軽い手荷物を引っ掴んでいるような風情で本拠地の中庭を進み、何時でも、城の壁沿いにひっそり沿うように立って、城内を行き来する動物達の言葉に耳を傾けているような佇まいのバドの許へ行き、ユインは。

「お邪魔するよ」

にこっと笑い掛けても、常通り、無言のまま視線だけを向けて来たバドの眼前へ、ひょいっとムクムクを差し出した。

「…………離してやって貰えないか。随分と、嫌がっているから」

そうされてバドは、ユインとムクムクを見比べ、相変わらずムウムウ言い募っているムササビの言葉にのみ暫し聞き入り、その訴えを代弁した。

「そうしたいのは山々なんだけど。一寸、事情があって。──この間からムクムクが、何かって言うと僕に突っ掛かって来るんだよ。だから、この手を離すと、ムクムクに『苛められる』んだ」

「……ムッ。ムーーーーーーー!」

「…………苛めてはいないと。苛めているのはそっちだと、そう言っているが?」

「解釈の相違って奴でしょ、それは。──兎に角そういう訳でね。で、僕のこと苛めながら、何か言いたそうにもしてるんだけど、僕はムササビ語なんて理解出来ないから。申し訳ないけど、通訳して貰えないかな」

「…………ムア」

「………………だが……──

離す訳にはいかないと、ぷらんぷらん、バドの眼前でムクムクを『振りながら』、ユインが事情を語れば、一応バドは、横槍を入れて来るムクムクの代弁を続けてはくれ、が、その途中で彼は、不意に黙り込んだ。

「だが? 何?」

「ムアムアムアムアムア。ムアァーーーーーー。……ム」

「……そちらに語ることなど、ないそうだ。言いたくはない、と」

「は?」

「……は? と言われても……。ムクムクの言い分は、『言うことなんか何もない、お前が全部悪いんだ、馬鹿!』……だそうだから。私はそれを、只伝えている」

「………………馬鹿? ば・か?」

何故、バドが言い淀んだのか判らなくて、その先を促せば、やはり、代弁、という形で、彼はムクムクの言い分を伝えてくれ、誠正直に訳された『ムササビ語』に、ヒクっとユインは唇の端を引き攣らせた。

「……私が言った訳じゃない」

そんなユインの態度に、バドはうんざりしたように言って、このままでは駄目なのかもと、ユインの手の中からムクムクを奪い、己と向かい合わせになるように抱き上げ、以降完全に、ムクムクの代弁者となって。

「……それは判ってる。だから、ムクムクに言ってる。……何で僕がムササビに、馬鹿扱いされなきゃならないんだ。一体僕が何をしたと」

ユインは、バドに抱き上げられたムクムクの背中へジト目を送って、それより暫し、誠に不毛な会話を続けた。

「『自分の胸に、手を当てて考えろ』……だそうだ」

「……心当たりなんてないよ」

「『だから馬鹿って言ってるのに』」

「…………あー、もー、馬鹿馬鹿うるさいよ、ムクムク。僕に、何も言うことなんてないなら、全部僕が悪いだとか馬鹿だとか、言える筋合いじゃないじゃないか」

「『分からず屋。胸に手を当てて考えろって言ってるのに!』」

「判らない。判らないったら判らない。これっぽっちも、心当たりなんてない」

「『僕の幼馴染みを困らせておきながら、その言い種なんて。どうしてそんなに馬鹿なんだ』」

「……だから、馬鹿馬鹿うるさ…………──。僕の幼馴染み?」

────一人と一匹のやり取りは、お世辞にもレベルが高いとは言えない、小さな子供の喧嘩のようで、終点は中々見えなかったが、うっかり、と言った感じで、ムクムクが口を滑らせたから、そこで話はやっと、少しだけ進展を見せた。

「ムクムクの幼馴染みって、カーラとナナミちゃんとジョウイ君……だよね? 誰のこと言ってる? ムクムク」

「『……………………カーラ』」

「ということは。──僕が? カーラを? 困らせた? ……だから、ムクムクは怒ってる?」

「『……そうとも言う』」

「僕が……カーラを困らせるような真似……。──ティント……へ行く前から、ムクムクは僕に突っ掛かって来てたから、その前の出来事って言うと……。…………やっぱり、心当たりないけど……?」

「『もう言わない、何にも言わない。ぜーーーったい言わない。馬鹿馬鹿馬鹿、馬鹿ーーーーーっ! 全部全部、そっちが悪いんだからなーーーっ!』」

「………………そう言われても。……うん、でも、兎に角。僕のことでカーラが何か困ってるのをムクムクは知ってて。ムクムクの知ってるそれは、少なくとも、僕に体当たりを仕掛けたくなる程度ではある、と。……そういうこと、かな?」

「『…………一応、そう。そういうこと』」

「ふうん、成程……。じゃあ僕がカーラと話して、それを解決すれば問題はないんだ。ムクムクの八つ当たりも消える、と。……判った、そうしてみる。──バド、有り難う」

そうして彼等の話し合いは、一層の進展らしきものを見せ、ならば、全ての元を断てば良いとユインは、ムクムクの代弁をしてくれたバドに片手を上げて、身を翻し、本拠地の中へと駆けて行った。

余りレベルが高いとは言えない『口論』の果て、ムクムクの言う通り、己が原因でカーラを何やら困らせていると言うなら、速攻解決するのみと、勇んで──その実慌てて、本拠地の中へと飛び込み、『えれべーたー』を使うのももどかしいと階段を駆け上がって、最上階の、カーラの部屋の扉を開け放った処で、やっと。

「……ああ、そうか」

ユインは、カーラが今はシュウと二人、盟主としての執務を行っている最中だ、と思い出した。

故に、そんなことすら失念してしまうくらい、自分はカーラにイカレてるんだろうかと苦笑をしつつ彼は、カーラが帰って来るまでここで待っていようと、その部屋の片隅を陣取った。

未だ、午後の早い時間帯だけれど、ティントでの出来事に関する報告書をまとめるだけだから、それ程時間は掛かなかろうし、そのようなことを、カーラ自身も言っていたから、部屋の主が戻って来るのは、そう遠い未来ではない筈、そう信じて。

陣取ったソファの中に踞るようにし、彼は、カーラが帰って来るまでと、そっと目を閉じた。