────たった一人の人との別れが辛くて、揺れ続ける彼と、揺れ続ける彼に遠くから、詫びを告げる彼とが。
夜陰に紛れて佇む中、戦いは始まった。
人々に、化け物、と言わしめる程に強い、ルカ・ブライトを追い詰める仕事は、同盟軍の者達にとってもかなり難儀な仕事で、けれど、シュウの策は成り、彼は確かに追われ。
最期の最期まで、思うがまま生きた、ルカ・ブライトなる狂皇子は、デュナン湖の畔を見下ろす小高い丘の上で、同盟軍盟主カーラに討たれ、その生涯を閉じた。
同盟軍は、彼に、勝ったのだ。
だからその夜、両軍入り乱れた深い森にて、同盟軍の者達が放つ歓喜が沸き上がり、勝利を噛み締めながら人々は、意気揚々、軽い足取りで、本拠地へと凱旋を始めた。
……だが、確かにルカを倒したのに、居城へと戻る、カーラの足取りは何処か重たく。
「どうした、カーラ」
「元気、ないぞ? 疲れたか?」
共にルカ・ブライトを追い詰めた、ビクトールとフリックが、彼を囲んだ。
「そうじゃ、ないけど……」
「ならもっと、嬉しそうな顔しろよ。俺達は、あの男に勝ったんだぞ?」
「うん…………」
相方と二人、カーラを挟むように両脇を占め、並んで歩きつつフリックが声を掛けたが、彼は俯くのみで。
「……本当に、どうした?」
「………………ユインさん、が。この戦いが終わったら、さようならの挨拶に行くから、って……。そう言って来て……」
「……何だ。まーだ喧嘩してたのか、お前等。いい加減仲直りしろ。お前も機嫌直せ。っとに……。お前にしても、ユインにしても…………」
ぼそっと言った彼に、ビクトールは呆れ。
「だって……」
「だって、じゃない。──嫌だろう? 擦れ違ったまま、ユインと別れるのは。後味悪いだろう? 例えユインが、ここを出て行くことになっても、仲直りしときゃあ、又何時でも会えるかも知れねえじゃねえか。お前が何を拗ねてるか、俺は知らないがな」
今直ぐにでも何とかしろ、と彼はせっついた。
「うん……。だけど今更、どうしたらいいのかなんて、判らないよ……」
そこで漸くカーラは、地面へ向けていた視線を持ち上げて、傭兵達を見比べ、が、どうしたら……、と、声と瞳を揺らし。
「……………………そうだ、カーラ。一つ、良いこと教えてやる」
逡巡を見せてからビクトールは、チョイチョイとフリックを呼び寄せ、何やらを耳打ちし、ああ、という顔付きになったフリックと二人、今度はゴソゴソと、カーラの耳許で代わる代わる、その『何やら』を囁いた。
「…………そんなこと、教えて貰ったって……」
囁かれた某かに、カーラは一瞬、へっ? と目を見開いたけれど、直ぐに彼は、表情を戻す。
「まあ、いいじゃねえか。仲直りの切っ掛けにでもするんだな。多分、それを言ったら落ち込むぞ、ユインの奴」
「そうそう。多分、黄昏れるな、あいつ。──自分がトランの英雄だってこと、お前に黙ってたあいつに、復讐の一つでもしてやれ。そうすれば、少しはすっきりするだろう?」
だから、励ますように。そして少しばかり無責任に、何かを楽しむように。大丈夫、何とかなるって、と、ビクトールとフリックは、カーラの背を叩いた。
────……だが、傭兵二人組に授かった『悪知恵』を、実践するより先に。
本拠地正門を潜るや否や、喜びに満ちた表情で出迎えてくれた仲間達の前にてカーラは、ふらりと、石畳の上へ倒れ込んでしまった。
暗闇の中からふっと浮き上がって、見開いた瞳に最初に映ったのは、仲間の医師の顔で。
「……ホウアン、先生…………?」
彼の名を呼びながら、カーラは、どうして? と、問い掛ける風にした。
「正門の所で、倒れられたのですよ。覚えておられませんか?」
「…………あ、そっか……。そう言えば……。────ホウアン先生……。僕、どれくらい倒れてましたか……」
「あれから、三日経っていますよ。……気付かれて良かった……。大分、顔色も良くなりましたしね。……でも、無理して起き上がったりなさらないで下さいね。倒れられた夜は、生きるか死ぬかの境を彷徨われたんですからね。大人しく、寝ていて下さい。私が良いと言うまで、ベッドから出てもいけませんし、起き上がってもいけませんよ」
「…………生きるか死ぬか……?」
一応は動く首を巡らせて、きちんとホウアンの瞳を捕まえてみたら、安堵したような顔付きはしている医師に、きつく申し渡され、そんな大袈裟な、とは思いながらも。
「あの……、ホウアン先生……?」
「はい、何ですか? 何か、欲しい物でも?」
「……そう、じゃなくて……。あの……ユインさんは……?」
ホウアンへと、彼は尋ねた。
