カーラは、只の『子供』でなはい。
只の、『愚かなだけの少年』、ではないから。
低い小さな声で話し掛けて来たルックの言わんとしたことを、きちんと汲んだ。
ティントで、カーラ自身も初めて知った、紋章と己の体との関わりと、二週間程前に築かれたばかりの、己とユインの、恋人、という関係、それを、何故かルックは、知っているのかも知れない、と。
だから、ルックの話より『正しい想像』をしたカーラは、咄嗟の言い訳も思い付くこと出来ぬまま、ルックの傍より逃げ出す道を選び、駆けて駆けて、人のいない方いない方を目指して駆けて、ふと気が付いたら、ニューリーフ学園裏手の森の中を、以前、テレーズが隠れ住んでいた丸太小屋の近くまで、分け入ってしまっていた。
「……あ、いけない。こんな所まで来ちゃった……」
もし、ユインさんとのことを、ルックに知られていたら、と、顔だけでなく、首まで真っ赤に染めたまま走って、目の前に現れた木に両手を付きつつ肩で息をし、やっと、辺りの風景を確かめる余裕を取り戻した彼は、渋い顔をして、来た道を振り返った。
「戻らないと……。……あー、でもどうしよう……。本当にルックに、ユインさんとのこと知られてたら……。顔、合わせ辛い……。そ、そりゃ、悪いことしてる訳じゃないけどさ、恥ずかしいのは変わりないし、僕もユインさんも男だし、ルック、昔からユインさんのこと知ってるし……。……ううううう……。……大体、何でルックが知ってるんだろう、誰も知らない筈なのにぃ……」
身を返し、戻ろうと、一歩、踏み出しはしたものの、皆の所に行って、又ルックと鉢合わせた時、一体どんな顔をすればいいんだろうと、思わず彼は足取りを鈍らせ、暫くの間、その場にぼんやり佇んで、悪いことしてる訳じゃない、例えルックが僕達のこと知ってたとしたって、ルックはそれを言い触らして歩くような人じゃない、と自身に言い聞かせ、何とか踏ん切りを付けると、留めてしまっていた足を動かそうとし、が、視界の片隅を掠めた、人らしき影に目を留めて、彼は又、その場に立ち止まり。
「………………ジョウイ……?」
振り返った先に、何時しか立っていた人影の名を、呆然と呼んだ。
「……久し振り、カーラ。ミューズ以来だね。ナナミは元気?」
目を丸くしつつ名を呼んで来たカーラへ、躊躇うことなくジョウイは言葉を返し、近付く。
「ナナミは……。うん、元気だよ……」
「そう? 良かった。ナナミも変わらないんだね。……ああ、そうそう。ピリカも元気にしてるよ。理由は判らないけれど、声も戻って、もう普通に話してる。…………カーラ」
「……何?」
「ミューズでは、その……御免。でも、カーラなら判ってくれるだろう? ハイランドの皇王としての僕は、ああするしかなかったんだ。でも、君の親友としての僕は、あの時のこと、すまなかったって思ってる」
「…………もしかしてジョウイ、ミューズでのこと、謝りに来たの? わざわざ……?」
傍に寄ったジョウイが、不意に顔を歪ませ、ミューズでの一件への詫びを告げたので、え? ……とカーラは首を傾げ。
「……違うよ」
一瞬、胸に描いた彼の淡い期待を、即座にジョウイは打ち消した。
「じゃあ、何で……」
「………………カーラ。もう一度、言うよ。同盟軍の盟主なんて辞めて、ナナミと一緒に、ハイランドへ戻って来ないかい? 僕は今でも、君にそうして欲しいと思ってる。君が盟主でいなくちゃならない理由なんて、ないんだ」
「でも……、でもジョウイ、僕は皆のこと、裏切るなんて出来ない」
「……僕が、こんなに頼んでも?」
「だってっ! ……だって、それとこれとは……。それに……それにジョウイだって、ジョウイがハイランドの皇王である理由なんて……っ。──……ねえ、ジョウイ。前に言ったよね? 平和な国を得ること、その為に戦うことが望みだ、って。細やかな幸せを守る為の平和を掴みたい、って」
「…………うん」
