トゥーリバー市は、デュナン湖西岸を流れる、川の中州を跨ぐように出来た街で、滞在先の若葉亭よりほんの少し歩けば、直ぐに、さらさらと音を立てて流れる清流を、臨むことが出来るから。

宿の裏手にある岸辺に佇んで、月光と、月光に浮かび上がる水草の緑を写し取る、川面を暫し眺めてからユインは、漸くルックを振り返った。

「……で? 話って?」

「多くを言わなくったって、判ってるだろう? ……何であんたが、この戦争に手を貸してるのさ、氏素性まで隠して。……レックナート様に従って、初めてデュナンの城へ行った時、その顔見掛けて、正直、驚いたよ。何であんたがここに、って」

夜陰の中、滔々と清水を流す川、その川面が浮かび上がらせる月光と水草の光。

……そんな、何処か幻想的な風景を背に負ったユインを、ルックは睨み付けた。

「一寸、縁があってさ。未だこうなる前、カーラを助けたことがあるんだ。だから、一言で言えば、成り行きって奴で、僕は彼に手を貸してるだけだよ。別に、戦争に参加してるつもりはない。……何て言うかさー。カーラって、放っとけない弟みたいな雰囲気あるから。情みたいなものが、移っちゃってねー。だから、こうしてる。……で、『トランの英雄』って肩書きがあるらしい僕がこうしてるのは、少しばかり具合が悪いこともあるから。氏素性は隠してる。……別に、変じゃないだろう?」

「…………それだけで、済めばね。『君も大概お節介だね』、で話は片付くと思うよ、僕だって。……でも、そうじゃないだろう? だったら何で、カーラにまで、あんたの出自隠す必要があるのさ。……自分の過去を喋るなって、随分厳しく申し渡してるみたいじゃないか、ビクトールやフリックに。城に行った初日にもう、鬱陶しいことに、あの腐れ縁共に捕まって、延々泣き落とされたよ。ユインのこと、カーラ達には喋らないでくれ、って。僕だけじゃなくって、解放戦争経験者、皆同じ憂き目に遭ってる。……どういうつもり?」

「…………どういうつもりも、何も。今言った通り。一寸した、縁と成り行きがあって。一寸した縁と成り行きの所為で関わったカーラが、放っとけない弟みたいな、可愛い性分してるから、興味持っただけ。……それだけだけど?」

「………………いい加減にしなね、ユイン。あんたは、他人の腹の中探るのが、嫌になる程得意だけれど。僕だって、下手な方じゃないよ。……『紋章』の所為だろう?」

「紋章って? 良く判らないなあ、ルックの言ってること」

「……ユイン…………」

幻想的な光景の中に浮かび上がる、かつての『軍主』のふざけた物言いに、睨みを乗せた瞳を一層鋭くして、ルックは唸るような声を上げた。

「…………冗談だって。そんなに怒らなくたっていいじゃないか」

だが、きつくきつく見据えられても、ユインは唯々、笑んでみせるだけで。

「あんたの冗談は、これっぽっちも笑えない。──確かに、途中までは一寸した縁と成り行きだったんだろうけど。あんたがここにいる理由の大半は、『紋章』の所為なんだろう? カーラが、あんたと同じ、真の紋章を宿したから。それが気になって、こうしてるんじゃないの?」

「んー…………。それも、ある」

「それ以外に、何があるのさ」

「んー。色々?」

「色々? じゃなくって」

「だってカーラ、可愛いし?」

「………………ぶつよ」

とうとうルックは、その手のロッドを凶器と化すべく、改めて握り締めた。

「……判った、判った。じゃ、本当のこと教えてあげるよ。不完全であろうとも、僕と同じ真なる紋章宿して、一軍の長になったカーラが、僕がしたような想いをしないように、って。それが、動機」

だから、それでも笑みは消さずにユインは、以前、ビクトールには告げた『動機』を、ルックに語った。

「何処まで、本心なんだかね」

「本心だってば、何処までも。……処で、ルック? そんなことを問い質す為に、わざわざここまで?」

……そうして彼は、今度は問い返し。

「………………知らないよ」

「はい?」

「僕は、知らないからね。あんたの言う本心が、本当の本心なのか、それも僕は知らないけど、自分と同じ、真の紋章宿して、やっぱり自分と同じように、一軍の長になったカーラに深入りして、自分が痛い目見たって、僕は知らないよ。……泣き見る前に、とっととグレッグミンスターに帰れば? どうせ、あのうるさい従者が待ってるんだろう? 又、世界中放浪しなきゃならないような羽目に陥りたくなかったら、さっさと、手、引けば? どうなったって、僕は知らな──

──あ。それって忠告? ルックってさー、結構、優しい所あるんだよねぇ」

「違うっっ。どうなったって、僕は知らないからねって、そう言ってるだけっっ。大体、カーラのあの紋…………──

「…………カーラの、あの紋章、は?」

「……何でもない」

「そ? ……悪いね、ルック。それも、『知ってる』」

「…………っ……。だったら、何で……っっ」

「だから。カーラが、可愛いから?」

どうやら、今宵の目的は忠告だったらしい、そっぽを向きつつのルックへ、深めた笑みだけを、ユインは送った。

「あんたね…………」

「それだって、本心だよ?」

「……もういい。──兎に角、僕は知らない。……言ったからね。何がどうなっても、僕は知らないからね。じゃあね」

……ユインが、表情を移ろわせなかったからなのかどうかは、判らぬが。

そこでルックは、諦めたようなトーンを放って、勝手にしろ、と、再び、手の中のロッドを振るい、その川辺より姿を消した。

「…………泣きを見る前に、ねえ……。……泣きなんて、疾っくに見てるよ」

そうやって、ルックが消えてしまって。

一人、川辺に残されて。

又、くるりと振り返り、光ばかりを弾く、水面を見詰めてユインは、いなくなってしまったルックには、もう聴く術もない独り言を洩らした。

ハイランド軍の、トゥーリバー市への侵攻を防いで、明くる朝。

戦いが終わった直後、ぱたりと眠ってしまったカーラは、何事も無かったかのように、むくりと起き上がって来た。

ああ、起き上がれたってことは、元気になったんだな、と、一先ずの安堵を見せたユインや仲間達へ、起きて来た彼は、至極明るく振る舞ってみせたけれど…………、時折。

やけに、渋い表情を拵えた。

故に、どうしてそんな顔を、と、仲間達は問い掛けたけれど、

「何でも無いです。一寸変な夢見ちゃっただけですから」

と彼は、仲間達の問いを笑って誤摩化し。

けれどユインは、渋い表情の中にカーラが混ぜた、困惑のような色を見逃さなかったから、どうしても、それが頭から離れなくて。