シュウの部屋を出て、ユインが向った先はやはり、カーラの部屋で、けれど、室内に踏み入ることはせずに彼は、部屋を守る兵士達を追い払ってから、棍を抱え、扉の前に一人座り込んだ。

その姿は、部屋で一人泣き濡れているだろうカーラを、誰にも見せぬように守っている風でもあり。そんな彼の傍に、どうしても近付けぬ風でもあり。

棍を抱き、石の床の上に胡座を掻いて、ひたすら宙を見詰める彼へ、誰も、声を掛けることは叶えられなかった。

けれど、やがて。

「……何してる、んなトコで」

一応は、何時も通りの雰囲気を纏ったまま、ビクトールとフリックが、宙を見詰め続ける彼の前へと立った。

「何してる、と言われても。……んー。見張り番?」

そんな傭兵二人組へも、座り込んだまま、にこっと、ユインは笑ってみせるのみだった。

「見張り番『?』 ってのは何だ、『番?』ってのは」

故に、二人は、軽く肩を落として。

「言葉通りだけど。カーラ、未だ一寸立ち直れないみたいだから。一人にしておいてあげたくてね。それにさ、盟主殿が、瞼も開けられない程泣き腫らしてます、なんて、余り他人ひとには知られたくない話じゃない?」

「それはまあ、そうだが…………。でもな、だからってお前がそうしているのも、充分過ぎる程外聞悪いぞ?」

「何より、怖…………。……いや、何でもない……」

最近頓に壊れ気味の頭を、もう少し回せと、傭兵達は口々に、でも何処か『怖々』、ユインの様子を窺うようになった。

「……怖い? 今、怖いって言い掛けなかった? フリック」

「…………気の所為だろう」

「へーえ。僕は、耳まで遠い、年寄りになった覚えはないよー?」

「……まあまあ。フリックのことは勘弁してやってくれ。それよりも、一寸ツラ貸せよ」

「ヤだ。貸せるような顔なんてない。あんまり、カーラの傍離れたくないし」

「屋上にくらい、付き合えんだろ?」

「……しつこいねえ…………」

そんな傭兵達と、ユインは暫し掛け合いを続けて、どうにも己を引き立てて行きたい意向を見せる彼等に、心底嫌そうに頷くと、カーラが篭り続ける部屋の扉を一度だけ振り返ってから、さっさと屋上へ向い始めたビクトール達の後を追った。

「で? 何? 人に聞かれたらマズい話でもしたいとか?」

「……そう、とんがるな」

最上階から屋上へと続く階段の先、重たい扉を潜るや否や、言いたいことがあるならさっさと言えとばかりの態度をユインが取れば、ビクトールもフリックも、少しばかり面差しを変えて。

「………………お前が思い詰めたって、余りいい結果にゃあならねえと思うぞ? 俺達は」

「気持ちは判るけどな。鬼に出会したみたいな強張った顔付きお前にされてると、一寸、な……」

二人は揃って、そんなことを言い始めた。

「鬼に巡り会ったみたいな顔、ねえ…………」

二人の科白を受け止めたユインは、ああ、この二人に隠し事をしようとしてみても、無駄なのかも知れないなと、自嘲めいた笑みを浮かべ。

「悩んでるとか、思い詰めてるとか、そういう訳じゃないけどね…………。……多分」

素直に、『降参』の態度を取った。

「じゃあ、何だよ」

「……一番近い言葉で言うなら、きっと『後悔』。……どうして僕は、カーラの傍にいてあげられなかったんだろう、とか。守るって約束したのに、大切なあの子が大切にしてるモノを、守ってあげられなかった、とか。…………夕べの内に、ここへ戻って来ていれば、カーラは輝く盾が振るえて、そうなったら、もしかしたらナナミちゃんは助かったかも知れないのに、どうしたって…………どうしたって、僕には彼女よりもカーラの方が大切だから、カーラに、紋章が齎す苦しみを与えたくないばっかりに、この城から一晩遠退いたのは、エゴだよね、とか。…………それに、それ、に…………」

