「…………あのね、カーラ」

──『運命の船』が出航して、シュウ達三人が、『手筈』を整える為に奔走し始めた頃。

湖上を行く船の上で、ユインは、カーラに話し掛けた。

「はい?」

「一寸……訊いても良いかな」

真っ直ぐ、コロネの方角に向けられた舳先辺りで、風に吹かれていた処を呼び止められて、カーラは小首を傾げた。

「何ですか?」

「聞かせて欲しいんだ。本音でね。…………君は、正直どう思ってるの? ジョウイ君のこと、信じてる? それとも、罠だと思ってる?」

きょとん、とした顔をして、振り返って来たカーラへ、何時も通りの笑みを向けつつ、が、ユインは、真剣な顔付きになった。

「…………え、っと……。本当は、信じたい気持ち半分、疑ってる気持ち半分、です。ナナミには言えませんけど……」

「……そっか……。成程」

「皆の言うことも、もっともだと思いますし。ナナミの言う通り、ジョウイはそんな奴じゃない、とも思いますし……。でも、ジョウイはアナベルさんを……、とかも思います。…………けど、幸せの為に、この地に平和を……って言ったジョウイの気持ちが、変わってしまったとも思えないから、嘘じゃないよね、とも。………………あの……」

「……うん」

「…………ホント言うと。本当に、判らないんです。嘘なのか、本当なのか。ジョウイがどんなつもりでいるのか。何にも判りません。唯、僕がミューズに行って、ハイランド側と交渉をすれば戦争が終わるかも知れないって可能性があるなら、行ってみても悪くないかなって……。それだけ、しか…………」

真摯に問いながらも、刹那ユインの湛えた笑みが、余りにも何時も通りだったから、釣られたようにカーラも笑って、けれど、徐々に彼は表情を固くし、やがて、俯いた。

「……カーラ。そんな顔しないで。大丈夫だよ、そんな、困ったような顔しなくったって」

「そう……ですか……?」

「うん。大丈夫。心配しないで良いよ。僕達だって、いるんだし。ね? 出た所勝負になるかも知れないけど、平気。もしも、何かが起こったら、必ず守ってあげる。君のことは勿論、テレーズのことも、ナナミちゃんのことも」

困惑しきりの顔を作って、うっすら、己の決断を後悔しているかのようにカーラが俯いたので、慰めるようにユインは、カーラの頭を撫でて、又、笑った。

「……はい。有り難うございます。ユインさんがいてくれるから、安心してます、僕」

だからカーラは、俯かせた面を持ち上げて、にこっ、と笑い返し、それに応えるようにしながらもユインは、微かに、カーラより目線を外した。

船を使ってデュナン湖を越え、コロネの街に上陸し、街道を辿ってミューズへと入って、ジョウストンの丘で、数ヶ月振りに対面したジョウイを見遣り、随分と、厳しい表情を作るようになった……、と。

そんなことをカーラは思いながら、『敵国』の皇王になってしまった親友と対峙した。

こんな風に再会せざるを得ない自分達だけれど、再会出来たことは嬉しいと、その気持ちを伝える為、ほんの一瞬だけ、己が同盟軍盟主だということを押しやり、何の屈託もなくキャロで過ごしていた頃のような笑みをカーラが送ってみせても、ジョウイは、にこり、ともせず。

が、目線だけは、中々合わそうとしないで、淡々と、自分とカーラ──ハイランド皇王と同盟軍盟主が会談を行うことになった理由を、果たそうとした。

「…………和平交渉、を?」

ジョウイの態度が、そんな風だったから、カーラも又、着席もしない内に、ジョウイへと向けた一瞬の笑みを引っ込め、盟主然とした声で、『皇王』へと語り掛けた。

「……カーラ」

すればジョウイは、漸くカーラの瞳を捕らえ、同盟軍の面々を迎えた時のまま、立ち尽くして。

「カーラ。降伏をして欲しい」

ぽつり、囁くような声で、ジョウイは、カーラに請うた。

「降伏…………?」

──その『申し出』に、カーラははっとし。

「それは、どういうことかしら? ハイランド皇王殿?」

傍らで、ジョウイの発言を待っていたテレーズは、眉を顰め。

「どういうことも、何も。御覧になられた通りですよ、テレーズ・ワイズメル殿。──同盟軍には、直ちに降伏をして頂く。無条件降伏を。従えないと言うのなら……、結果は、お判り頂けると思うが」

