────四〇〇年を生きた、吸血鬼の手より守る為、又、今まで、何をどう告げても、カーラの率いる同盟軍と手を結ぼうとしなかった彼の街と、これを機に、盟約を結べるかも、との思惑の為、彼等が向かったティントは、一応は暖かく、彼等を迎えてはくれた。

だが、同盟軍とティントと、ギジムやコウユウ達山賊、共に手を結んで、ネクロードを倒そうと取り決めた翌日、朝、件の吸血鬼は、堂々と人々の前に姿を見せ、己と死者のみが『平穏』に暮らす為の国を、ここティントに築く、と言って退け、一先ず退散して行き、その直後、今度は、アナベルが死に、ミューズが陥落したあの夜より、杳として行方が知れなかった、アナベルの部下のジェスが、カーラや、ユインや、ナナミの前に姿を現して。

……それは、紛うことなき、『誤解』だったのだけれども。

アナベルを殺したのはお前達ではないのかと、酷い剣幕で迫って来た為、カーラは。

少しばかり、追い詰められてしまった。

………………そう、ジェスとの再会、投げ付けられた科白、それは、カーラにとって、酷く痛手だった。

そしてその出来事は、ナナミにとっても痛手なことで、その夜彼女はカーラを捕まえ、アナベル様を殺したのはお前達なんだろうとか、ハイランド人だった連中に、都市同盟を守られる覚えはないだとか、そんなことを言われてまで、同盟軍で戦う必要なんてない、もうこんなのは嫌だ、だから逃げよう……と、そう縋ったが。

彼は、大切な義姉の懇願を、ジョウストンの丘でジョウイを振り切った時のように懸命に振り払って、……が、結局。

確かに自身の意思で、同盟軍の盟主として留まると決め、ナナミの願いを打ち捨てたけれど、それって……、と、以前にも増して落ち込んでしまった。

なのに、出来事は一向にカーラを待ってはくれなくて、翌朝ジェスは、ミューズ市軍の将軍だったハウザー達を率い、人々が止めるのも聞かず、ネクロード討伐に向かってしまい、それが追い打ちとなって彼は、自分の無力さに絶望したような顔付きになった。

……だから、そんなカーラを見兼ねてユインは、後のことは引き受けるから、息抜きでもしておいでと、彼を散歩に出向かせ。

ユインの気遣いに甘えることにした彼は、昨日の今日で、ナナミと二人きりでいるのも気まずいからと、たった一人で、吸血鬼が攻め入って来るかも知れないとの危機に晒されても尚、普段通りの営みを止めないティント市を、彷徨い始めた。

「行っておいで。でも、遅くならないようにね?」

そんな言葉でユインに見送られ、市庁舎を後にしたカーラは、これと言って行く当てもないけど……、と、気侭に足を動かし、市街地の外れへと向かった。

ティントは鉱山の街だから、町外れのそこかしこに、至極当然のように坑道が口を開けていて、ここの処のゾンビ騒ぎも、昨日の吸血鬼騒ぎも、その目で見ているだろうに、鉱夫達は相変わらずの素振りで、その坑道へと出入りしながら、威勢良く仕事をし続けており、そんな場所の一角へと辿り着いたカーラは、近くに坑道が窺える道端に、ちょん……と座り込んで、抱えた膝に頬杖を付き、ぼんやりと、仕事に勤しむ男達を眺め始めた。

琥珀色の瞳で見詰め始めた男達は、何処までも普段通りで、彼等の姿をじっと見詰めていると、吸血鬼騒ぎも、ゾンビ騒ぎも、何処か遠い世界の物語のように思えて来て。

……同盟軍とハイランド皇国との戦いすら、遥か遠い場所で語られる、夢物語と錯覚出来そうで。

僕がこうしていなくても、世界はきちんと動いて、営みは何一つとして変わらなくて、だとするなら僕は無用の存在で、なら、僕は一体、どうしてここにいるんだろう……、と、彼はつらつら、そんなことを考え始めた。

僕がいたって、僕が何かをしようと足掻いたって、世界は毛筋程も変わらなくて、僕なんかこれっぽっちも必要なくて、だったら、ナナミを泣かせたりなんかせずに、逃げてしまえば良かった。

