ロックアックス攻めの許可を乞うたシュウに、カーラが頷きを返して数日後、同盟軍は、マチルダ騎士団領内への侵攻を始めた。

もしもユインさんが戻って来たら、ロックアックスに向ったからと伝えて欲しいと、何度も言い置くカーラに、それを頼まれた、城の警護担当の兵士達は、

「大丈夫ですよ。安心して下さいね」

と、力強く頷いてくれたけれど、どうしたって、カーラの気持ちは晴れず、否、晴れない処か、落ち込みを見せる一方だった。

待てど暮らせどユインは帰って来ないし、ロックアックス攻めに先駆けて、キバ将軍が、僅かな部隊のみを率い、傭兵砦へ掛ける陽動作戦へ向ってしまったから、それも気になって仕方なくて、この数日、彼は、それまでは一応浮かべられていた作り笑いさえも、余り見せなくなっていた。

────そんな彼の、唯一の慰めは、義姉のナナミだった。

「大丈夫、大丈夫。その内、ユインさん、無事に帰って来るよ! キバ将軍達だって、きっと大丈夫だよ!」

そう言って、キャロ時代と何ら変わらない、元気一杯の笑みを湛えて、自分を励ましてくれる義姉が、今のカーラの、最大の拠り所だった。

「……そう、だよね……。大丈夫だよね……?」

「うんっ。大丈夫。お姉ちゃんが、大丈夫って言ってるんだもん、ホントに大丈夫だって。ユインさん、あんなに強い人なんだしさ。きっと、お城に戻るの、一寸手間取ってるだけなんだよ。……ほら、前にさ、コロネの街からサウスウィンドゥまで逃げる時、デュナン湖渡る船がなくって、苦労したじゃない? そんな風なことで、ユインさんも苦労してるだけだよ。湖渡れなかったら、遠回りするしかないもの。時間も掛かるって」

縋るように、無事だよね? と首を傾げてみせれば、そう言って、望む言葉を、花のような笑みと共に返してくれるナナミが、カーラには、有り難かった。

幾ら仲が良いとは言っても、食事も喉を通らない程、ユインの無事を気に懸けてしまっているのを、彼女とて、本音の部分では何処か、不思議に思っているかも知れないのに。

それをお首にも出さず、ロックアックスに行ったら何が食べたいとか、あそこが見たいとか、そんな話ばかりを仕掛けて来る義姉が傍にいてくれることが、本当に。

…………思い返してみれば、もう随分と長い間、たった一人の義姉のことを、放り出してしまっていたような気が、カーラはする。

ミューズでジョウイと袂を分かち、同盟軍の盟主となって……と、忙しい日々を送って、忙しい日々に慣れたら慣れたらで、ユインのことを好きになったと気付いてしまったから、私的な時間の殆どを、彼とのそれに費やして。

ナナミのこと、省みなかったな……、と。

けれど義姉は、彼女のことを省みなかった薄情な義弟に、変わらず、『お姉ちゃん』として振る舞ってくれるから。

家族の有り難さを、改めて、しみじみと感じ、ナナミが傍にいてくれれば、ユインが戻って来るまで、何とか耐えられそうだと、彼女の存在だけを頼りに、カーラは、ロックアックスを目指した。

カーラ達同盟軍本隊が、マチルダ騎士団領を目指して、行軍を始めた頃。

ミューズを離れ、やはり、マチルダ領を目指しながらも、先を行くのはハイランド軍との事情故、街道を行く訳にも行かず、森や山を分け入って、北へ向っていたユインは、偶然見付けた、地図にも乗ってはいないような山間の小さな村にて、一羽のナセル鳥を借り受けること叶えていた。

その小さな村へと辿り着いた時、ひょっとしたら、と思った通り、獣も余り行かないような道を辿った先にある、林業で生計を立てている者達の集落には、何か遭った時、外界と連絡を付ける為の鳥が数羽飼われていて、どうしても、と木こり達を拝み倒した結果、その内の一羽を、渋々ながらではあったけれど、借り受けられることになり、彼は、半分に裂いた己のバンダナを首に括り付けた鳥へ、カーラに宛てた手紙を持たせて、グリンヒルへと向かわせた。

己の無事と、今、ロックアックスを目指していることを、ナセル鳥が、カーラへ伝えてくれるだろうと、そう信じて。

陣を布いたグリンヒルより、ロックアックスを陥落せしめる為、改めて行軍を開始した同盟軍は、マチルダ領の南に当たる草原地帯で、迎え撃って来たハイランド軍と交戦した。

シュウの思った通り、キバ将軍率いる陽動部隊への対処に、敵軍はその勢力を割かれていたけれど、それでも、三万の総数を誇るハイランド軍を、二万程度の部隊で何とかしようとするのは、かなり骨の折れる話で、何とか、引き分けの形には持ち込んでから、その日の戦が引けた後、戻ったグリンヒルの街の、ニューリーフ学園の学生寮にて、同盟軍上層部は、改めて軍議を行うことにした。

