「…………何時か、こうなるかも知れないって、解ってたんだろうに。どうして、こうなるまで黙ってたのさ。馬鹿じゃないの? あんたって」

──バタン、と、高い音を扉に立てさせ、客間へカーラが引っ込んでしまった後。

どうしようか、思案し倦ねている風に、閉まったばかりの扉の前でユインが佇んでいたら、何処からやって来たルックが、ぶっきらぼうに言った。

「……馬鹿で結構」

「…………大方、泣いてるんじゃない? カーラ。……あんたが、自分には教えてくれない秘密持ってるらしいって気付いて、いじけてたから。泣くかもね、お子様だから、あれも。…………それでも、あの子が可愛い、って言うんだ? あんな風に、一人いじけて泣かせても、あの子が可愛いって? ……あんた、可愛いって思うモノに対する意識の傾け方、間違ってるんじゃないの? ……ま、僕はどうでもいいけどね。何時か泣きを見るよ、って。疾っくの昔にそう言ってやったんだから」

「………………だから。泣きなんて、疾っくの昔に見てるよ。そう言わなかったっけ? ──なるようになった。……それだけのことだよ、ルック」

けれど、姿現すなり嫌味を言い放ったルックへ、ユインは只肩を竦め、くるりと踵を返し、ルックをその場へ一人残すと、自室へと引っ込んでしまった。

初めて出逢った時から数ヶ月が過ぎて、やっと己の正体を明かし、生家へと案内し、あの日、『子分』と言っていたグレミオは従者で、彼の他にも、クレオやパーンという『家族』もいると、カーラのその目にも見せ付けたのに、ユインは、これまで通り、祖国を離れてから世界各地を彷徨った三年の間も共にいたグレミオをグレッグミンスターに置いたまま、デュナンの城へ、今までと全く同じ立場で、取り敢えずは戻る、と、マクドール邸で一夜を過ごした翌朝、カーラに告げた。

それを告げられた、少しばかり目許を赤くしたカーラは、一晩が経っても未だ、いじけているような素振りを見せ続けてはいたが、だからと言って、ユインと袂を分かつつもりなど毛頭ない彼は、又、坊ちゃんに置き去りにされる、と、いたく不満そうなグレミオに心の中でだけ謝って、ユインさんがそう言うなら、と、一先ずは頷き。

だから朝食後、もう一度、今度はユインも伴って、グレッグミンスター城に赴き、ユインがカーラと共にいることを知ったレパントが引き起こした、「何としてでも、トラン共和国大統領の椅子に、ユイン殿を!」の騒ぎを、辛くも、ではあったけれどかい潜ってから、デュナンへの帰路へ着いた。

──誰一人として欠けることなかった一行の道中は、山賊騒ぎで慌ただしかった先日とは違い。

居心地悪そうにしているシーナもルックも、カーラと同じく、昨日までユインがトランの英雄であることを知らなかったフリードも。

ユインの顔をまともに見られないカーラも、カーラが見遣ってくれないから、大人しくしているしかないユインも、必要最低限の言葉すら、碌に放たなかったから。

それはそれは重苦しい雰囲気に包まれた、いたたまれないものだった。

名医であるリュウカンに診て貰って、すっかり回復したコウ一人だけが、元気溌剌にしていて、そんなコウを伴ってですら、重苦しい以外の何ものでもなかった雰囲気は、コウを家へと送り届けて、バナー村を後にしてよりは一層、重苦しいを通り越して、痛々しい、になった。

そうして、ピリピリした雰囲気を手放さぬまま、彼等は本拠地へ帰還し。

「お疲れ様でした」

……レオナの酒場の一角で、カーラが告げたその一言の直後、彼等は沈黙のまま、それぞれの場所へ散った。

「………………やっぱり、バレたか?」

──トランから、カーラとユインが帰還したとの報と、同盟の締結は上手く行ったらしいが、トランで何かが遭ったらしい、との噂を聴き付け、カーラと分かれ、一人、船着き場の片隅に腰掛け、釣り糸を垂れつつ風に吹かれていたユインの傍らへ、ビクトールがやって来て、座りもせずに彼は、開口一番そう言った。

「……うん」

「で、どうするんだ? ……ナナミの話では、カーラの奴、何だかいじけてるらしいぞ?」

見下ろして来るように話し掛けて来たビクトールへ、これ又、振り返りもせずユインが応えれば、相方と一緒にやって来たらしいフリックが、今度は話し掛けた。

「どうする、って……。別に? どうもこうも」

「何で。……カーラだって、本当の処は未だガキなんだ。単に、三年前のトランのことを良く知ってる連中には公然のことだったのに、そんな俺達も、お前自身も、お前の本当のことを、自分には内緒にしてた、ってのが、気に喰わないだけだろうさ。仲間外れにされたみたいな感覚でいるんだろう」

「……そうだね。ビクトールの言う通りかもね。カーラは一寸、拗ねてるだけなんだろうと、僕も思うよ」

「だったら、何時だったかこいつにはお前が話した理由を、カーラにもきちんと話してやれば、済むことだろう? 過去の自分とカーラが重なって、でも、過去が過去だから、つい隠した、って。そう、カーラに言ってやればいいじゃないか。そうすれば、全て元通りだ。あいつの機嫌、直してやれよ」