きっと、そんな簡単な話では終わらないんだろうけど、同盟軍の皆を、多分ジョウイは庇ってくれる。なら、僕の命一つでこの戦争が終わるなら安いと、あの時、降伏を受け入れてしまえば良かった。

ユインさんが好き、ユインさんの傍にいたい、唯それだけを願って、僕がここにいると言うなら…………、と。

一人、道端にしゃがみ込んでカーラは、そんなことすら思い煩った。

「…………大体さ。ユインさんは男で、僕も男で。好きだの何だの想ってみたって、叶ったりする訳がないんだよね……。男の人が、男に好きですー、なんて言われたって、気持ち悪いだけだよねえ……。──盟主としても駄目で、人としても駄目で……。ああもう、僕、どうしてここにいるんだろう……っ」

────思い煩いの果て。

最初の内こそ、胸の中でのみ呟いていた愚痴を、彼はやがて声に出して嘆いて、ばさりとそのまま、しゃがんでいた道端の草むらへと寝転がった。

段々と、頭の中がぐちゃぐちゃになって来て、自分が何を一番悩んでいるのかも見えなくなって来て、全部が支離滅裂で訳が判らなくて。

暫しの間、草むらに寝転がっても尚、愚痴を零していたけれど、そんなことにも疲れ果てた彼は、夕べ、一睡も出来なかったのも手伝って、そのまま、うたた寝をし始めた。

すうっと、午前の柔らかい日射しに、吸い込まれるように。

──だから、カーラがうたた寝を始めた時、太陽の位置は未だ低くて、不意にうたた寝から目覚めた彼は、目の中に飛び込んで来た陽の眩しさに、きつく目を細めた。

どうして辺りがこんなにも眩しいのか不思議で、少しの間彼は悩み、が直ぐに、ああ、外でうたた寝をしてしまったんだ、と、そこで漸く、己を目覚めさせた辺りの喧噪に気が付いて、のそのそと、体を起こした。

「…………え……?」

そうしてみれば、ぱっと視界の中に、辺りの風景が飛び込んで来て、彼は、眩しさと眠たさで細めていた目を見開く。

「誰か! 助けて!」

「……ゾンビが!」

…………見開いた、そこには。

ネクロードの生み出したゾンビ達から逃げ惑う、ティント市の人々の姿があり。喧噪は、人々の悲鳴で。

「……嘘、どうして……? ジェスさん達や皆が、ネクロード討伐に向かった筈なのにっっ」

バッと顔色を変えて彼は、草むらの中より立ち上がった。

────慌てて周囲を見回せば、目が覚めた直後よりも遥かにはっきりと、何時の間にかティント市を覆った惨状が、目の中に飛び込んで来て、カーラは蒼白となりながら、腰に帯びていたトンファーを抜き構えた。

「逃げて! 皆逃げて、早くっ!」

ゾンビより逃げ惑う人々の波の中に突っ込み、声を張り上げ逃げろと叫び歩きながら、どうして、何時の間にこんなことに……、と、そう思いながらも彼は、一体一体、確実にゾンビを倒して廻る。

生者を倒した時に伝わって来る、如何とも例え難い嫌な感覚とは又違う、独特の気味悪さを与えて来る死人達の手応えに、背筋は酷く寒くなったけれど、そんなことには構っていられないと、視界に入ったゾンビの全てを何とか倒し終え、だが、傍目にも肩が上がる程息を荒げて。