「だったら、もう、戦争なんて止めようよ。僕達を裏切ったのはハイランドじゃなくて、ルカ・ブライトだったって、ジョウイがそう思ってハイランドに戻ったって言うなら、それでいいから! ……僕は……、僕はもう今更ハイランドには戻れないし、戻るつもりもないけど……、でも、もうルカはいなくなったんだから、ハイランドと同盟軍と、もう一度、休戦条約を結んで、そうすれ──」
「──それじゃ駄目なんだよ、カーラ」
僅か脳裏に霞ませた淡い希望を一刀両断されても、カーラは諦めずに訴えを続け、ジョウイは退けを続け。
「僕が欲しいのは、今まで何度も繰り返されて来たみたいな、偽りの、生温い平和なんかじゃないから。だから、何度でも言うよ。カーラ、一緒に、ハイランドに戻ろう? ──トトの祠で紋章を分け合ったあの時のように、僕は今でも力を求めているよ。僕の望む幸せを掴む為に必要な、平和を得る力、それが欲しくて、僕はハイランド皇王にまでなった。……カーラ、君の望みは別に、ハイランドの滅亡でも、同盟軍の台頭でもないんだろう? 君は、平和が得られればそれでいいんだろう? だったら。ハイランドに行こう。君の望む平和を、僕は与えてあげられるよ?」
一息に、ジョウイはそれだけを告げると、カーラへ右手を差し出した。
取れ、と言わんばかりに。
「………………そう……じゃない。そうじゃないよ、ジョウイ。そうじゃない……。そんなんじゃなくてっ!」
しかしカーラは、言葉にはなり得なかった想いを、強く叫んで、差し出されたその手より逃れるように、後退った。
「……もう、悪戯に戦いを長引かせたくはない、それに関しては、僕も君と同感だよ」
けれど。
そんな態度をカーラに示されても、ジョウイは諦めることなく、カーラとの距離を、再び縮めて。
自分を、何処か遠い場所に連れ去ろうとするかのように伸ばされたジョウイの腕が、非現実的な何かに見えたカーラは、咄嗟にそれを凝視した。
……カーラが動きを止めても、伸ばされたジョウイのそれは留まることなく、指先は、袖の短い服を好むカーラが晒す、細い腕へと触れそうになって、でも。
「カーラっ!」
そこへ、彼の後を追い掛けて来たルックの、それはそれは高い声が響いたから、はっと我に返って彼は、声の方角を振り返り、遠目からも、彼とジョウイが対峙しているのが判ったのだろう、駆け寄って来たルックや、ビクトールやフリックの傍へと寄って、改めて、ジョウイと向き合った。
「よお。久し振りだな、ジョウイ。元気してたか?」
あからさまにホッとした表情で、己達の傍へ走って来たカーラを、その身で庇うようにし、ビクトールは普段通り笑いながら、それまでいた場所より数歩引いたジョウイへ話し掛ける。
「お陰様で……」
「そうか、そりゃあ良かった」
傭兵砦やミューズの街で、面倒を見て貰っていたあの頃と、何ら変わらぬ笑みを浮かべられ、複雑な色を頬に掠め、素っ気なくジョウイは返したが、そうか、と、ジョウイの表情など気にも留めていぬ風に、ビクトールは言うだけで。
「……なあ。どうしてハイランドに戻ったんだ? 祖国は捨て難かったのか? 何で……ハイランドだったんだ?」
フリックは、歯に衣着せず、尋ねた。
「…………僕の都合です。それだけです」
が、やはりジョウイは、何処までも素っ気なくフリックの問いにも答え。
「ほらっ。突っ立ってないで、さっさと戻るっ!」
ぼんやりと、眼前の出来事を、別世界のことのように眺めているカーラと、のんびり、敵国の皇王との会話を続ける傭兵コンビをキッと睨んでルックは、転移魔法を唱え、生まれた光の輪の中に、強引に三人を叩き込んだ。
「…………身勝手な言い分かも知れないって、判ってはいるけど。僕はそれでも、『一番』が良かったんだ……」
────目映い光の輪の中に、忽然と消えてしまった、カーラのみを目で追い掛けて。
ジョウイはその時、ぽつりと呟いた。