陥落したグリンヒル市よりテレーズを救出し、あの街に住まっていた幾人かの人々も、同盟軍の仲間にすることが叶ってより、二月程が過ぎた。
その二月の間も、カーラは随分と忙しそうに、あちらこちらと飛び回り、北方に領地を持つ、マチルダ騎士団の居城のあるロックアックスへ赴き、協力を申し出てみたり、ラダトの街を一時占領したキバの部隊との攻防戦に挑んだり、としていた。
ハイランドの勢力下にある、グリンヒル領とミューズ領に挟まれた草原を進まなくてはならないような危険まで犯してロックアックスへ出向いたと言うのに、北方の城での交渉は、騎士団の頂点に立つ白騎士団長・ゴルドーの、間違っても良いとは言えぬ人柄の所為で、ご破算になってしまったけれど、騎士の身分を捨ててまで同盟軍に与すると言ってくれた、青騎士団長・マイクロトフと、赤騎士団長カミューと、それぞれの騎士団長に従った者達が多数、同盟軍傘下となり。
キバの部隊との戦いは、かなり労を要するものではあったけれど、打ち崩すことも叶い、キバと、キバの息子のクラウスと、彼等の配下の兵士達を、取り込むことが出来。
ハイランド皇王だった、アガレス・ブライトのみに忠誠を誓っていたキバを打ち捨てるようにしてみせた、あの、狂皇子と名高いルカ・ブライトが、実の父を殺め、ハイランド皇王に即位したことや、ルカ達が、ミューズ市の難民を何やらの儀式の生け贄にしたらしいことは、懸念以外の何物でもなかったけれど、同盟軍の成長振りのみに目をやれば、上々の出来と言える、この二ヶ月だった。
キバとの戦いを終えてから暫くは、アガレスの葬儀やルカの即位式だのを執り行わなくてはならない、との事情故だろう、ハイランドの侵攻も、仕掛けられる戦も、鳴りを潜めて。
相変わらず、カーラは日々を忙しなく過ごしてはいたけれど、以前よりは息付ける時間も増え、気付けばやって来ていた夏が、盛りとなったのも悟れなかったまま、もうそろそろ、暑い季節も終わってしまう、と相成ったその日。
カーラは、城の裏手の湖の傍、余り城の者達がやって来ぬ場所で、ユインに、武道の稽古を付けて貰っていた。
同盟軍の盟主となってより程ない頃から、度々、彼はユインにせがんで、立ち合いの相手となって貰ってはいたが、カーラには、カーラにしか出来ない執務が満載で、シュウに、同盟軍盟主の親衛隊付きの職を振られてしまったユインにも、それなりの仕事があったから、これまでは余り、自身の納得がいくまで、ユインと行う稽古の時間が取れなかったカーラは、久し振りの機会、と、その日は随分と張り切って、午後一杯を稽古に当て。
「…………も、もう駄目です……。降参します……。──疲れたぁぁー…………!」
湖の畔で行っていたその稽古が終わるや否や、ばたりとその場に大の字になって倒れ込んで、動かなくなった。
「お疲れ様。……大分良くなったんじゃないかな、以前はあった、踏み込みを迷うような仕草とか、すっかり消えたし」
今日も、ユインからは一本も奪うことは出来なかったけれど、頑張ったからいいかなと、満足そうな顔をして寝転がったカーラの隣に、彼とは対称的な、ケロッとした顔のまま、ユインは腰を下ろした。
「そうですか……? そう言って貰えると嬉しいです、努力が実ってるみたいで……。──でも、相変わらずユインさんには勝てませんし……。……ひー、疲れた……」
「立ち合いするの、久し振りだったからね。張り切り過ぎたんじゃないのかい?」
「ほんの一寸です。一寸、何時もよりは頑張りましたけど。……僕、こんなに息が上がってるのに、ユインさん、顔色一つ変わってませんよね、何時ものことですけど。……そんな格好してるのに、汗も掻いてないし……」
ひーこらと、胸を大きく上下させる程、強い呼吸をしながら、何処となく、情けなさそうな顔をして、カーラは傍らのユインを見上げる。
──……何時の頃からか。
カーラが思い起こすに、多分、同盟軍が、何とか『軍』としてのまとまりを見せて来た頃から。
どういう訳かユインは、以前は常に纏っていた、あの赤を基調とした衣装ではなく、戦場に赴く時に纏う黒一色の衣装を、普段も身に着けていることの方が多くなった。
その理由を尋ねたことはないけれど、カーラは、未だミューズにいた頃ユイン自身が言っていたような、『変装』の一環なんだろうと解釈していて、その日も、ユインが黒一色の姿をしているのを、只単に、そんな格好していて暑くないのかなあ、とだけ考えるに留まり。
「僕の方が、運動量少ないから」
己の、『そんな格好』との発言へ、よくよく考えれば屈辱的と思える応えを返したユインへ、
「うー…………」
と、落ち込みの呻きのみをぶつけ。
「……これだけ疲れれば、今日は良く眠れそう……」
ぽつっと独り言をも零し、眩しく鋭い晩夏の陽光を遮るように、目を閉じた。
「ん? 何、最近良く眠れてないの?」
