ユインへは、どうしてお前は何時もそうなんだ、と。
カーラへは、どうしてお前は、ユインを見習うようになってしまったんだ、と。
端で聞いていたビクトールとフリックが、ぶちぶちぶちぶち言いたくなるようなやり取りを、本拠地屋上の片隅で、ユインとカーラの二人が、延々続けた後、今度は傭兵二人組も交え、何やかやと話し込み、やがて彼等は、酒場にでも行こうかと口々に言い合い、立ち上がった。
「あ、先行ってて下さい。僕、一寸用事がありますから」
が、ユインや傭兵達が腰を上げても、カーラだけはその場に留まり。
「そうなの?」
「はい。シュウさんの所に、顔出さないといけないんです」
「……ああ、あの人の。──なら、先行ってるね、カーラ」
「ええ、後から行きますから」
野暮用を済ませてから後を追うと彼は告げ、ならば、と残りの三人は、階段を降りて行った。
階下へと続く扉を開け放ち、一段一段降りて行く最中も、相変わらず賑やかな三人を、カーラは、しゃがみ込んだまま見送って、喧噪が去ったからだろう、何処からか飛んで来て、ちんまりと彼の脇に降り立ち、「遊んで?」と言わんばかりに懐いて来たムササビのムクムクを取り上げながら彼は、ユイン達と話し込んでいた時とは打って変わった、何処となく暗い表情を浮かべた。
「ムクムクぅ……」
そして彼は、己の目の高さまで持ち上げたムクムクの顔を覗き込みつつ、困り果てたような声で、人語を話さぬ相手に、喋り始める。
「ムア?」
「聞いてくれる……?」
「……ムアー?」
「僕、最近、変なんだよ」
ぱたぱた、とても小さな足をばたつかせながらも、大人しく抱えられているムクムクに、カーラが独り言を話し始めれば、話し相手を務めているつもりなのだろうムクムクは、ムアムア、相槌のような物を打ち始めた。
そんな『友達』を、カーラは益々、抱き締めるようにして、ぶちぶち、小声での語り掛けを続けた。
「ユインさんと仲直りしてから、僕、変なんだよ。……ユインさんと仲直り出来たことが凄く嬉しくって、少なくともこの戦争が終わるまでは一緒にいてくれるって、そう言って貰えたことは、もっと嬉しくって」
「…………ムウ」
「僕は、同盟軍の盟主になっちゃって。ジョウイは、ハイランドに帰っちゃって。ルカ・ブライトは倒せたのに、戦争は未だ終わらないみたいだから、僕達はこれからも、ジョウイ達と戦わなきゃいけないかも知れなくって。……戦争、しなきゃいけなくって。……なのにね。ユインさんが何処にも行かないでいてくれるんなら、今直ぐ戦争が終わらなくってもいいかな……なんて、思っちゃうこともあるんだよ。……おかしいよね、それって」
「ムアー……」
「………………ホントに、判って返事してる? ムクムク……。──ねえ、ムクムク……。どう思う? 僕、やっぱり、変? って言うか、変だよね? 絶対、変だよね……? ユインさんと離れたくないからって、戦争終わらなくってもいいや、なんて思うの、変過ぎるよね……? ユインさんと一緒にいると、何て言うかなあ……、少し、舞い上がっちゃうみたいな感じにもなるし」
「…………ム……?」
「ム? じゃなくて。…………ムクムク。ねえ、ムクムク。僕、もしかして、ユインさんのこと好きなのかな? 本当のお兄ちゃんみたい、とか、そういう意味じゃなくって。ユインさんのこと、好きなのかなあ……。でも、そうだったら、どうしよー………………」
「……ム、ムアァっ?」
「…………………………。お前ってさ、人間の言葉、判ってるんだか判ってないんだか、今一つ、謎だよね……。──あーもー。ムクムクに愚痴言ってみたって、どうしようもないのに……」
──確かに、入れるには正しい相槌、と言えないことない声を放ちつつ、カーラの言い募ることにムクムクが『応える』から、ああでもないの、こうでもないの、こじれていたユインとの仲が以前のように戻ってより、心秘かに抱えていた悩みを、ぐちぐちとカーラは訴えたが。
例え、人語を解そうとも、どうしたってムクムクには人の言葉は話せないので、こうしていても、誠無益だ、と思ったのか彼は、溜息付きつつ、ムクムクを抱えたまま立ち上がった。
──カーラ達がグレッグミンスターを訪れたあの日より今日までに、過ぎた日々は約四十日。
…………その、四十日の間、カーラとて、只、八つ当たりだと判り過ぎていた感情を持て余して、拗ねていた訳ではなく。
拗れていた関係を元通り修復出来たのを、只、手放しで喜んでいた訳でもなく。彼は。
どうしてユインのことになると、こうも、自分で自分のことを押さえられないんだろう……、との疑問を切っ掛けに、これまでのことと、今のこととを、深く考え始め、結果。
自身としては、余り辿り着きたくなかった『結論』が、うすらぼんやり見え始めたのを知った。
もしかしたら自分は、ある日突然出来た、実の兄のような人として、ユインのことを慕っているのではなくて、恋愛の対象として、想っているんじゃないだろうか、と。