「……逃げて……、早くっ。又、ゾンビがやって来るかも知れないからっっ」

先程から、幾度も幾度も逃げろと告げたのに、未だにその場に留まっている市民達を、もう一度、声で促しつつ、彼は、次の場所へ駆け出そうとした。

坑道の入口が幾つかあるだけの、寂しい町外れにすら、こんなにもゾンビが溢れ始めたのなら、街中はきっともっと、酷いことになっている筈と思って。

「ま……、待ってくれ!」

しかし、倒しても倒しても溢れて来るゾンビとの戦いで、疲れを覚えてしまった体を叱咤し、駆け出そうとしたカーラを、誰かの声が止めた。

「何?」

縋るように掛けられたその声に、動かし始めた足を留めて、彼は振り返る。

「あんた……あれなんだろう……? 同盟軍の、盟主なんだろう……?」

「え、そ、そうだけど……」

「だったら! だったら助けてくれ、頼む! 噂が本当ならあんたは、『救い主様』なんだろう? 癒し手を持ってるんだろう? だったら助けてくれ、頼むからっっ」

振り返ったその場所で、地面に踞ったままの男を見下ろせば、男は、心底縋るような声、縋るような眼差しで、カーラに訴えて来た。

「…………あ……。御免……御免なさい、怪我してる人がいるって、気付かなくって……」

だからカーラは、怪我人が出ていることにも気付けないくらい、余裕がなかった自分に舌打ちをし、慌てて、訴え掛けて来た男や、男の周囲の、同じような姿勢で踞っている人々へ駆け寄って、膝付き右手を掲げ、詠唱を唱え、輝く盾の紋章の力を、振るった。

「……あ、ああああ…………」

「噂は、本当だったんだ……」

そうやって、彼が力を使えば、瞬く間に、ゾンビに負わされた怪我が癒された人々は、目付きを変えて、一層、カーラに縋った。

「早く! 早く俺達も治してくれ!」

「こっちも頼む、女と年寄りがいるんだ!」

…………そうして、ティントの人々は、次々、カーラへと縋って。

まるで、神に縋るが如く、群がって、カーラの力を求めた。

「……ま、待って……。一寸待って……」

──それより長らく。

縋られるまま、求められるまま、次から次へと差し伸べられる沢山の手、一つ一つを握り返すようにして、輝く盾の紋章を、彼は開放し続けていたが、不意に、前触れもなく意識が遠退く感覚を覚え、待って、と、掴んでいた手の一つを離した。

「どうして!? お願い、止めないで! 私達を癒して行って!」

けれど彼の訴えに、群がった人々は耳を貸さず、力無くし掛けた彼の手を強く掴み、引いた。

「…………あ……っ……」

その所為で、ふらつき掛けていた彼の体は、ゆらっと揺らめき、大地目掛けて傾ぐ。

「……え? あっ」

「きゃっっ」

…………けれど、地面へと倒れ込む彼の体を受け止めようとする者は、誰一人としておらず、カーラはそのまま、赤茶けた、土の上へと倒れ込んだ。

「御免……なさい……。一寸……魔法、唱え過ぎたみたいで、疲れ…………──

どさりと、音を立てて倒れた彼を、それまで彼に縋っていた人々は、只遠巻きに眺めるだけだったが、何とか意識を保った彼は、無理矢理の笑みを浮かべ、立ち上がろうとした。

「……大丈夫なのか? あんた……」

「…………うん、平気だから……」

一度倒れはしたものの、ふらつきつつもカーラが身を起こせば、気遣うような素振りを見せはしたものの、人々は再び、先程と同じ気配を窺わせ始め。

「………………待って……。待って、今、唱えるから……っ……」

絶え絶えの息をしながらも、カーラは又、右手を掲げようとし。

「……もう無理だよ、カーラ」

────何時の間にか、その騒ぎの場へとやって来たユインが、擡げられた彼の右手を掴んで、止めた。

「……あ、ユインさん……。…………でも………」

知らぬ間に、己の傍らに寄り添って、その手を掴んだ人を見上げ、薄く、カーラは笑う。

が、ユインは無言のまま首を振り、そっと、けれど有無を言わさず、カーラを横抱きに抱え上げた。

「……お、おい! 一寸待ってくれ、俺達は、未だ……!」

カーラ以外の誰共、目も合わせようともせず、『救い主様』を連れ去ろうとするユインに、未だカーラ自身に紋章の力を振るう意思があるならと、誰かが叫びを上げたけれど。

「…………いい加減にしろ。僕達だって、神じゃない」

酷く冷たい一瞥を、叫びを放った者へと向けて、ユインは、静まり返った人々へ、くるり、背を向けた。