ビクトールやフリックや。

例えばシーナ、例えばルック、それから、アップルや、タイ・ホーやヤム・クーや、メグやビッキー達が、三年前、トランで起こった解放戦争に参加して、戦って、そして、赤月帝国を討ち滅ぼし、共和国を打ち立てて……、とした話を、カーラもそれなりに、聞いてはいた。

盟主となって直ぐの頃から、時折シュウに強要されるようになった『お勉強の時間』、解放戦争に関することが記された書物も、若干は読んだ。

でも、偶然なのか必然なのか、シュウが選んできた書物には、どれもこれも、トランの英雄の名までは記載されていなかった。

解放戦争を戦い抜いたこと否定しない仲間達の誰一人、カーラにトランの英雄の話を語ってはくれなかったし、名すら、教えてはくれなかった。

トランの英雄、その存在が、禁忌であるかのように。

なのに、このグレッグミンスター城の博物室に飾られている物、置かれている物、全て、『ユイン』が、ユイン・マクドール──トランの英雄その人であると、知らしめている。

禁忌処か、誇らし気に。

だから、それは禁忌である筈がなくて、己が知り得ても良いことで、だと言うのに、充分過ぎる程『彼』を知っていた誰も。

これまで、彼が『彼』であると、教えてはくれなくて…………、と。

「…………どういうこと?」

仲間達を振り返ったカーラは、はっきりと、顔色を変えた。

「それ、は……。えーとだな、カーラ……」

無表情、と言える程に顔の色を変えたカーラに、シーナは返す言葉を失った。

「シーナさん、僕は別に、怒ってる訳じゃないよ……? 但。何で、ユインさんがトランの英雄なの? 何で今まで、それを皆、黙ってたの? 知ってたのに、どうして黙ってたの? ……って。……それを聞きたいだけだよ…………」

「だから、そ──

──何で? どうしてユインさん、そのこと、僕には…………?」

「……知らない。そんなこと、僕達に解る訳ないだろ。只、あいつが黙ってて欲しいって、そう言って来たから。だから僕達は、あんたにはそれを教えなかっただけ。理由が知りたいんだったら、口止めした当人に直接訊けば?」

しかし、口籠ったシーナとは対称的に、ルックはきっぱり『理由わけ』を告げ。

「………………そっか。……そうなんだ。──御免ね、ルック、シーナさん。……うん、ユインさんに、直接訊く……」

そうだよね……、と、カーラはぎこちない笑みを浮かべ、静かに口を閉ざし、僅かばかり肩を落として歩き進み、城の正門を潜った。

「……ああ、カーラ。お疲れ様。どうだった?」

────大きなその門を潜った直ぐそこには、ユインがいた。

カーラ達を待ち侘びているような風情で佇んでいた彼は、出て来たカーラ達に、近寄り話し掛け。

「……同盟の締結の方は、上手く行きました……。レパント大統領が、快く、申し出を受けてくれて……」

「そう。良かったね」

「…………ええ。それで…………」

「? ……ん? 何?」

「レパント大統領、に……、教えて貰っ、て……、胸像も、見て来ました…………。ユインさん、なんですか……? トランの英雄の、ユイン・マクドール、って。……ユインさんのこと、なんですか……?」

今、この場でこの話をするのは……と、カーラとて思わないではなかったけれど、ユインが『トランの英雄』その人であったこと、そしてそれを、ユイン本人も、他の誰も、自分には教えてくれなかったこと、その事実を知った所為で、控えの間で感じた疎外感と、きっとユインにとって自分は、『その他大勢』と一緒でしかないんだ、との、何処となくもやもやした気持ちは独りでに、どうしようもない程の寂しさと、『その他大勢』よりも尚悪い、に変わってしまったから。