…………その独り言は、無意識の内に洩らされた、カーラにしてみれば、他愛のないそれで、だがユインは、聞き漏らすことなく拾ったその独り言へ、眉を顰めた。
「……眠れてないって訳じゃないんです。…………その……、ユインさんだから白状しますけど……ずうっと忙しかった所為なのか、最近、酷く疲れ易くって。なのに、眠りが浅いんですよね。何でなのか、本当の理由は判らないんですけど。夜中に、何度も目が覚めたりしちゃって……。時々、体が軋むように痛いこともあって……」
「痛い、の……? 酷く痛む……?」
「たまに、ですよ、たまに。本当にたまにの話です。……痛い時は凄く痛いですけど、でも、直ぐに収まりますし。…………但……」
「何?」
「時々、そんなことがある所為なんだと思いますけど……、最近、変な夢ばっかり見るんですよね……。夢見が悪いから、夜中に目が覚めるのかな……。だから、疲れが取れないのかなあ……」
ポロっと洩らした独り言を拾って、ユインがやけに真剣な顔をしたから、カーラは慌てて、大したことじゃないですと、それまで閉ざしたままだった瞼をパッと開き、ブンブン手を降りはしたものの、傭兵砦より逃げ延びたあの夜から、もう半年近くも共にいる、最近ではすっかり、本当の兄の如く慕うようになったユインには、自身にも気付かぬ内の甘えが出るのか、ぽつぽつ、ナナミにも、他の誰にも言わなかったことを語った。
「夢? 悪夢、とか?」
すれば益々、ユインの態度は真剣そのものになり、首を傾げながらカーラは、再び口を開いた。
「うーん……。悪夢、って言うのとは少し違って、どういうこと……? って思っちゃうような夢っていう感じかなあ。──……こんなことになっちゃったからなのか、『これって……?』って僕が思う夢、何時も、ジョウイが出て来るんですよね。一番最初に見た夢は、トゥーリバーで……ほら、キバさん達との戦いが終わった後、僕、眠り込んじゃったじゃないですか。あの時見た夢が、変な夢の一番最初で。少し、おかしな夢だったんですよね」
「…………ふうん……。どういう風に?」
「えっと……。──見たこともない、でも、何処かの陣の天幕の中だっていうのは判る場所に、ルカ・ブライトと、サウスウィンドゥを攻めたソロンって将軍と、ジョウイと、後他に何人か、ハイランドの将の人達がいて。ルカが、ソロンのこと、処刑するのしないの、って言ってて……。その辺ははっきり覚えてないんですけど、その後、ジョウイがルカの前に進んで、グリンヒルを自分が陥としてみせる、って誓ってる、そんな夢だったんです。……その時は、変な夢見たなー……って、それだけで済んでたんですけど……、その後…………──」
「──本当に、ジョウイ君はハイランドに戻っていて、グリンヒルは陥落した……」
「……ええ。その次の夢は、ジョウイがルカに、あの人……えっと……レオン・シルバーバーグ、でしたっけ? ──あの人のことを紹介してる夢で。その次は、ジョウイがルカに、ジル・ブライトと結婚させて下さいって言ってる夢で。この間見た夢は、ルカとジョウイが結託して、アガレス皇王を暗殺する場面の夢で。昨日は……えっと……」
「え、昨日も見たの?」
「はい。見ました。但、昨日のは一寸良く判らない内容で、ジョウイとレオンって人が、僕達の軍の誰かをどうこう……って話してる夢だったんですけど。兎に角、そんな夢ばっかり見るんですよね……。で、大抵、見た夢が正夢になるから、最近は、夢にジョウイが出て来ると、飛び起きるようになっちゃって……」
「……そうなんだ」
相変わらず、寝転がって空を見上げたまま、この数ヶ月見続けて来た夢の内容を、憶えている限りカーラが語れば、ユインは考え込むような素振りをして、遠く、湖面を見詰めた。
「あ、でも。これから先、何がどういう風に動くかの予想の話、シュウさんが良くしますから。それ、聞かされてる所為だと思いますよ。その影響受けちゃって、そういう夢ばっかり見るんだと思います。……大丈夫ですよ、その内見なくなりますよ、夢なんですし。慣れちゃえば、変な夢も見なくなって、疲れも取れますから。……すみません、心配させるようなこと言っちゃって」
軽く、膝を抱えるようにして、じっと湖面を見詰め始めたユインの横顔は、怖いくらい真摯で、こんな話、しない方が良かったかと、カーラは申し訳なさそうに、少々身を縮めた。
「……ああ、いいよ、そんなこと気にしなくて。黙っていられるよりは、言って貰った方がいい。気に懸けられるしね。……さ、そろそろ、中に戻ろうか。ケーキでも食べに行く? 疲れてる時の甘い物って、美味しいからさ」
…………故に、だろうか。
見詰めていた湖面より視線を外し、にこっと、何時もの調子で笑って、それまでの風情を何処へと飛ばし、立ち上がったユインは、手を差し伸べカーラを起こし、彼を連れて、レストランへと向かった。