己の部屋で、片恋の人が己を待っていることなど知りようもないカーラが、シュウより解放され自室へ戻ったのは、ユインがカーラの部屋への居座りを決め込んでから、三時間程後のことだった。

午後のお茶をするには遅過ぎる、が、夕飯に挑むには早い、所謂夕刻。

疲れた顔をしてカーラは、最上階の部屋の扉を開け放った。

「……あれ?」

シュウさんも、もう少し手加減してくれればいいのに……、と、ぶつぶつ口の中で愚痴を零しながら室内へ入れば、部屋を出る時、確かに閉めた筈の窓が一つ、盛大に開け放たれていて、そこより忍び込む風に頬を撫でられ、おかしいな、と彼は首を傾げる。

そうしてそのまま、首を傾げままの姿勢で、くるり室内を見渡し、一人掛けのソファの上に埋まっている風な人を見付けた。

「……ユインさん?」

面を伏せるように、深々、椅子へと身を沈めているのは紛うことなきユインで、今は眠ってしまっているらしい彼の名を、小声で呼びながらカーラは、そろそろ、ユインの傍らに近付いた。

「やっぱり、寝てる……のかな?」

足音を忍ばせ傍に立って、肘掛けに両手を付きながら跪き、そうっとカーラは、瞳閉ざされた顔を覗き込む。

けれど、そうしてみてもユインはぴくりともせず、そう言えば、眠っているユインの顔を、まじまじ見たことなんてなかった、と、一層、自身の顔を近付けた。

綺麗な顔立ちしてるなあ……と、ぼんやり、そんなことを思いながら。

「……起きてるよ」

すれば途端、ぱちりとユインの瞼が持ち上がって、悪戯成功の証のように、にこり、彼に笑われ。

「お……、起きてるなら起きてるって言って下さいっっ」

ユインの頬に息が掛かる程、近寄ってしまっていたカーラは顔を真っ赤にして、慌てて後退った。

「御免。僕が寝てるって、誤解してるみたいだったから。驚くかなー、って思って」

だが、照れと驚きを誤摩化す為、詰るように言っても、ユインはけらけらと笑うだけで。

「な、何か用ですか?」

この人のすることは心臓に悪い、とカーラは、床にしゃがみ込んだまま、彼に背を向けた。

「うん。一寸、話があって」

悪戯を仕掛けられたことに拗ねてしまったような態度で、ふいっとカーラが背を向けても、余り意に介したような素振りは見せず、ユインは椅子に沈んだまま、その背へと語り掛ける。

「……話?」

「大した話じゃない、……と思うんだけど。もしかしたら、大した話……かな……。──カーラは気付いてないかもだけど、この間っからね、ムクムクが、やけに僕に突っ掛かって来て」

「…………? はあ」

「酷い時には、体当たりとかカマして来るんだよ、ムクムク。だから、僕は何か、ムクムクに恨みを買うようなことでもしたのかな、って思って、僕にそんなことをする理由を訊いてみたんだ。バドに通訳して貰って」

「ムクムク……が、ユインさんに、体当たりをカマす……? それ、原因判ったんですか?」

「……うん、まあ。……ムクムク曰く、カーラが僕のことで──

──僕? 原因、僕ですか? ……って…………あああああ、もしかして…………っ」

──真っ赤になってしまっていると、鏡を見なくても判る熱い頬をユインに見られたくなくて、そっぽを向いたまま、語り掛けに耳を貸したら、ムクムクが、と相手は言い出し。

挙げ句、ムクムクの憤りを、バドに通訳して貰った、とも言い出し。

きょとん、……としながらカーラはユインを振り返って、途端、まさか! と、赤く染まっていた頬を、蒼白に塗り替えた。

自分絡みのことで、ムクムクがユインに体当たりすらカマそうとするような話など、カーラには、一つしか心当たりがない。

……そう、人語を解しはすれども喋ることは出来ないのを良いことに、延々延々、何度も何度も、それこそ最近では、来る日も来る日も、ムクムクを捕まえては零していた愚痴──ユインさんのこと、好きになっちゃった、どうしよう……、との『愚痴』、それしか。

