この戦いが天王山であることは、誰の目にも明らかだから、デュナン城を出立してからこっち、一〇八星達の間にも、一般兵達の間にも、何かを思い詰めているような空気が漂っているのは周知で、なのに、朝早く、数名の者達と共にカーラがロックアックス城へ向ってしまった直後、ハイランド軍を引き付ける為の役目を負ったビクトールとフリックの二人は、自身の出立の支度を整えようと、ニューリーフ学園の前庭を歩いていた際、随分と気楽な雰囲気で笑っている、兵士達の一団を見掛けて、首を捻った。
「何だ、お前等。楽しいことでもあったのか?」
この戦争が始まって既に、数ヶ月の時が流れている。
それ故、最初の頃は何も知らなかった彼等も、天王山を前にしてでも面白可笑しく笑えるくらい、肝が座って来たのかと、その一団を見掛けた最初、二人は、そんなことを想像したのだが。
どうも、彼等の見せる雰囲気は、そういったものとは若干質が違うと思えたので、彼等は兵士達に近付き、声を掛けた。
「いえ、そういう訳じゃないんですけどね」
話に混ぜろよとでも言いたげな顔付きで寄って来た『上官』の問いに、楽しいことが、という訳ではないがと兵士達は答えて。
「……? じゃあ、何だよ」
「あれ、お二人は聞いてないんですか?」
「何を?」
「昨日の戦が終わった後、俺の友人の一人が、市門の警備に付いてたんですけどね。そしたら、そいつんトコに、ナセル鳥が飛んで来たって言うんですよ。何処の鳥なのかは判らなかったみたいですけど、そいつの話じゃ、そのナセル鳥、首に、若草色のバンダナの切れ端巻いてて、手紙持ってて」
「……ほう」
「んで、そいつ、何だろうって、手紙を読んだらしいんですよ。何かの連絡か何かだろうって、気楽に。処がどっこい、その手紙、ユイン様から、カーラ様とシュウ軍師へ宛てた手紙だったとかで」
「え、ユインの?」
「ええ。……いやー、良かったっすね、ユイン様、無事なのが判って。ユイン様が行方不明になった後、カーラ様、心配の余り食事も喉通らないって、俺等んトコにまで、噂届くくらいでしたもんね。喜んでるでしょうねー、カーラ様」
「…………成程。それで、お前達は喜んでた、と」
「当たり前じゃないですか。ユイン様が戻って来られれば、カーラ様だって元気になるでしょうし。あの人の強さ、そりゃあもう、尋常じゃないっすから。今回の戦だって、少しは楽になるかなって思えますからねえ。喜ばずに……って奴ですよ」
若草色のバンダナの切れ端を首に巻いた、ナセル鳥の話を兵士達が始めた途端、顔を見合わせ物言いた気になった二人の傭兵へ、兵士達は口々に、そして一息に、事情を語った。
「…………まあ、な。そうかもな」
「でしょう? お二人だって、そう思いますでしょう? ──じゃ、俺達、仕事ありますから」
そうして彼等は、朗らかに笑いながらその場を離れ、ビクトールとフリックは唯、困惑の視線を深めた。
「…………そんな話、聞いてたか? ビクトール」
「いいや。……フリック、お前は?」
「俺も知らない。それに、今朝だってカーラの奴、相変わらずの調子だったし」
「……だよな。でも、連中の口振りじゃあ……。────なあ、フリック」
「…………何だよ」
「この話が、本当だとして、な。だとしたら、その、ナセル鳥が運んで来たって手紙とバンダナは、少なくとも、シュウの所までは届いてる、って思って間違いはねえよな? でも、カーラはそのことを、知らない」
「ああ、そうなるな」
「……じゃあ。何でシュウはそれを、カーラにも、俺達にも、言わなかったんだ?」
「…………俺に判るか、そんなこと。あの軍師様の考えることは、一寸複雑過ぎて、俺には。……そういうお前には、判るのか?」