何とか無事に、今日の戦いも終わったと、この数日はずっと、己の傍に張り付いているナナミと二人、安堵の息を付きながら、他の仲間達とも共に、ニューリーフ学園の庭先で一息付いていたら。

「シュウ軍師がお呼びですよ」

と、一般兵に呼びに来られたので、カーラはやはり義姉と二人、その足先を、学生寮とへ向けた。

学園の庭はそれなりには広いけれど、学生寮は、その庭の目と鼻の先にあるから、ぷらぷらと歩けば直ぐに、寮の玄関は見えて。

「…………? あれ、シュウさん?」

そこに、自分を呼び出したと言うシュウが、一人立ち尽くしているのをカーラを見付けた。

「……ああ。お待ちしておりました。軍議を始めましょう」

何をしているのかと、不思議そうに放たれた彼の声に、ぴくりとシュウは肩を揺らして、若干……本当に若干、焦る風に、手にしていた手紙らしき紙片を、くしゃりと握り潰す。

「それ……手紙じゃないの? いいの? そんな風に潰しちゃって」

カーラからは死角となる、己の背の側に回した腕で、まるでゴミか何かのように、シュウは紙片を丸めて握り込んだのだが、それを目敏くナナミが見付けた。

「構わない。大した連絡が書いてあった訳でもない」

「ふーん……。まあ、シュウさんがそう言うんなら、そうなんだろうけど。……あ、そのゴミ、その辺に捨てると、寮長先生に叱られちゃうんだから」

本当にぞんざいに、紙片なのかゴミなのか、シュウ以外には判りようもないそれを、今にも彼が、その辺に捨てそうな素振りを見せたから、大して深くは考えず、ナナミはそんなことを言って。

「カーラ、中入ろうよ。疲れたでしょ? 最近カーラ、直ぐ具合悪くするんだから。外に居過ぎるのも良くないしさ」

彼女は、シュウが丸めた紙片に興味を示しているような義弟を促し、寮へと入った。

「直ぐに参りますから」

その背へ、シュウは一言断りを掛け、辺りをひっそり見回すと。

握り潰した紙片と、懐から取り出したらしい、若草色のバンダナの切れ端を、一纏めにして、寮を取り囲む、緑の茂みの深みに捨てた。

カーラやナナミに遅れること暫し、シュウが学生寮の中へと入って、軍議に行うに必要な面子は揃い、話し合いは始められた。

議題に上ったのは、誰もが想像していた通り、このままでは陥とすこと叶わぬロックアックス城を、如何にして陥落せしめるかで、一頻り、軍師達や将軍達や傭兵達が、その日の戦況と、思う処を語り合った後、正攻法で、あの城を陥とすのは無理だろう、と意見は纏まった。

そして、正攻法では駄目だと言うなら、搦め手を使うしかない、と話は進み、結果、カーラが少数の手勢を率いて、ロックアックス城内に忍び込み、マチルダ騎士団の旗を焼き、代わりに、同盟軍の旗を翻らせて、敵の士気を落とす策を、実行することになった。

シュウやアップル達が言い出したその策に、カーラも異論はなく、が、忍び込む先は、音に聞こえたマチルダ騎士団の居城、相手にしなくてはならない敵は、かなりの腕前だろうから、共にロックアックスへ向う仲間を、一寸慎重に選ばせて、と彼は軍師に告げたのだが。

「カーラ殿と共に、ロックアックスに潜入する部隊の人選は、一応こちらでしてあります」

「え、でも…………」

「シュウさんが誰を選んだか知らないけど、私はカーラと一緒に行くからねっ!」

珍しく、シュウはそんなことを言い始め、その言い分に、カーラは眉を顰めて、何処までも義弟に付いて行くつもりだったナナミは、自分も行くと、我を張り。

「ナナミ、危ないよ?」

「へーき、へーき。お姉ちゃんに任せなさいっ」

「…………判りました。では、カーラ殿。彼女を連れて行くことに関しては、私も譲りますが。それ以外は、私の言い分を聞き届けて頂けますか?」

一緒に行く、と張り切ったナナミには、あっさり折れてみせたくせに、結局シュウは、己の腹積もりを押し通して、翌日、早朝。

カーラと、ナナミと、マイクロトフ、カミュー、ツァイ、オウラン、の六名は、ロックアックスの城下町を、秘かに目指した。