、強い、から……。ユインさんなら、この騒ぎに気付いてくれるかも知れない、助けてくれるかも知れない、って……。そうしたら、ジョウイ、僕は、君やナナミ達を守る為に紋章を宿したんだから、絶対に、何とかしてみせるって、僕の背中無理矢理押して……」
「……そう…………」
「僕は……、ジョウイのこと……親友のジョウイのこと、助けることも出来ないで……。僕だって、強くなれたら、大切な人のこと助けられたら……って、紋章宿したのに。誰かに頼ってばっかりで……。ジョウイや、ユインさんに甘えてばかりで、自分では、何一つ出来なくって、ジョウイのこと、見捨てるように逃げ出すしか出来なくって…………っ……」
──手袋で包まれた、その両手が。
ふるふると、小刻みに震える程強く握り締めて、項垂れるように、深く深く俯き。
僕は……、と。
そんな僕に、ジョウイのこと待つ資格なんて……、と。
カーラはぼそぼそ、呟いた。
「…………カーラ」
すればユインは、優しく彼の頭を撫でて、項垂れた面を上向かせ。
「何ですか……」
「むかーし。未だ、僕がね。こんな旅に出る前にね。僕も、カーラと似たような経験、したことがあるんだ」
昔を、懐かしむような口調で、彼はそう言い出した。
「……え?」
「嘘じゃないよ。……一寸、色々あってね。……うん、一言で言えば、厄介事って言うのかな、そんなのに、巻き込まれたことがあってさ。僕も、カーラと似たような経験、したんだ。……どうすることも出来なくて、逃げろ、って、そう言った親友だけをその場に残してね。逃げ出すしかなかったことが、僕にもあるんだ」
「…………ユインさん、が……?」
「うん。……僕だって、生まれた時から『こう』だった訳じゃないからね。そういう、苦い経験、僕もしたことがある。……どうして自分には、何にも出来なかったんだろう、って。どうして、逃げるしかなかったんだろう、って。それから暫くの間、自分のことばっかり、責めた。……でも。僕は僕の親友のこと、信じてるし。親友も僕のこと、信じてくれてる、って。だから、僕のことを逃がしてくれた親友の為にも、僕がもっと強くなって、親友のこと、取り返せばいいって。僕は、そう思うことにした。…………カーラだって、ジョウイ君のこと、信じてるだろう? 彼が、何とかなる筈がないって。ジョウイ君だってきっと、カーラのこと信じてるから、逃げろ、って言ったんだと思うよ? ……だからね。もう、自分のことばっかり責めないで。今、カーラがジョウイ君の為に何が出来るか、って。それを考えようよ」
沈む、カーラを宥める為に、ひたすら頭を撫でて、己の過去の経験を語り、にっこりと笑って。
「どうする?」
「…………取り敢えず、ナナミ達と一緒に、ジョウイのこと、待ってみます……」
「うん。じゃあ、一緒に行ってあげる」
『今、君は何をするの?』と、問うてやったカーラが、しっかりと、椅子から立ち上がったのを見届けて、ユインもそれに倣った。
「…………ユインさん」
「何?」
「……ユインさんはどうして、そんなに僕に、良くしてくれるんですか……?」
「んー……。カーラと一緒にいると、弟が出来たみたいで、一寸幸せだから」
そうして彼等は、宿屋の玄関を潜り、低く言葉を交わしながら、石畳の道を歩き始め。
「…………あ。ナナ……。…………ジョウイ!」
辺り一面が、朱色に染まる夕焼けの中、市門へと向かう道すがら、走りながら戻って来たナナミと、ピリカと、そして、ジョウイの姿を見付けた。