黙っていてもバレるならと、つらつら、屋上から見遣れる空だけを見詰めながら彼は語り、でも、『それに』、の先を言い淀むも。

「…………それに?」

「言えよ。吐き出した方が、きっとすっきりする」

傭兵達の『追求』は続き。

「…………ロックアックス戦の時、僕の手紙がどうのって言って、二人は僕を捜しに来たから、どうせバレてるんだろう? 僕とカーラの関係」

「……まあな」

「………………そうならなかったら。僕とカーラの関係が、『そう』ならなかったら。多分、あんなことにはならなかった……、って。そう思うんだ……」

本当に、ぽつっと力なく、彼は呟いた。

「……どうして」

「…………誰にも打ち明けなかったけど。グリンヒルで、このままミューズに攻め上がるってなった時、おかしいなって、そう思ったんだ。……シュウは、誰に何を言われても、己の立てた計画や策を変更なんかしない、可愛くない性格してるのに、どうして今回に限って、他人の進言に耳貸して、ミューズに行くかどうか、『議論』なんかしてるんだろうって。本来なら、そんな余地すら挟ませない軍師なのに、ってね。そう思って、黙って聞いてたら、皆の進言通りミューズ行きは決まって、その上。グリンヒル奪還作戦の時は、あれ程、僕とカーラを引き離そうとしてたのに、僕もミューズに行くと言っても、彼は、何も言わなかった」

「それ、が? 何か変か……?」

「あいつだって、多少は他人の言葉に耳を貸すだろうし、お前がいた方がいいと思ったから、ミューズ行きには何も言わなかったんじゃないのか?」

呟きに続いた彼の話に、傭兵達は、顔を見合わせた。

「いいや。そうじゃないよ。当人に確かめた訳じゃないから、多分、でしかないけど。…………シュウはずっと、僕がここにいることにも、カーラの傍にいることにも、良い顔をしなかった。僕のこと、目の上のたんこぶだと思ってた。僕もそれを知ってて、だから、僕とシュウの関係は、良好なものじゃなかったろう? 二人も知ってると思うけどさ。……だからね、まあ、僕も悪いんだけど、ひょんなことから、カーラとのこと突っ込まれた時、僕達のことを、彼にだけはあからさまにしてやれば、早々、うるさいことは言わなくなるかなと、そんな軽い気持ちで、カーラとの関係、彼にはバラしたんだ」

「…………怒り狂ったろう、あいつ」

「判ってるねえ、ビクトール。ぎゃんぎゃん怒鳴られたよ。けどそんなこと、何処吹く風って奴? シュウの不興なんか、知ったこっちゃないよ。……でも、僕としては知ったこっちゃない彼の不興は、思いの外、ねちっこかったんだろうね。思い詰めもしたんだろうね。彼だって、カーラのことと、この軍のことは第一に考えてるから、只でさえ目の上のたんこぶなトランの英雄と、大切な盟主殿が、破廉恥な関係ですー、……だなんて、万が一にでも他所に知れたら、大問題だとも思ったんだろうね。…………だから、彼はね。……多分。多分……、邪魔な僕を、『排除』してしまおうって、そう決めたんだよ」

「…………排除?」

「うん。────排除、と言っても。恐らく、彼がしたことは、些細なことだった筈だよ。『救い主様』であるカーラ同様、僕は、この軍には幸福を齎す、『死神様』だから。『死神様』が幸福を齎すって言うのも、ビミョーな言い回しだけど。事実、僕は『そう』で、そんな僕は、シュウにとってそうであるように、ハイランド──僕のことを良く知るレオンのいるハイランドにとっても、邪魔者だから。グリンヒルを奪還した直後は、未だ手放せないとレオン達は思ってただろうミューズに、のこのこ、僕が乗り込むって話を、ちょろっとハイランド側に洩らす程度の、『些細なこと』」