「うん。フリックが言うみたいにすれば、収まるんだろうな、って考えてるよ、僕も」

自分を捜してやって来て、代わる代わる話し掛けて来るビクトールとフリックへ、それぞれ同意を返しながらも、ユインは、釣りを止めようとも、振り返ろうともしなかった。

「……何だ。お前もいじけてんのか?」

「ふーん。僕がいじけてるように、ビクトールには見えるんだ」

「……だから、そうじゃなくってだな……」

────これが、良い機会なんだと思うよ。……なーんかねー、それを考えるとねー、ちょーーーっと、『裁き』の一発もカ況してやろっかなー、とか思うんだけどねー。……あの正軍師殿。…………シュウ。彼は、カーラがトランへ行けば、そして僕に懐いてるカーラの頼みを断り切れずに、僕もトランへ舞い戻ることになれば、必ずこうなるだろう、って。判ってて、話を運んだんだと思うから。だから、『良い機会』なんだよ」

「…………ん? どういう意味だ?」

「なーに言ってるんだか。……一寸考えれば判るだろう? フリック。──トゥーリバーはハイランドの手から守ることが出来て、グリンヒルは奪われたけれど、テレーズの奪還は叶った。マチルダとの同盟は上手く行かなかったけれど、あの騎士団の勢力の半数が、同盟軍に与して、ハイランド第三軍を率いていたキバ将軍達も、同盟軍の傘下に加わった。……これで、トランと同盟が結べれば。何とか、でしかなくとも、同盟軍は、ハイランドと真っ当に戦えるようになる」

「…………ああ、そうだな」

「ハイランドと真っ当に戦えるようになる、ということは。上手くすれば、ルカ・ブライトとも戦える、ということで。……そうなった同盟軍……の正軍師にとって、『過去の英雄』──しかも、『隣国の英雄』は、邪魔以外の何者でもないんだよ。ま、元々あの人は、僕のことが目の上のたんこぶで、何時か排除したいって思ってたみたいだから、今更なのかも知れないけど。今更だからこそ、わざわざ、『カーラ自ら』、僕を退けたがるような方法、取ったんだろうね」

「だが…………。それこそ、今更、だろう……? それの、何が『良い機会』なんだ……?」

湖面に垂らした釣り糸を、ゆらゆらと揺らがせながら、水面を見詰めつつ、軽い口調でユインが二人へと語れば、ビクトールとフリックは顔を見合わせて、困ったように彼を見下ろした。

「確かに、お前やシュウの言う通り、同盟軍や、同盟軍の正軍師にとって、トランの英雄って存在は邪魔なんだろうって、俺達だって思わなくもない。でもな、ユイン」

「何?」

「お前がトランの英雄であろうとなかろうと、お前はここでは、カーラ同様、兵士達の注目を注がれる存在なんだ。正直、こんな噂のことは口にしたくもないが。この軍の希望で、『癒し手を持った救い主様』であるカーラと、救い主様を守るように、常に傍らにいる、あー……、その…………──

──『絶対の死を与える、死神様』? 遠慮することなんてないじゃないか、ビクトール」

「…………ああ。だから、その、な。そんな風に言われちまってるカーラと、そんな風に言われちまってるお前がいるってことは、疾っくの昔に、ここの軍の兵士達の、支えの一つになってる。二人がいるから、自分達は負けない……ってな。だから、それこそ、ルカ・ブライトと一戦交えられるかも知れないって今の段になって、シュウが邪魔だと言うからと、お前に抜けられたら…………」

「……それにな、ユイン。例え、ルカ・ブライトと戦えるかも知れない程度の戦力が整ったとしても、この軍は未だ、脆いんだ。カーラが駄目になったら、あいつに何か遭ったら、瓦解してしまうだろうくらい、この軍は脆い。所詮、寄せ集めの軍隊なんだ、ここは」

「…………だから? 何が言いたいんだい? フリック」

「言わなくても判るだろうが、それこそっ! ……カーラは、お前のことを凄く慕ってる。実の兄貴みたいだ、って。隠し事をされただけでいじけるくらい、お前は、俺達の軍の絶対の支えであるカーラの、拠り所、なんだよ。なのに今、お前が消えたら、カーラの奴、潰れちまうかも知れないじゃないか」

──顔を見合わせて、そのまま。

再び、傭兵達は口々に、風情の一切を変えぬまま、暗に、この城を離れる、との意思を匂わせて来たユインの、説得に掛かった。

「……今直ぐ、離れるつもりなんてないよ。でなきゃ、ここに帰ってなんて来ない。……もう間もなくやって来るだろう、ルカ・ブライトとの一戦、それの片が付くまでは、付き合う。…………でも、それ以降は、ね。……うん。だから、これは『良い機会』なんだよ。僕が、カーラの傍を離れる為の一歩目としてはね。……僕は少し、カーラに入れ込み過ぎたんだと思う。……大丈夫、カーラだって、簡単に潰れはしないよ。あの子は、強いから。──平気。僕も、カーラをいじけさせたまま、何処かに消えたりはしない。約束する」

けれど、二人の説得を受けてもユインは、匂わせた意思を曲げず、ゆらゆらと揺れ続ける湖面と、その湖面をゆらゆらと漂う、釣り糸の先のみを見詰め。

「夏が終わる頃には、ルカ・ブライトとのことも片付いて。上手く事が運べば、戦争も終わるかもね。……丁度いいねえ。死神様、なんて、過去の亡霊が消えるには、持って来いの季節だ。寒々しい季節に、怪談ってのもねー」

決して笑えない、冗談めいた科白を、ぼそりと洩らした。