「ユイン殿ですか? ……ああ、そう言えば、今日は未だお見掛けしていませんね。カーラ殿が倒れられた夜から、幾度もお見舞いに来られてましたが……、今日は一度も」
「そうですか……」
「では、私は皆さんに、カーラ殿が気付かれたと伝えて来ますから。少し、席を外しますね」
けれど医師は、何処にいるか自分は知らない、と首を振り、カーラを残して出て行った。
「…………ユインさん……」
医師が去った後、一人残された彼は、ぽつり、『彼』の名を呟き、たった今、起きるな、と言い渡されたにも拘らず、這うようにベッドから抜け出して、よろよろと歩き部屋を横切り、カーテンが下りている窓の外へ一度だけ目をくれ、ああ、今は真夜中なんだ……、と思いながら、廊下へと出た。
「……盟主様!? 起き上がられて大丈夫なんですかっ?」
──顔色が良くなったとは言っても、ホウアンのその例えば何処までも、倒れた夜に比べれば、の話であって、夜着のまま、真っ青な顔で出て来たカーラを見付けた不寝番の兵士は、驚きの声を掛けた。
「……大丈夫。御免ね、心配掛けて……」
「ですが……」
「…………平気。その……、一寸、お手洗い……」
慌てて駆け寄って来て、支えようとしてくれたのか、手を伸ばして来た彼に、咄嗟にカーラは嘘を吐いた。
「……あ、そう……なんですか……?」
「うん……」
そうして、又彼は、ふらふらとした覚束ない足取りで、薄暗い廊下の向こうへと消えた。
又、不寝番の者に見つかると、うるさいことになるからと、人気のない所ばかりを選んで、何とか見つからずに、カーラは、城の正門付近まで辿り着いた。
漸く、細い三日月が空に上がり始めた時刻であり、且つ、ルカ・ブライトを倒して日が浅いとの事実がそうさせたのだろう、正門を守る者達は、辺りに座り込んでのうたた寝の最中で、そっと、その脇をすり抜け彼は、街道へと続く道の端に立った。
夜着一つの体に、夏の終わりの夜風は冷たく、素足のまま、そこまでやって来てしまったから足裏は痛み始め、少し、痺れるような感覚をも訴え、カーラはそこに、ぺたりとしゃがんだ。
「……もう、行っちゃったのかな……。ユインさん……、もう、いないのかな…………」
──見えもしない、街道の遥か先を見詰め。
「…………ニャ……?」
どういう訳か、かなりの数の野良犬や、野良猫の住処にもなっている本拠地の『住人の一人』が、擦り寄って来た処を捕まえ。
「……もうね、あの人、いないのかも知れないんだって……。もう、会えないかも知れな…………っ……」
ニィニィと鳴く、その子猫を抱き上げ、抱き締め、カーラはポロポロ、泣き始めた。
「どうしよう……。もう、会えないかも知れないのに……。もう、いないのかも知れないのに…………っ」
暴れもせずに、大人しく抱き締められた子猫に、応えの返らぬ訴えを続け、唯々、泣き濡れ続け。
細い三日月が、少しばかりその位置を変えた頃。
「カーラっ! こんな所で、一人で何をっっ」
駆ける足音を響かせ、怒鳴り声を送って寄越した誰かを、彼は振り返った。
「……ユインさん…………?」
「ユインさん、じゃないっ。何してたんだ、こんな所でっっ。君が何処にもいないって、城の中は大騒ぎだ。やっと目覚めたばかりなのに、何だって……。──ああ、もう……っ。体冷えちゃってるし、素足のままだしっっ。又、意識無くしたらどうするんだっ。……ほら、戻るよっ。言い訳は、後で聞くからっ」
ぎゅうっと、子猫を抱き締めたまま振り返り、やって来たのが誰かを知って、間抜けな顔で首を傾げたカーラを、ユインは叱り飛ばし、その腕から子猫を取り上げ、急くように抱き上げた。
「…………あの……、御免なさい……」
「御免なさいじゃない。起き上がるなって、ホウアン先生に言われたろう?」
「……はい。…………だから、御免なさい……」
「………………もう……、余り脅かさないでよ……。何処に消えたのかと思った……。……本当に、何してたの、あんな所で……」
「…………ユインさんが、もう、何処かに行っちゃったのかと思って……。知らない内に、『さよなら』になっちゃったのかな、って……。だったら、追い掛けたいって……、そう思ったんです……」
抱き続けていた子猫のように、大人しくユインに抱かれつつ、知らぬ内に煌々と、城内中の灯りが灯された本拠地へと戻りながら、カーラは、ここにいた理由を語った。
「………………行かないよ。何処にも、行かない。少なくとも、君にさようならの挨拶もせずに、消えたりはしない。だから、部屋に戻って。大人しく寝るんだよ」
すればユインは、呆れたように、溜息を付いて、良く見知った仲間達が、カーラは何処へ消えたと、右往左往している城の扉を、足早に潜った。