凱旋、と洒落込んだ訳ではないけれど、ハイランドの手より取り返したばかりのミューズの市門を潜ったら、そこは、不気味な程静まり返っていたから、踏み込んだ者達は皆一様に、訝し気な顔になった。

幾ら何でもこの静けさは、異常ではないのか、と。

だが、誰かが言い出した、この静けさは、ミューズに残った者達も、ハイランドに捕らえられた流民達も全て、以前ここでルカ・ブライトが行ったと言う、怪し気な儀式の生け贄にされたとの噂を証明しているだけのことなんじゃないか、との言葉に、過ぎる静寂を納得した。

……否、納得しようとした。

──誰かが言い出したそれは、頷けないくらい、頂けない理由ではなかった。

確かに、皇王を筆頭に、ミューズに駐屯していたハイランド軍が全軍撤退したのを自分達の目で確認したし、未だにミューズで生活を続けている者は皆無だとの報告も事前にあったし、だから、取り返した街を覆うのが、過ぎる程の静寂であったとて、おかしくはないけれど、本当に、それだけの理由なんだろうかと、どうしても彼等は心の底で、首を傾げずにはいられなかった。

だが、多々良を踏んでいても仕方がない、と。

佇んでいた市門前より、カーラ達は進み始めた。

そうして彼等は、何モノにも巡り会わぬまま、市庁舎前まで辿り着いて。

「……何にもないですねえ。本当、人っ子一人いないや……」

「ああ。俺達より先に偵察に入った部隊の連中も、何も言って来ないしな……。でもまあ、何事もなさそうだし」

「そうですね。誰にも会いませんでしたしね」

市庁舎前の広場で立ち止まって、カーラとビクトールは言い合った。

「…………探検は切り上げて、戻ろうか。長居は無用そうだよ」

何事もなくて良かったとの二人の会話を拾って、何故か急くようにユインはカーラを促し、本陣へと戻るべく、さっさと踵を返す。

「ええ、ここにても、出来ることはあんまりなさそ────…………え?」

──だから。

行くよ、と、そう語り掛けて来たユインに従うべく、カーラも足を動かし始めて、でも、傍らの彼を見上げた時、彼の耳は、遠くから響いて来た、微かな声を拾った。

「……悲鳴……?」

はたと立ち止まり、振り返ったカーラ同様、小さな悲鳴を聞き届けたユインも、振り返り様、棍を構える。

「市庁舎の中……か?」

ビクトールも又、少年達に倣うように、腰の星辰剣を抜き、その声が聞こえて来た方角へと向き直って。

「……行くか」

「放っとく訳にはいかないでしょ」

表情を塗り替えた彼等は、忍ぶような足取りで、一度は背を向けた、市庁舎の扉を押し開けた。

────飛び込んでみた市庁舎には、街中と同じく、過ぎる程の静寂しかなく、一瞬誰もが、先程の悲鳴は空耳なんじゃないかと、そう疑った。

だが、全ての者に届くような空耳などある筈がないから、庁舎内を満たす静けさの向こう側を目指して、彼等は進んでみた。

一巡りしてみた一階には何の気配もなくて、ならば二階、と今度は階段を昇り、奥へ奥へと進んで、もう、探す場所も尽きる、となった頃、カーラ達は。

ツン、と鼻の奥にまで届く、血の臭いを嗅いだ。

「…………何だと思う?」

「さあねえ。……ほんの少しだけ、何かの紋章の気配がするから、この先にいるのは、人間じゃないかも知れない」

漂って来た血臭に、渋い顔をしつつも、高揚したようにビクトールはユインへ尋ね、肩を竦めてユインは、判る限りのことを答えた。

「でも……さっきの悲鳴は、人間の、ですよね……?」

「うん。この血の臭いも、人間の、だと思うよ」

すればカーラは、悲しそうな声を絞り、慰めにもならぬことをユインは言って。

「ま、出たトコ勝負で何とかするか。……駄目そうだったら逃げりゃいいしな」

進み続けた廊下の突き当たりにあった、その大きな扉を、ビクトールは蹴り開けた。

──────バン! ……と。

蹴り開けられた扉は、存外に大きな音を立てた。

が、壊れるんじゃないかと思えたその大きな音に、意識を払う間もなく。

飛び込んだ室内に広がっていた、正しく血の海、と。

血溜りに横たわる、幾体かの亡骸を屠る、金色の塊『達』に、彼等は視線を釘付けにされた。

「何、これ…………」

……見詰めること止められなくなった、金色の塊達──数匹の金狼達は、思わず、の勢いでポツリ呟いたカーラや他の者達が、自分達を見遣っているのを知りながらも、音を立てつつ肉貪ること止めず。

「……ビクトール」

「……何だ?」

「今直ぐ、カーラを連れて逃げて」

満足したように低く鳴いて、ノソリと自分達を振り返った一匹の金狼と視線が合った刹那、ユインは、傭兵と恋人を、無理矢理その部屋から叩き出し、後ろ手で、扉を閉ざした。

「え? ユ……ユインさんっっ!?」

強い音を立てて閉じられた、眼前の扉を思わず叩いて、カーラはユインの許へと戻ろうとしたけれど、どういう訳か、そこを開くことは叶わなかった。

「……嘘……。……ユインさんっっ。ユインさんってばっっ! ここ、開けて下さいっっ!」

幾度も幾度も、激しく扉を叩いて彼は、そこにいるだろう恋人の名を呼んだけれど、応えは返らず。

「行くぞ、カーラ。今は逃げるんだ」

再び振り上げた腕を、ビクトールに強く掴まれた。

「でもっっ! あんな所にユインさん一人残して行くなんてっっ」

強い力で掴んで来たビクトールのそれを、カーラは振り払おうとしたが、傭兵は決して、カーラの腕を放そうとはせずに。

「カーラっっ。今は逃げることがお前の仕事だろうっ」

語気きつく彼は言って、カーラが押し黙った隙を見計らい、引き摺るように走り出した。

「………………でもっ……」

彼と共に、市庁舎の廊下を走ること余儀なくされて、けれどカーラは、ユインが一人残った部屋の扉を見遣ったままで。

「……心配すんな。あいつのことだ、直ぐに追い掛けて来る。お前を本陣まで連れてったら、俺がユインのこと、迎えに戻ってやるから。……お前だって、ユインの強さは良く知ってるだろう? お前、あいつが負けた処なんて、見たことねえだろう? 性格はアレだが、トランの英雄なんだぞ? あいつは。だから、大丈夫だ。ちゃんと、直ぐに、お前の所に帰って来るって」

カーラの手を引き駆けながら、ビクトールは慰めの言葉を口にし続けた。

「…………うん……」

──どれ程慰められようと。どれ程励ましの言葉を受けようと。

納得など出来なくて、本当は今直ぐ、ユインの傍に戻りたかったけれど、ビクトールの言う通り、例えどんな相手にだって、ユインさんが負ける筈はないからと、自分に言い聞かせ。

どうしたって止まってしまいそうになる足に、無理矢理言うことを聞かせて。

カーラは、遠離って行く扉、そこのみを見詰めながら、廊下の角を曲がった。