カーラはユインに、何かをぶつけてしまいたくなって、思わず。

眼前に立った彼を見上げ、『そのこと』を口にした。

「………………そうだ、カーラ。一寸、久し振り、な人に会わせてあげるよ」

が、カーラの問いには答えず、ユインは軽く笑って彼の手を引き、グレッグミンスターの街中を歩き出した。

────何処へ、とも。誰に、とも。

尋ねることさえせずにカーラは、引き摺られるまま進み、残りの三人も黙って、彼等二人の後に続き、ユインに案内されるまま、グレッグミンスター城から程ない、瀟洒な館ばかりが立ち並ぶその一画の中でも、頓に瀟酒と言える館の玄関先に、一行は辿り着いた。

「……ここ、は……?」

「入れば解る」

重厚な作りの扉の前に立たされて、漸く、無言だったカーラは声を発したが、それでもユインは、碌な答えを返さず。

「…………ただいま」

ノックを打ち鳴らし、家人の応えも待たずに開け放った扉の中へ、『帰宅』を告げつつ踏み込んだ。

「……『ただいま』? …………ここ、ユインさんの家ですか……?」

ユインの声で囁かれた、ただいま、の一言が意外で、カーラが目を見開けば。

「……そうだよ。ここが、僕の生家。………………あの戦争の頃までは、僕の父、テオ・マクドールが。そして、今は僕、ユイン・マクドールが、主の家」

薄い笑みのようなものを、ユインは浮かべ。

「ユインさ……──

「…………はいはい。どちら様……って、ただいまってことは、クレオさんですか、パーンさんで………………────。……坊ちゃんっ! 坊ちゃんですかっ? 本当に、坊ちゃんなんですねっっ!? ほんっとーにもーーーーっ! 今の今まで、何処ほっつき歩ってたんですかっ! 連絡も寄越さないで、グレミオがどれだけ心配したか……と…………──。……って、あれ? カーラ君……?」

彼へ向け、カーラが何かを言い掛けた処で、屋敷の奥から姿を見せた、確かにユインの言う通り、カーラにとってもユインにとっても、久し振りの対面となるグレミオが、二人を見付けて騒ぎ始めた。

不意打ちのような形で、ユインに生家へと連れて行かれ、再会したグレミオが騒ぎ出した為。

『これ』が一応、ユインの答えであるのだろうと、そう思いながらも、彼にぶつけてしまいたかった何かを、自分にも納得出来る形でぶつけることが叶わなくなってしまったカーラは、その『何か』を持て余したまま、さりとて、ユインに突っ掛かることも出来ず、にも拘らず、なし崩しの形で、マクドール邸にて一夜を過ごすことになってしまった。

出来れば一人になって、色々と気持ちの整理を付けたかったから、一応控え目に、宿屋に行く、と告げてはみたものの。

ユインと親しい者達を、このグレッグミンスターの街で宿屋に泊まらせたとあっては、何処にも欠片も立つ瀬がない、との勢いを見せたグレミオに、

「例え、マリーさんの宿屋だったとしても、坊ちゃんのお客様を宿屋になんて泊まらせたら、私の面目が潰れますっ!」

と、猛烈な勢いで引き止められてしまったから、渋々カーラは、この館への滞在を承諾し、お世話になる代わりに、と、やはり猛烈な勢いでそれを辞退したグレミオを説き伏せ、夕食の支度を手伝い、その後は何時もの態度で、けれどユインとは言葉を交わさず、白鹿亭で別れた後、自分がどうしていたのか、つらつらと語るグレミオのお喋りに付き合い。

「……カーラ。……一寸、いいかな」

一切の言葉を交わそうとしなかった自分のことを、宛てがって貰った客間の扉の前で待ち伏せていたユインにそう言われても。

「…………御免なさい。僕、疲れてるから、今日はもう寝ます。……お休みなさい、ユインさん」

俯いて視線を合わさず、彼は、部屋に引っ込み、着替えもそこそこに、ベッドの中へと飛び込んで、どうして流れて来るのか解らない、涙を堪えながら、声をも押し殺して。

一人、泣いた。