打つ手もないまま、ティントは、神出鬼没のゾンビ達に占領された。

その数は余りも多く、どう考えてみても、己一人だけでは一掃出来そうにもないと踏み、ぐったりしているカーラを抱いたまま、人々に、逃げろと告げつつ、ユインも又、ティントより脱出した。

死人のみに満たされた街を抜けて、ビクトール達と、ゾンビ襲来の騒ぎが起こったら、避難場所にしようと決めたクロムの村へ、彼は足先を向ける。

ティントとクロムを隔てる距離は、ほんの数里程でしかないけれど、クロムは、これと言った何かがある訳でもない村だし、ティントを手中に収めれば、ネクロードも一先ずは満足するだろうから、当面は安全な筈、と、そう判断した為だ。

だが、クロムへの、その数里程を辿る間に、抱き抱えたカーラの体が、見る見る冷え始め。

「……ユイン、さん……。ユインさ……」

自分の名を呼ぶ彼の声も、身も、震えが止まらなくなったので、街道から少し外れた、枯れた野原を進んでいたユインは、辺りを見回し、何とか見付けた、古い坑道の入口を潜った。

「一寸だけ、我慢して」

潜り込んだそこは、もう何年も前に閉鎖されたらしくて、人気も、魔物の気配もなく、かつてはトロッコを動かす為の線路の枕木だったのだろう、入口近くに幾つも転がっていた、朽ち果て掛けた木屑を寄せ集め、彼は火を起こした。

小さな種火を映された古い枕木は、とても良く燃え、少々大き過ぎるかと思える程、焚き火の火を高くしたら、在の者達にすら忘れ去られて久しかったのだろう、寒々しいその場所は、少しずつ温もり始めた。

「カーラ。大丈夫? 御免ね、毛布の一つもあれば、未だマシなんだろうけど」

起こした強い火が、暖を取れる程になったのを確かめて、ユインは、傍に寝かせてやったカーラを膝の上に抱き寄せ、火に当て、脱ぎ去った自身の上衣で包み込み、己が身をも使って、暖め始める。

「……大丈夫……ですよ……。別に、そんな……大したこと、じゃ……」

腕一本、碌に動かせぬままユインにそうされて、でもカーラは、平気、と笑ってみせた。

「…………嘘ばっかり」

「……嘘なんかじゃ……ないです……。本当、ですよ……? 紋章……使い過ぎると具合おかしくするのは……、良くあることですし…………」

安堵を齎すようにカーラが笑めば、ユインは顔を顰めて、それは嘘だと叱り、故にカーラは言葉を重ねた。

「カーラ、カーラ…………。カーラ……」

……と。

カーラが告げた言葉へ、ユインは益々顔を顰めて、泣き出しそうな風情さえ湛え、膝に抱えた彼の名を、幾度も呼びつつ、強く抱き締めた。

「ユイン……さん……?」

絡み付く腕の力はとても強く、抱かれた体に痛みを伝えて来るような気すらしたが、ユインが力を込め過ぎているから痛いのか、それとも、最初から体が痛んでいるからなのか、判らなく。

名を呼ぶ彼の声が、「君が紋章宿した時、とてもとても後悔した……」と告白して来たあの時ように、自身を責める風な響きを持っていたから、体の痛みなんてどうでもいいと、カーラは、ユインを労るような声を絞った。

「…………カーラ。もう、その紋章を使っては駄目だ」

さも、そんな声なんか出さなくても大丈夫ですよと、そんな調子でカーラが声を絞れば、ユインは一層声を震わせて、今度は、説き伏せるように言い出し始める。

「……何で…………?」

「言ったろう……? 僕は、三年間世界を放浪して、紋章のことを調べ歩いたから、君が宿した輝く盾のことも、良く知っている、と。──ああ。僕が最初から知っていたことは、もう一つある。どうしても、君に言い出せなかったことが、もう一つ……」

「…………え?」

「……カーラ? あの、魔法使いの彼女が言っていたように。君とジョウイ君が宿した紋章は、元々、二つで一つだったものだ。二つ合わせて初めて、始まりの紋章と言う、真の紋章になる物。……君達の紋章は、それ一つだけでは不完全なんだ。僕のように不老にはならない代わりに、宿した者の、命を削る。使えば、使う程……。紋章は、君の声を聞き届けて、皆を癒してるんじゃない。君の命と引き換えに、他人を癒しているだけだ。だからもう、そんな紋章、使っちゃいけない…………」

「…………僕の、命と……引き換え………………」

────意を決したように、ユインが告げ出したことに耳を傾ければ、聞かされた打ち明け話はそのような物で、カーラは、え……、と驚きに目を見開きながらも、ああ……と。だから、と。頭の片隅では、酷く冷静に納得していた。

そうだと言うなら、今までのことも、今感じ続けている眩暈も寒気も痛みも、全て納得出来る、と。

「…………だから、ね? カーラ。今になってこんなこと言い出して……って、そう思うかも知れないけど。もう、使っちゃ駄目だ、そんな紋章……。一緒に、それを封印する方法、考えよう? 君の養い親だったゲンカク老師も、一度は宿したそれを封印したんだから。君にだって、きっと出来る。だから…………っ」