「おい、まさか……。幾ら何でも、そんなこと……」

「…………グリンヒルから敗走してミューズに逃げ込んだ彼等は、アップルやクラウスが言ったように、真っ向勝負で同盟軍と戦うだけの体勢は整ってなかった。だから、同盟軍が進軍して来ると判っても、一発逆転に持ち込むのは難しい。でも、ミューズを明け渡した振りをして、市内に誘い込んで、あの、金色狼達をぶつければ、僕とカーラのどちらかくらいは、追い詰められるかも知れない。上手くすれば、両方、追い詰められるかも知れない。……それくらいのこと、シュウだってレオンだって考えるだろうし? シュウは、僕とカーラがデキてるってこと知ってる訳だから、そうなったら、何としてでも僕が、カーラだけは逃がすだろうって、判ってただろうし? レオンやジョウイ君にしてみれば、同盟軍の全ての者が護るだろうカーラじゃなく、僕を追い掛け回した方が、美味しいだろうし楽だろうし、上手くすれば殺せちゃうかもー、とか喜んだろうし。殺せれば最良、殺せなくとも、『死神様』がいなきゃ、少しはその先の戦、ラクチンってもんだったろうからね」

「……お前、そういうこと、気楽に言うなよ…………」

一体、何をこいつは喋り始めたのかと、顔を見合わせ聞き入れば、ユインの話はそんな風に流れて、その内容と釣り合わぬ、気楽な口調に、ビクトールは天を仰ぐ。

「別に良いじゃないか、僕は生きてるんだから。僕がミューズへ行くって話の出所を疑ったんだろうレオンが、色んな可能性計算して、僕を追い掛け回していた、たった数十人の兵すら引き上げさせたから、幸いなことに、僕もロックアックスへ向かうことは叶ったんだし。………………だから、ね。グリンヒルではああなって、僕はハイランドの連中に追い掛け回されて、シュウは知らんぷりして策を進めた」

だがユインは、少々愉快気に笑い。

「…………考え過ぎなら、良いと思ってた。正軍師殿が僕を嫌うように、僕も彼を好いてはいないから、気を廻し過ぎてるんだと。……でも、そう考えるのが一番筋が通った。……けどね、事の原因はどうあれ、僕は助かったから、今回のことは『恨みっこなし』にしよう、そう思って、カーラの他に、シュウまで名指しして、手紙を出してやったのに。レオンは未だ、ミューズで僕と追い掛けっこしてるって考えてるだろうシュウに、読みは外れたよって、忠告してやったのに。ロックアッスクでは、あんなことになった。……だけど、それもこれも、皆。シュウがしたことも、ああなったことも、皆。僕が、カーラと恋人同士になっちゃったから、それに起因するのかなって。今では、そう思えるんだ。……こうならなかったら。僕とカーラの関係が、こうならなかったら。多分、あんなことにはならなかった……」

…………彼は、『愉快そう』な笑みを深めた。

「……充分、思い詰めてるじゃねえか」

だからビクトールは、声を落とし。

「違うよ。後悔と、思い詰めることは別物じゃないか。……思い詰める、だなんて。僕が抱えているモノは、そんなに高尚じゃないよ」

「そういう問題じゃないだろう?」

「そういう問題じゃなかろうと何だろうと、本当のことなんだから、仕方ないよ、フリック。」

「それは、まあ、な」

「…………だから、ね。『そういう問題』。……あの子がいればそれで良い、それが多分、突き詰めた所にある、僕の本当の本音。あの子を困らせたくないから。あの子を苦しめたくないから。……僕があの子を失いたくないから。そう思って、僕は。……でも、それは結局…………ね。……後悔の一つも、したくなるってもんだよね。カーラに会わせる顔もない。傍らに言って、泣き続けるあの子を抱き締めて、慰めてやるのも、躊躇わざるを得ない。…………僕は所詮、あの子が欲しいだけの、『死神様』かな、って。そんなこと、思うよ」

ユインは、自嘲の笑みを湛えたまま、『すらすら』、傭兵達へと言い終えて。

「…………ま、そんなトコかな。だから、放っておいていいよ。僕のコレは、僕自身で何とかしなきゃならないことなんだろうし。……という訳で。……もう、いい? これも、エゴなんだろうとは思うんだけどね、こんなざまを晒しても、それでも、『近付けるギリギリの場所』ででも、カーラの傍にいたいって、そうも思うんだ。結ばれなかった方が、良かったんだろうに。…………御免ね?」

くるり、踵を返し、屋上より降りて行った。