だから彼は、話より、直ぐさまそれに思い当たって、ムクムクの熱い友情をちょっぴり恨み、この城には、動物の言葉が理解出来るバドがいるのを、失念していた己を心底呪い。

パニックに陥り。

「…………カーラ?」

「いいいい……い、いえ、あの、そのっ! だからっ! え、ええとっっ……。えーと、その…………」

散々ムクムクに零した愚痴を、バドを介してユインは知ってしまったと勝手に誤解し、ユインが、何を慌てて? と、驚きに目を見開き、不思議そうにしているのにも気付けぬまま、目を白黒させてカーラは、どうやって取り繕うかと、唯々慌てた。

「どうしたの?」

「どうしたって言うか、どうもこうもないって言うかぁぁっ! ユ、ユインさん、聞いちゃったんです……よね? ムクムクの話…………。僕が、その…………」

「……? うん。まあ、一応」

「ああああ、やっぱり……。…………その、あのっ。だから、あれは、そのっっ。えーと、嘘……じゃないんですけど、あの……嘘のようなものだと思って貰えたら、僕も気が楽かなって言うか、出来ればその、なかったことにして貰えると嬉しいなって言うか、僕にそんなこと想われたって、ユインさん多分迷惑だろうし、困るだろうし、だから、その……。ご、御免なさいっっ」

そうして彼は、カーラが何を言わんとしているのかこれっぽっちも理解出来なくて、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔付きになったユインへ、大声で、御免なさい、と告げると。

ばっと立ち上がって、その場から、逃げ去ろうとするも。

「…………待った」

走り出そうとした彼の腕を、ひょいっとユインは掴み。

「一体、何を慌ててるの? 僕には話が見えないんだけど」

強引に、カーラを自分の方へと振り向かせて、にっこりと笑った。

「え、だって、ムクムクから話を聞いたって……。ってことは、ユインさん、知っちゃったってことでしょうっ? だから……だから……っ。……離して下さいっ。僕のことなんて、放っといて下さいっっ。あーん、ムクムクの、馬鹿ーーーっ! 何もユインさんにばらすことないのにーーーっ!」

瞳を覗き込まれ、微笑まれ、カーラは勢い半泣きになり、筋違いとも言える八つ当たりを、この場にはいないムクムクへとぶつけて。

「…………ばらす?」

「聞いちゃったくせに、どうしてそんな態度取るんですかっっ!」

どうにも話が噛み合ないと、ユインが首を傾げたのを見て、とうとう感極まり、本当に泣き出した。

「…………ちょ、一寸待って。カーラ? 何で泣くの……?」

ぽろぽろと、小さい子供のように、身も世もなく泣き始めた彼に、ユインも慌てたけれど。

「だって…………」

「あのね。何か誤解してるみたいだから、言うけど。ムクムクは、何も僕にばらしてなんてないよ? 只、君が僕に関することで困ってるから、って。カーラが困ってるのは、全部僕の所為だ、って。それだけを言って来ただけだよ?」

「………………え?」

ムクムクから教えられたことは、たったそれだけのことだ、と彼が告げてやったら、ぴたり、カーラの涙は収まって。

「……僕に知られると、何か困ることでもあるの? 僕のことで、何に困ってるの? カーラが僕に対して何を想うと、僕が迷惑だと思ったり、困ったりするって考えてるの? ……僕はね、カーラ。ムクムクに、僕のことでカーラが何か困ってるって聞かされたから、なら、ちゃんと話し合ってそれを解決しようかなと、そう思ってここに来ただけなんだけど」

涙を収めた代わりに、先程よりも一層蒼白な顔色になったカーラの、両の二の腕を掴んだまま。

教えてくれると嬉しいな、と、ユインは、有無を言わせぬ笑みを湛えた。