ジョウイの斜め後ろに控えていたレオン・シルバーバーグが、潜ませていた弓隊へと合図をしつつ、カーラとテレーズの方へと、一歩進み出た。

「……ジョウイ? 何で……?」

レオンが降伏を突き付け、彼の命に従った兵士達が弓鳴らしつつ姿を見せれば、今度は、茫然とした顔付きになったナナミが、泣きそうな声で、ジョウイを振り仰ぐ。

「…………ね……。平和の為の、話し合いをするんじゃないの……? だって、そうでしょ……? ジョウイは、ルカ・ブライトを何とかして、この戦争を終わらせる為に、私達を置いてまで、ハイランドに戻ったんでしょう……? 違う……? だから……、ルカは死んだんだから、ハイランドと同盟軍が戦争を止めれば、何も彼も元通りでしょう……? …………ねえ、ジョウイ。ジョウイはカーラと、その為の話し合いをするんじゃないの……?」

今にも涙が溢れ出しそうな程、潤んだ瞳でナナミはそう言い募り、ジョウイを見遣ったが。

「ナナミ。戦争も、国も。そんなに簡単に、どうこうはならないんだよ……。────カーラ。お願いだ、今直ぐ、ハイランドの軍門に下ってくれ。でなければ僕は、君を倒さなくてはならない……」

ジョウイは、ゆるゆると首を振り、ナナミより視線を外して、カーラを見詰めた。

「ジョウイ……」

「……幼馴染みとして、ではなくて。それぞれの立場の者として、僕は君に問う。……同盟軍盟主、カーラ殿。ハイランド皇国に、降伏をしてはくれまいか」

そうして、彼は、その問いに対する答えなど、一つしか選ばせない、との勢いを篭めて、カーラへ詰め寄った。

………………故に。

それより暫し、ジョウストンの丘の議場には沈黙が降りて、僅か俯くようにしていたカーラは、するりと面を上げ。

「…………ハイランド皇王、ジョウイ・ブライト殿。その申し出を受け入れることは、同盟軍としても、同盟軍盟主としても、出来ない」

きっぱりと、要求を拒否した。

「受け入れて貰えなくても、僕は君を、帰すことは出来ない」

「何と言われても。受け入れることは出来ない」

「カーラ…………殿。これは、ルカ・ブライトの起こした戦争を終わらせれば済むだけの話ではなくて、もっと、大きな……──

──だからと言って。同盟軍が、ハイランドに全てを差し出さなくてはならない理由なんて、何処にも……」

「……カーラっ。判ってくれなくてもいいっ。僕は君を、失いたくはないんだ、だから……っ」

「そんなこと言われたってっっ。出来ないものは出来ないっっ。……出来ないよ……」

──カーラが、眼前に立ったジョウイへ拒否を告げたから、それを切っ掛けに、カーラとジョウイの、始まりは静かな、が終いには叫び合いに近くなった『話し合い』は続いた。

「埒があかん……。──弓隊! 同盟軍盟主を討て!」

……最初の内こそ、同盟軍盟主とハイランド皇王の交渉として、それ相応と思えた二人のやり取りが、徐々に、様相を崩してきたのを見て、レオンが低く唸り、弓隊へと命令を放った。

