闇に、溶け込むように消えたまま、ユインは、その姿を見せてはくれなかった。
そんな彼のことが、気になって気になって、仕方なかったけれど。
ユインさんだから……と。
カーラは言われた通り、自分と、ナナミやピリカの身の安全のことだけを考えて、時折、来た道を振り返りつつ、南──デュナン湖の、岸辺目指して駆け続けた。
…………そうしていたら、やがて。
追っ手達の立てる、馬の蹄の音や、武器や甲冑の鳴る音は遠くなって。篝火の灯りも消えて。
確かに夜道を歩いている、と、しみじみと思える程、辺りはシン……と静まり返り。
街道の脇に見付けた大木の根元に、もうこれ以上走れない、と、ナナミとピリカが、しゃがみ込んでしまった。
「ここにいて、ナナミ。一寸、様子見て来るから」
へたり込むように身を崩した二人を見て、この先に進むのは無理だし、ユインさんのことも気になる、とカーラは、待っていてと義姉へ告げ、ミューズへ続く街道を戻り始めた。
だが、幾許も行かぬ内に、夜道の向こうより、人の気配と、バサリ、マントの翻る音が沸き上がり。
「…………ユインさん……ですか……?」
「ああ。カーラだろう? そっちは、大丈夫だった?」
星明かりの下でも判る程近付いた気配は、カーラの目の前で、ユインの姿を取った。
「良かった……。ユインさんのことだから、平気、って思ってましたけど……。──あ、僕達は無事です。僕も、ナナミもピリカも」
案じた彼が無事だったことをその目で確かめ、ホッとカーラは胸を撫で下ろし、ユインに並び、歩き出す。
「そう。……で、二人は?」
「この先の、木の所で休んでます。もう、走れないみたいで……」
「あ、そうか。大分、ミューズからは離れたからね。女の子や子供の足では、これ以上はきついか……。出来れば朝になる前に、コロネに入ってしまいたかったけれど。……じゃあ、僕達も休もうか」
「はい」
ナナミ達の許へと向かいながら、簡単な事情をカーラが語れば、それでいいよ、と言う風にユインは頷き、なら、とカーラは、あっちです、と、ナナミ達がいる方角を指し示そうとして、少しばかり、ユインの方へと近付き、途端、あ…………と。
僅か、顔を歪めた。
──覚束ない星明かりの下でも、はっきりとユインの顔形が判る程、カーラは傍に寄ったから、先程の戦いで彼が、怪我も負っていなければ、返り血も浴びていないことが察せられて。
なのにユインからは、少々強い、血の臭いがして。
倒した相手のそれが、移り香となる程、ユインは敵を倒して来たのか、と。
少しばかりカーラは、悲しくなった。
そうして、本当に一瞬だけ、彼は。
ジョウイがあんな馬鹿なことをしなかったら、こんな風になることも、自分を責めるようにユインさんが戦うこともなかったかも知れないのに……、と考え、進め続ける己の足許だけを見詰め。
「どうかした?」
「……いえ、何でもありません」
「そう? ならいいけど。…………少し、泣きそうな顔してたみたいだから」
「…………気の所為ですよ。僕だって男ですから。そんなに簡単に、泣いたりなんてしませんよ」
俯き、視線を落としたカーラの様子が気になったのだろうユインが、僅かの時、カーラが親友への詰りのようなものを思い浮べたことに気付かなかったから、只、気遣いだけを口にして、彼は微笑みを浮かべ、ユインの気遣いを流した。
……そうして彼等は進み、ナナミ達の待つ、大木の根元へと辿り着き。
余程疲れたのだろう、二人が戻って来るのを待ちきれず、木に凭れたまま眠ってしまったナナミと、ナナミの膝を枕に、やはり寝入ってしまっているピリカを起こさぬように、そこより少しだけ離れた、雑草の上に腰を下ろした。
「…………このままコロネへ行って、対岸に渡って。サウスウィンドゥまで行くかい? ビクトール達の伝言通りにする?」
しゃがみ込み、カーラが空を見上げていたら、暫しの沈黙を挟んでユインが、低い声でそう言い出した。
「……そうします。他に、当てもないですし。何時、ハイランド軍に追い付かれるかも判りませんし……。…………ジョウイのことは、気になりますけど……。でも……でも、ジョウイは、もう、僕達の所には帰って来ない気がしてならないから……。……でなきゃ……あんなこと…………」
問われ、カーラは膝を抱え、顔を伏せる。
「ジョウイ君、か…………。本当に、何で…………」
すれば又、ぽつり、ユインは零し。
「解りません……。僕にも、解りません……。この大地の平和の為に……って。見付けた幸せに繋がる、静かな時と、新しい時代の為に戦うんだ……って。ジョウイ、そう言ってたのに……。どうして、あんな……、まるで、ハイランドの人間がやるようなこと…………っ。……力が欲しい、って。大切な人を守る為の力が欲しいから、紋章を宿すんだ、って。ジョウイは言ったのに…………っ」
一層、カーラは伏せた面を、抱えた膝頭に押し付けた。
「…………カーラ……」
──ユインにはその顔を見せたくない風に、深く俯いて膝を抱え、丸めた背中を振るわせたカーラを、抱き寄せるように、ユインは腕を伸ばす。
……そうして、彼は。
悲しみだとか、怒りだとか、不安だとか、そう言ったものがない交ぜになって浮かぶ頬を持ち上げたカーラの髪を、幾度か撫でて。
膝抱える右手を取り上げ。
手袋の中で薄く光っているのだろう、輝く盾の紋章宿る手を、両手で包み込み、胸許で、抱き締めるようにした。
「ユインさん……?」
「何でも……ないよ。────うん。行こうね、サウスウィンドゥまで。……何が遭っても、送り届けてあげるよ。もう少し、旅を共にしようか…………」
「…………はい。宜しくお願いしますね、ユインさん。知り合った日からずっと、ユインさんには助けて貰いっ放しですけど……。ユインさんが良ければ……」
まるで、どうしても離したくない何かが、そこに潜んでいるように、ユインが、手を握ったまま離さぬから。
少し、困惑しながらもカーラは、今暫くを共に、との、ユインの言葉に応えた。
「……良いも悪いも……。いいんだよ。僕がしたくて、してることなんだから。──さ、今夜はもう、寝よう。夜が明けたら、出立しないと」
すればユインは、にこりと笑って、漸くカーラの手を離し、纏っていたマントを脱ぎ去り。
「埃っぽいけど、ないよりはマシかな」
カーラのことを抱き締めるようにして、そのままそこに横たわり。
「へっ?」
「男同士だから、いいよね、別に」
慌てて見せたカーラへと、クスリと笑い洩らすと、毛布代わりにと広げたマントの中へ、潜り込んだ。