目を見開いて、己が伝えたことを繰り返したカーラが、怒りや嘆きではなく、納得を覚えたなどと想像もせず、それ以上何も言わなくなった彼へ、ユインは説得を続けた。

「…………いえ、それは、出来ない……です…………」

けれど、カーラは。

己を抱き続けるユインを見上げて、薄く、儚く笑って、緩く、首を振った。

「どうしてっ!? 紋章を使い続けていたら、君は今まで以上に命を削られてしまうっ。…………それじゃあ何時か……何時か、死んでしまうかも知れない……っ。仲間や、傷付いた沢山の人を救いたい気持ちは判る、君が『救い主様』と呼ばれている事情も、呼ばれ続けなくちゃならない理由も、判ってるっ。でも、その所為で君の命が危なくなったら、元も子もないだろうっ」

紋章を使わずにいることも、封印することも、出来ない……、と、緩く首を振った彼へ、ユインは声を荒げた。

「…………大丈夫、ですよ……。僕はそんなに簡単に、逝ったりしません。──……傷付く人は、見たくないんです……。僕に出来ることがあるんなら、したいんです。それが、僕にしか出来ないって言うなら。……大丈夫です。平気、です……。紋章が、奇跡を起こしてるんじゃなくって、僕の命を削ってるだけだって言うなら、考えて使えばいいだけですし……」

けれどカーラは、怒鳴るようにユインに言われても、頷きは返さなかった。

「カーラ……。そんなこと……」

「難しい……ですか……?」

「……難しいとか、簡単とか。それ以前の問題だよ……? さっきのように、求められれば求められただけ、君は紋章を使ってしまうだろうに……。…………頼むから。お願いだから。もう、その紋章を使うのは止めて……? 僕はもう、君が苦しむ処なんて見たくもないんだ……」

「ユインさん……」

「………………言い出せなかった。今まで、どうしても言い出せなかった……。それ程までに厄介な紋章だって知ってたのに、どうして黙って見過ごして、宿させた……って。君に、そう言われるのが怖かった……。今更言ってみたり、考えてみたりしたって、どうしようもないことくらい判ってる。でもっ。まさかこんな風に……、こんなになるまで……、君の命が削られるなんて……思っても……──。…………いいや、思いたくもなくて……っ」

「……ユインさん。ユインさん……、本当に、僕は、大丈夫で……──

──大丈夫な訳ないっ。…………始まりの紋章は、この世界の創世の理のように、刃と盾を宿した者同士が戦うって、そんな運命を齎すから、この戦争が終わる頃にはきっと決着がついて、君の紋章も、どうなるにせよ定まって……って。そんな風に思った時期もあるけど、未だ未だ戦争は終わりそうにないのに、君はもう、こんな風でっ。だから、もう…………。………………お願いだ。お願いだから、もう…………」

切羽詰まる風に訴えても、頑にカーラが、自らの言葉を受け入れないから、幾度も幾度も、ユインは言葉を重ねて、終いには、本当に泣き出したかのように、抱き抱えたカーラの、肩口に顔を埋めた。

「…………ユインさん、あのね…………」

「……何……?」

「この紋章を宿そうって。そうジョウイが言い出した時……。僕、凄く躊躇ったんです。これを宿したら得られる強さ、って……、人が得て良いものには思えない気がする、そう思ったから……。……でも、強いってことに憧れて、これを宿すって決めたのは僕ですし……。……それに、決めたんです……」

「何を?」

「……ミューズで、ビクトールさん達に、一緒に戦わせて下さいってお願いした時も。同盟軍の盟主になるって決めた時も……。僕はもう、逃げない、って。自分を受け入れてくれた場所さえ捨てて、流れるしかないみたいに、只逃げて行くのは止めよう、って……。僕に与えられるものからも、僕がしたいと思うことからも、逃げないって、決めたんです……。だから、この紋章のことも、それの延長でしかなくって。……………でも………でも、今は…………──

──え? カーラ? …………カーラ? カーラっ」

「……今、は……。もしかしたら、僕……僕は唯、ユインさん……貴方の……………………」

泣いているかのように、ユインが肩口に頬を埋めても。

カーラは訥々と語り、そして意志を曲げず、でも……と、そう言い掛けて、不意に、体を弛緩させた。

「カーラっっ! カーラ…………?」

だから慌ててユインは顔を上げ、ぐったりとしてしまったカーラの顔を覗き込み、忙しなく、手袋取り去った腕を首筋に当てて脈を確かめ。

「……大丈夫、だよね……?」

深く息を吐き、彼は暫しの間、何かを言い掛けたまま意識を飛ばしてしまった、カーラの面を眺めた。

「何も彼も。全て。僕のエゴかも知れないけど……。でも、カーラ……。僕は君が苦しむ処なんて、見たくない。君が、父上やテッドのような………………──。……っ……」

────随分と長い間。

焚き火に照らされるカーラの横顔を眺めて。衝動に駆られたように、深く、カーラを抱き締めて。

「……やっと……。やっと判ったような気がする……。君に、僕の正体を隠し続けたのも。君の紋章のことを言い出せなかったのも。多分、そうなんだ…………。僕は……僕は君に、嫌われたくなかっただけなんだ、きっと……。…………カーラ、どうしよう……? もしかしたら、僕は、君を…………──。どうしよう……? どうしたら良いんだろう……? 君を失いたくなくて……。でも、君が苦しむのは嫌で、父上やテッドのように、君をソウルイーターに奪われるのも嫌だ…………。でも……、戦争が終わるまでは、傍にいる、って。約……束…………。カーラ……っ」

──ユインは。

聞く者もいない、告白を吐いた。