気配を押し殺すようにしてやって来て、正しく己の名を呼んだ、シュウの後に付いて部屋を出、隣室へと場所を移し、椅子に腰掛けたシュウの対面に立ってユインは、先ず、にっこりと笑ってみせた。

「やっぱり、貴方は知ってたんだ、僕のこと」

「……ええ。一応は、手広く、との評判を頂いていた、交易商でしたから。私の師だったマッシュ・シルバーバーグが、トラン解放戦争に参加したとの噂も、聞き及んでおりましたし。……それに。貴方は、ご自分で思われているよりも遥かに、有名人ですよ」

「………そうかな。──まあ確かに、赤月帝国を滅ぼして、トラン共和国を打ち立てた、トラン解放軍の軍主は、未だに有名なのかも知れないけれど。僕が、その当人だって気付く者は、それ程多いとは思えないよ?」

「ご謙遜を。時間の問題ですよ、貴方の『名』と『顔』が、デュナンでも一致するようになるのは」

さっさと腰を下ろしたシュウを見下ろすようにして、ユインが笑みを浮かべたら、見下ろされた当人は、肩を竦めるようにして、その顔をまじまじと見詰め。

「ハルモニア神聖国より独立し、数百年に亘ってトランを治めて来た赤月帝国を、三年前の戦いで滅ぼした、解放軍々主、ユイン・マクドール殿。……お話があります」

先程、ユインを連れ出した時に告げた科白に似たそれを、再び、シュウは口にした。

「どんな?」

「…………私達はこれから、ハイランド皇国と戦っていかなくてはなりません。無論、カーラ殿が、リーダー就任を引き受けて下らなかったら全ては終わりますし、彼にそれを引き受けて頂けたならば、負けるつもりなど毛頭なかろうとも、正直申し上げて、出来たばかりのこの集団では、何がどう転ぶのかなど、私にも」

「……まあ、そうだろうね。今のままでは、この軍がハイランドに勝つことなど、夢の又夢だ。……で? だから?」

「貴方を捕まえて多くを語るのは、馬鹿馬鹿しい気もしますが。──どう転ぶか全く見えないにせよ、はっきり言って我々は、自分達の命を守る為に、何としてでもカーラ殿を旗頭に押し上げなければならないとの事情を抱えています。…………ですから。単刀直入に申し上げます。トランの英雄、との肩書きをお持ちの貴方が、我々には、邪魔なのです」

「…………ふーん。本当に、単刀直入だね。でも、いいんじゃない? ぐぢゃぐぢゃと、遠回しに当て擦られるよりは、遥かに話が早いから」

不躾に顔を覗き込んで来る、シュウの物言いを受けて、ユインは一層、笑みを深めた。

「で? 邪魔だから、とっとと出て行け、と。貴方は、そう言いたいんだ?」

「結論を申し上げるなら、そういうことになりますね。一軍の中に、リーダーと成り得る英雄は、二人も必要ありません。況してや、トランを解放に導いた英雄殿など、いて貰っては困ります」

「…………正直、さ」

「……はい」

「正直、僕もそう思うよ。貴方の言うことは、至極真っ当な言い分だしね。明日にでも僕は、ここから立ち去るのが最良なんだろうとは思う。それが、この集団の為なんだろう。…………けど、お生憎様。残念だけど、それは出来ない」

そうして、笑みを深めたままユインは。

ここを立ち去ることは、叶わない、と、あっさり、シュウの『正論』を袖にした。

「……何故ですか?」

「カーラが、ここにいるから。今この瞬間も物凄く、カーラは悩んでるんだろうけど、多分彼は、貴方の申し出を引き受けるだろうから。……だから僕は未だ、ここを去らない」

「…………何を思われているのか、私には汲みかねますが。それが、あの少年の為になるとは限りませんよ」

「カーラの為にならずとも、結構。僕がここを去らずにいたら、貴方の思う場所へ押し上げられることになるカーラと、この集団と、この集団の戦いの為にはならないんだろうね。でもそんなこと、構いはしないよ。そんなことの為にはならなくとも、『カーラ自身』の為になるなら、僕はそれで充分だ。都市同盟の残党対ハイランドの戦いなんて、僕には興味ない。そんなこと、そちらで勝手に考えればいいことだ。僕が興味あるのは、カーラ自身だし」

「……では、どうあっても、私の話を受け入れては下さらないと?」

邪魔だから、出て行け、との言い分を、酷くあっさり一蹴され、一瞬シュウは、不快気に眉を顰めたが、軽く溜息を付いて彼は、直ぐさまその気配を打ち消し。

「僕がここに留まることが、『カーラ自身』の為にもならなくなるまでは、ね」

「そうですか…………」

再度のユインの返答の後、又、改まってシュウは、ユインを見詰め直して。

「ミューズ市が陥落する直前、ハイランドとの国境辺りで行われた、ビクトールの傭兵部隊とミューズの市兵との合同軍が、ハイランド皇国第四軍──ソロン・ジーの部隊と戦った時」

徐に、話を変えた。

「……それが、どうか?」

「昼間も言ったように。あの頃から、ビクトールの傭兵部隊には、癒しの手を持つ少年がいるらしい、と。『救い主様』のようだ、と。まことしやかに、そんな噂が流れているそうでしてね。……そして、もう一つ。都市同盟に所属していた兵士達の間には、流れている噂がありまして」

「…………へぇ。どんな?」

「……ビクトールの傭兵部隊には、そんな、『救い主様』がいて。人知を越える程に強い、鬼神のような少年もいる、と。闇色の姿で戦場を駆ける、『死神様』もいる、と。……『救い主様』の傍らには、何時も『死神様』がいて。『死神様』の傍には、何時も『救い主様』がいて。だから、ビクトールの傭兵部隊は、負けないのだ、と」

「へー…………。人間の噂って、面白いね」

「……ユイン・マクドール殿。私は別に、与太話をしている訳ではありません。真面目にお聞き下さい。──兎に角。そういった噂が、あちらこちらで流布しているのは本当のことです。……ですから、マクドール殿。もし、明日、カーラ殿が、我々の軍の主になることを引き受けてくれて。けれど貴方が、ここを立ち去らないと言うなら。貴方には何処までも、『死神様』の役目を負って頂くことになりますが。それでも構わないと、貴方は仰るんですね? ソウルイーターを宿している貴方であっても、その役目が引き受けられると、そう仰るんですね?」

────この、数週間の間。

デュナン湖辺りで持ち切りだったらしい、『噂』の話を不意に始め、結局、話を元に戻したシュウは。

随分と挑戦的に言った。

「ソウルイーターを宿しているから、『死神様』にもなれるんだよ。……ま、アレを宿していようがいまいが、僕は疾っくの昔から、充分過ぎる程『死神様』だけどね。……いいんじゃない? それはそれで。利害は一致するみたいだし。死神様だろうが悪魔様だろうが、好きにしてよ。僕が、『トランの英雄』だってこと、カーラとか、僕の素性を知らない皆に黙っててくれるんなら、僕はそれで満足。……という訳で。これで話、終わりかな? ──じゃ、僕はそろそろ、寝るから」

だが、そうまでしてもここに留まるのかと尋ねて来たシュウへ、ユインは頷きと、軽い調子の科白を返し、お休み、と朗らかに告げて、さっさと部屋を出て行った。