…………本当に、掛け値無し、ユインのことをそういう風に想っているのだとしても、好きになった彼と『どうこうしたい』、と具体的に望める程、カーラは大人ではないが、それでも、男である自分が、男である、兄のような人を好きになってしまったかも知れないという『推測』を得るということは、パニックに陥る事態の何物でもなく。
しかし、だからと言って、慌てるしかない心の内を、馬鹿正直に態度に反映し、つい先日まで、八つ当たりだと判っていても拗ねることを止められなかったあの時のように、ユインとの仲が再びおかしくなっても嫌だから、彼は、慎重に慎重を期して、普段通りに振る舞うよう、心掛けてはいたけれど。
「…………そういうことを意識するっていうのが、もう、変だよね…………」
楽しく話をしていた先程も、内心では、どうしたらいいのかな……、と悩み続けていた彼は、自分で自分に、虚しい突っ込みを入れて。
「本当に、どうしよう、ムクムク……」
上手い具合に飛び込んで来た、人語を話さない故に、思う存分愚痴を零せるムクムクを抱いたまま、取り敢えず、シュウさんの処行かなきゃ……、と、溜息付き付き屋上を去った。
カーラになら、どのように抱き上げられても、大抵の場合大人しくしているムクムクだけれども、ユインとのことを悩む余りのカーラには、抱く手の加減が出来なくて、とうとう、腕の中でムクムクは暴れ始め、けれど、何故ムクムクが暴れたのかにすら思い至れぬまま、シュウの所に顔を出し、「貴方はムササビと一緒になって、何をやっているのですか」と、彼が叱られていた頃。
一足先に、レオナの酒場に腰を落ち着けていたユインは、ベトー……っと、例えは悪いが、湖の片隅で澱む濁った泥のように、円卓の上に上半身を投げ出した姿勢で、ビクトールとフリックを見上げていた。
「……何なんだ、一体…………」
「お前は未だ、俺達にイチャモンを付けたいのか……?」
そんなユインの様は、何処からどう見ても、行儀が良いとは言えないそれだったが、覇気が生まれないからそうしている、ではなく、何か『抱えていること』があるからそうしている、と、一応、ビクトールとフリックの目には映り、カーラと二人、散々俺達のことをいびって、挙げ句制裁まで加えたのに、未だ言い足りないのかと身構えた。
「いや、二人のことじゃなくって。……カーラ」
「カーラ? 何だ、未だ何か、わだかまってることでもあんのか?」
が、ユインは、ノタノタと身を捩りながら、そうじゃないと、ヒラヒラ片手を振り、そういうことならと、ビクトールは漸く、腰の座りを落ち着けた。
「ううん。お陰様で、カーラとの仲は良好。少なくとも、戦争が終わるまではここにいるよって約束もしたしね。だから、この間までの僕とカーラのこと、じゃなくって」
「……じゃなくって?」
「なーんかねえ。この間までのアレとは又違う意味で、カーラ、変なんだよねえ……。何処が、って言われると僕も困っちゃうんだけど、変な時、変な風に、変なタイミングで僕のこと避けるんだよね、この数日」
「避ける? ……まさか。そうは見えないぞ?」
「……うーん、避ける、って言うか。逃げ出す、って言うか。兎に角、そんな感じ?」
「…………はあ」
「僕、何か変なことでもしたかなあ? そんなこと、した覚えないんだけどねえ? これまで、カーラには悪いことして来ちゃったから、もう、泣かせるような真似はしたくないんだけど。……おかしいなー……。どうしちゃったのかなー、カーラ……」
「アレじゃないのか? 廻りが騒ぎ出す程、お前とのことで臍曲げて、急に仲が戻ったから、未だ照れ臭いだけなんじゃないのか?」
自分達に災いが降り掛からないならば、何でも話を聞いてやると、余裕を見せ始めたビクトールに、ぶつぶつとユインが話を振れば、ビクトールと一緒になってそれを聞いていたフリックが、どうせその程度の単純な話だろうと、ユインの悩みを笑い飛ばした。
「…………気楽に出来てていいよね、フリックは。体内成分、『気楽』と『不幸』で構成されてるんじゃないの? 僕にしてもカーラにしても、結構繊細に出来てるんだから、そんな風に片付けないでくれる?」
「……一寸待て。『気楽』と『不幸』で俺が出来上がってるって、どういう意味だ。……それに。カーラは兎も角、お前は……──。……あー…………」
「………………カーラは兎も角? 僕は? 何?」
「……何でもない…………」
ユインのことを笑い飛ばしたら、軽いジト目が返って来たので、ついうっかりフリックは噛み付いてしまって、更には、又、虎の尾を踏むような真似を仕掛けてしまい。
「…………馬鹿。余計なこと言うんじゃねえ……」
どうしてこいつは学習しないのかと、ビクトールは呆れた。
「まあ、そんなことはどうでもいいんだけど。……気の所為かなあ。考え過ぎならいいんだけど」
だから、フリックの相手はビクトールに任せて、ユインは円卓との『親睦』を一層深め、それより、カーラがシュウより開放されて酒場にやって来るまでの間、延々、独り言を零し続けた。