「判らねえよ、俺にも。…………判らない、から。だから、フリック。一寸付き合え」
「何処に?」
「いいから」
困惑のまま顔を見合わせ、少々、その場で話し込んで二人はそこより離れ。
もう間もなく、昨日と同じ戦場で、ハイランド軍を引き付ける為の策へと、同盟軍本隊が出立すると相成った頃。
そこら中を駆けずり回り、這い回り、埃塗れの泥塗れになって、漸く、昨夕、シュウが丸めて捨てた紙片とバンダナの切れ端を、学生寮裏手の茂みの中より見付けた。
「あった……。……えーと、何々……?」
深い薮の中から、引っ掻き傷だらけになりつつ拾い上げたユインよりの書状には、先ず、カーラに宛てて、己が無事であること、だから心配してなくても良いこと、それが綴られていた。
三年前、見飽きる程に見た、覚えのあり過ぎる綺麗な筆跡に、ああ、確かにあいつの字だ、無事で良かった、と二人は胸を撫で下ろす。
特に、ミューズでユインと別れた際、後で俺が拾いに行ってやるとカーラを宥めたのに、結局それを成すこと出来なかったビクトールの見せた安堵は強かった。
本陣へ送り届けた後、ハイランド軍が戻って来たと知っても、ユインさんを置いては……と、蒼白になった彼を、フリックやルックに手伝わせて本拠地へ強制送還したのも己だし、その後、約束通りユインを探しては見たものの、『時間切れ』と相成ってしまって、そのまま……、だったから、と。
「無事で良かったよ。これでカーラに、恨まれずに済む」
紙面に踊る文字にホッとした為、ビクトールは軽口を叩いて、彼等は先を読み進んだ。
二人、額を突き合わせるようにして、小さな書状の先を見ること急げば、無事を知らせる文面の続きには、ユインが今何処にいるのかが認められていた。
ミューズ・マチルダの関所付近の山野の直中にある、木こり達の仕事場のような、小さな集落にいる、と。
そこに、連絡用のナセル鳥がいたから、これを送る、と。
そして、その後には、今度はシュウに宛てて、ミューズ市に戻って来たハイランド軍の様子、シンダル遺跡付近で、ハイランドと己が『追いかけっこ』していたこと、その追いかけっこも無事終わり、今はロックアックスを目指していること、それ等が綴られ、シンダル遺跡の中で聞き齧った敵兵達の話より、少々嫌な企みが汲み取れるから、詳しいことを語れる己が到着するまで、無闇に動かないように、との、『忠告』も添えられていた。
そうして、最後に。
シュウに知られても構わないと思ったのかそれとも、シュウはそれを知っていると、ユインは判っているのか。
再び、カーラへ宛てて。
愛しているよ、傍にもいられなくて、心配もさせて、御免ね、と。
そう記されており。
短くもなく、長くもない手紙は、そこで終わっていた。
「………………おい」
「……ああ」
そんな手紙を読み終えて、顔を見合わせ。
「やっぱりあの二人、そういう関係だったなー」
「……そうじゃないだろ、馬鹿熊。今は、そんなこと言ってる場合じゃないだろっ」
「判ってる。冗談だって。細けぇ男だな。──これを読んで。多分、カーラにも見せずに捨てて。『忠告』を無視して、ロックアックスに向ったシュウは、何考えてると思う?」
「さあな。あの軍師様の考えてることは、俺達みたいな凡人には、永遠に理解出来ないだろうさ。だが、手を打った方がいいんじゃないかってことくらいは、俺にも判る」
「…………そうだな。ユインがそうしろって言ってんだ、理由がどうとか、理屈がどうとか、そんなんじゃなしに。そうした方がいいってのは、俺達には解る」
ん、と二人の傭兵は頷き合い。
「先ず、ルックの奴、探すか」
「ああ。ユインを真っ先に捕まえられれば、それに越したことはないから」
出陣が迫っている為、ごった返しているグリンヒルの街へと駆け出した。