「ルック! シーナっ!」

が、レオンが弓隊へと命じる声を掻き消すように、黙って成り行きを見守っていたユインの声が、高く上がり。

「判ってるっっ」

「言われなくてもっっ」

ルックも、シーナも、ユインの声に応え。

「待ちな、ジョウイ、レオンっ!」

丁度そこへ、どういう訳か、ここへは同行しなかった筈のビクトールが、事もあろうに、幼いピリカを伴って、飛び込んで来た。

「え……? ピ……ピリカ……? ──駄目だ、止めろっ! 矢を放つなっ!」

幼い少女の姿を見付けたジョウイの焦りの声は上がり、その急の展開に、ハイランドの兵士達は、浮き足立つ。

「カーラ、今の内に逃げるんだっ。ビクトール、カーラをっっ」

その隙にユインは、左手で棍を掴み直しながら、空いた右手を掲げ、素早く詠唱を唱え、カーラが、振り返りもせず議場を駆け出して行くのを横目で眺めると。

「大きな口を叩くのは、僕を倒してからにしなね? ──ソウルイーターっっ」

薄ら寒い、とすら言える笑みを湛えて、魂喰らいを放つべく、輝き始めた右手を振った。

────ユインの手から放たれた、『紋章』が、その大きな部屋を覆い尽くしたのは、ルックやシーナに守られながら、ジョウイやピリカに後ろ髪引かれている風なナナミが、無理矢理、ビクトールに引き摺り出された直後で。

あっ……と、逃げ出して行った同盟軍盟主一行に気を取られていた弓隊は全て。

一瞬の、内に。

「…………さて。ジョウイ君? ──ああ、久し振りだね、レオン」

己の齎した『結果』を一瞥し、満足そうな息を吐き、再びの笑みを湛え、弓弦の鳴る音もしなくなった、静かな議場でユインは、ジョウイとレオンの二人を向き直った。

「……久しいですな、ユイン殿。お変わりないようで」

「まあね。そっちこそ」

自分達へ向けられたユインの声に、飄々とレオンは応えてみせたが、ジョウイは、縋り付いて来たピリカを抱き抱えたまま、睨むように彼を一瞥するのみで。

「…………ジョウイ君。君は一体、何を目指しているんだい? 残念ながら、僕には君が、見えないよ。君の幸せは、大切な『二人』が平和に暮らせるような、そして、その子のような子供が生まれぬ、穏やかな国を得ることじゃなかったっけ? そうやって、カーラに君は言わなかった? ……ねえ、ジョウイ君。君は一体、何の為に戦っているの?」

溜息を付きたそうな顔をして、ユインはジョウイに、話し掛けた。

「……そうですよ。貴方の言う通りです。僕は、その為に戦ってます。……いえ、その為に、戦い始めました。……でも、戦い始めた今は、もう……。──……貴方になら、解るでしょう? トランの英雄だった、貴方になら」

すれば漸く、ジョウイはユインへと口を開き。

「解らないな」

ユインは、ジョウイの言葉を斬って捨てた。

「…………ユインさん……」

「解る訳ない。──秤に掛けることが、悪いとは言わない。僕や、君や、カーラの置かれた立場は、そういうことを求められるからね。…………でもね。目的と手段を履き違えるような行いは、僕には認められないな。況してや、こんな方法。僕は絶対、認めないよ。……言ったろう? グリンヒルで。求める幸せは、その両手で掴める程度にしておくのがいいよ、って。……多くを望むと、僕のようになるよ。そして、君と僕とでは、余りにも立場が違う」

「……でも。貴方に何を言われた処で。僕はもう、引き返したりはしませんよ……」

「ああ、それは違うな。『引き返さない』んじゃないよ、ジョウイ君。……君は、『引き返せない』んだ。…………だって、そうだろう? 自分の意志で引き返さないと言うんなら。アナベルを殺した君が、何故、そこに立っているんだい?」

…………そうしてユインは、謎掛けのような科白を、口調だけは何処までも軽く投げ続け。

「じゃ、又ね? ……ああ、心配しなくてもいいよ? カーラは、僕が守るから」

にこっ……と笑って彼は、まるで、行き掛けの駄賃とでも言うように、新たにやって来たハイランド軍の兵士を、軽々討ち倒してみせつつ。

「『死神様』の噂は、伊達じゃないよー?」

一瞬だけレオンを振り返って、冗談めいたことを言いながら、議場の外へと消えた。

「………………だから、僕は……っ」

──風のように消えて行った、ユインの背へ、その時、ジョウイは唇を噛み締めながら、誰にも届かぬ呟きを吐いた。