傭兵砦の北、今は廃村と化してしまったトトの村近くを流れる川の畔で、流されて来たカーラを拾ったのは、今度降る雪は、今年最後の雪になるかもと、そんな風に思える頃だった。
それから数週間が過ぎ、逃げ延びたミューズの街で、カーラ達と一緒に牢屋に放り込まれていたユインと再会したのは、そろそろ春も終わるかな、と感じられる時期だった。
…………あれから、数ヶ月が経って。
相変わらず、カーラも三年振りに再会したユインも、目の届く範疇にいて。
……ま、それはそれで、成り行きの一つかと、思わないではないが…………。
──────……と。
その日、午後一杯を、二人きりで立ち合いをすることで過ごしたらしいカーラとユインが、他愛も無いことを語りながら、レストランの片隅で、ケーキと紅茶を頬張っている姿を横目で眺め、ビクトールは思った。
ミューズの街でユインと再会出来たことは、正直嬉しかったけれど、どうせそう遠くない未来、あいつは又、行き先も告げず、グレッグミンスターに叩き返したというグレミオだけを伴って、何処かへ消えてしまうんだろうと、未だミューズの街が平和だった頃、ビクトールはそう考えていたが。
あれから、短くはない月日が流れ、気が付けば、もう季節は晩夏と言える頃合いで、なのにユインは、同盟軍の盟主となった、カーラの傍にいる。
飄々した風を吹かせて生きているようなユインにとっても、確かに辛かった筈のトラン解放戦争を経たのに、この同盟軍にて、カーラの──即ち盟主の『補佐』のような役割を、正軍師より押し付けられても、嫌な顔一つせず、きちんとその役をこなしている。
だから、三年前のあの戦争のことを良く知るビクトールは、あいつは何を考えているんだろうと、時折、いたたまれなくなるような瞬間をユインに対して覚えていた。
すれど、当人がそれに甘んじていられると言うなら、それはそれで構わないとも思っていたし、実の兄を慕う如く、カーラがユインを頼りにしているのも、実の弟を可愛がる如く、ユインがカーラを気に懸けるのも、決して、悪いことではないとも、彼は思っていた。
…………だが、ビクトールが、そんな風にカーラとユインにまつわることを、何処となく気楽な調子で考えられていたのも、昨日までの話で。
ユインとカーラの二人が、余り人の行かない湖畔の一画で、二人きりで立ち合い稽古をしていた時、ひょいっと……本当に、ひょいっと、何の前触れもなし。
「久し振りー。元気だった? ビクトールさん。相変わらず、厄介事に首突っ込んでんだってね。同盟軍の幹部に、フリックさんと二人揃って収まってるって噂聞いてさ。訪ねて来たんだよ。……でさ。頼みがあるんだけど。──懐かしい面子がここにいるって聞いて、この城覗きに来て、女の子達に粉掛けて歩いてたらさー、凄い剣幕で叱られちゃってさー。挙げ句修羅場になっちゃって、逃げて来たんだ。……匿ってくれない?」
三年前と、これっぽっちも変わらない、見た目のノリだけは至極軽い調子を見せながら、唐突に現れ、匿ってくれないか、と言って来た彼──シーナと再会した時。
「相変わらずだな、お前…………」
再会の挨拶もそこそこに、呆れたような声音を放ちつつ、シーナを見下ろしながら、ふっと、ユインとカーラのことを思い、ビクトールは。
……これは少しばかり、何かが変わるかも、と。
予感とも言えない何かを覚えた。
──その予感は、シーナ、という存在そのものに覚えた感覚ではなく、シーナが、現・トラン共和国大統領、レパントの子息である、との立場へ覚えたそれだった。
同盟軍の正軍師殿は、ハイランドを討ち倒す為ならば、如何なることも厭わない性分をしているから、ユインの正体を良く知っていたように、シーナの正体も良く知っているだろう彼ならば、この城にシーナがやって来ているのに気付いたら間違いなく、シーナを利用してでも、トラン共和国と同盟を結ぶ道を考えるだろう、と、ヘラっと笑ってみせたシーナの横顔──それは彼の、対外的な表情の一つだ──を眺めながら、想像したビクトールは。
もしも、同盟軍の力を増させる為、本当にシュウが、トランとの同盟を計ろうとしたら、カーラは、トランへ行くことになって。
そして、トランのグレッグミンスター城へ赴いたカーラは十中八九、ユインの過去を知ることになって。
執拗なまでに、カーラ達に己の氏素性を隠して歩いているユインが、その当のカーラに自身の正体を知られたら、ユインは今度こそ、この城を出て行くかも知れない。
そうして、ユインがここを去ってしまったら、ユインを心の拠り所の一つにしている風なカーラが、『悪い』変化を見せるかも知れない、……と。
咄嗟に、ビクトールは思い巡らせた。
けれど、だからと言って、絶対に己の言い分を曲げない、あの正軍師を思い留まらせる術など何処にも見当たらない。
戦争に勝つ為に、それも致し方ないと言われれば、多分反論の余地はない。
故に。
ケーキと紅茶を頬張っている、ユインとカーラの二人を横目で盗み見ながらビクトールは、ややこしいことにならなけりゃいいが……、と、秘かに祈った。
…………だが、それより二日程が過ぎた時。
彼が想像した通り、城内に見慣れぬ人物がいること、見慣れぬその人物は、トラン共和国大統領子息であることを嗅ぎ付けたシュウが、カーラを呼び、「彼の国と同盟を結びたいと思うのですが」と言い出して。
「うん、それがこの軍の為になるなら、僕は構わないと思うけど?」
シュウの進言を受けたカーラは、居合わせた、トラン解放戦争経験者達が、揃って複雑そうな表情を浮かべたのに気付きはしたものの、きょとん、とした顔を作るのみでそれを受け流し、恐らく、『わざわざ』シュウが拵えたのだろう任をこなす為に、その時、カーラの傍にユインがいられなかったのも手伝って、誠にあっさりと、トランへ赴くことを決めてしまった。
シュウに宛てがわれた任をこなしたユインが本拠地へと戻って来たのは、軍議の席で、トランと同盟を結ぶとの決議が為された翌日だった。
帰城し、お帰りなさいと出迎えたカーラから、「明日、トランまで出掛けるんで、付き合って貰えますか?」と聞かされた彼は、ほんの一瞬のみ、「ヤラれた……」という表情を頬に掠めさせたが、カーラがそれに気付くより先に、その気配を引っ込め。
「……うん、いいよ。首都の、グレッグミンスターまで行くんだっけ?」
「はい。一寸遠いんで、帰って来たばかりで疲れてるだろうユインさんにお願いするの、申し訳ないかなって思うんですけど……」
「ああ、そんなこと、気にしなくってもいいよ、別に」
急な話で御免なさい、と頭を下げ掛けたカーラに彼は、笑みのみを見せた。
…………尤も。
その日夜半、カーラの知らない所で彼は、どうしてこんな話になったんだ、と、ビクトールやフリックやシーナを捕まえて、散々苦情をぶつけたらしいが。
誰にどんな嫌味を放ってみても、トランへ赴くという予定は覆らず、時は流れ、夜は明け。
ユインとカーラは、フリード・Yと、シーナと、ルックの三名を伴って、明くる日、トラン共和国目指して出立した。