屋上を後にしたユインが向った先は、傭兵達へ公言した通り、先程まで陣取っていたカーラの部屋の前で、戻ったそこにて彼は、再び踞ろうとし、けれど何を想ったのか、扉の前で暫し立ち尽くした後、思い切ったように、ぐっと顔をあげ、少しばかり震える手で小さく扉を叩いてから、その先へと踏み込んだ。

ノックの音への応えがないのは当然と受け止め、踏み込んだ室内を進んで彼は、カーラは未だに泣き濡れているか、さもなければ、泣き疲れて眠ってしまったかと、二通りの想像だけを抱え、天蓋付きのベッドの傍らへ近付いたが、予想に違い、カーラは泣き濡れてもいなければ眠ってもいなくて、ベッドの中程奥に、壁に凭れ、膝を抱えて踞っていた。

「……カーラ……?」

その姿勢より、泣き止みこそしたものの、落ち込んだままでいるのだろうなと、ユインはカーラの内面を計って、そっと声を掛けた。

「…………御免なさい。昨日からずっと、泣き通しで…………」

しかし、彼の想像を、カーラは再び裏切って、泣き腫らした目で、何とかユインを見詰め、笑みらしく映る表情を湛えた。

「一晩や二晩、泣き続けたって。誰も、咎めたりなんか……。……うん、咎めたりなんか、しないよ……?」

だから、曖昧な顔をしてユインは、そんな科白を吐いてみたけれど。

「いいえ……。僕が、何時までも泣いてる訳にも、いきませんから…………」

カーラは今度は、はっきりと笑みを浮かべてみせた。儚く。

「……あのね、カー──

────さっき。シュウさんが、様子見に来てくれたんです。……シュウさん、泣いてた僕の前まで来て、言いたいことだけ言って、戻っちゃいましたけど。……ユインさんが、無事でいるって、僕とシュウさんに宛てて出してくれた手紙、勝手に捨てた、って……。それを、教えてくれました」

「…………そう」

「……はい。……でも、何にも後悔してないし、後ろめたく思うことも、ない、って…………。誰に罵られても恨まれてもいいんですって……。この軍と、この軍が戦争に勝った後に出来る国の為になるなら、それでいいんですって…………。…………それ聞いたら、涙、止まっちゃいました…………」

「……そんなこと、君に言ったの? あの男……」

儚く笑ってみせたカーラが言い出したのは、シュウに言い置かれた話のことで、それを聞かされたユインは、軽く顔を顰めたが。

「…………ええ、そう言いましたよ、シュウさん……。それ聞かされて、思わずシュウさんのこと、引っぱたこうかと思いましたけど……。でも、シュウさんのそれが、正解だったのか、間違いだったのか……それは判りませんけど、戦争に勝つって、そういうことなのかなあ…………、って……。改めて、そう思っちゃって。泣いてても、仕方ないかな……、とかも……。…………駄目ですねぇ……。僕は何時まで経っても、ちゃんとした盟主になれなくって…………」

「カーラ。自分で自分のこと、そんな風に言う必要、何処にもないんだよ?」

「……でも……。……泣いてばかりで、御免なさい……。御免なさい、もう、泣き止みますから。もう、泣きませんから……。御免なさい……。……御免なさい、唯、僕は、ナナミを……お姉ちゃんを、失いたくなかったんです……。ナナミがいなくなるなんて、考えたこともなかったんです……。戦争で、『誰か』を亡くした人は沢山いるのに。ナナミは、って……。………………もう、止めますね……。ナナミの為にも、他の人の為にも、頑張らなくちゃ、いけないですよね……」

あの男、と、そう言って顔を顰めたユインへ、カーラは困ったように微笑んで、もう、自分は大丈夫ですと、気丈に言い張ってみせた。

「………………カーラ。君は。充分過ぎるくらい。盟主だよ。この軍の、リーダーだ。……そんなに、なる程……」

だから、膝を抱えて踞るカーラの眼前に立ち尽くしていたユインは、酷く顔を歪めて。

泣き笑いの面で。

カーラへと、両腕を伸ばした。

泣き笑いの面のまま、カーラへと両腕を伸ばして、壁際から引き離すように、ユインが彼を抱き締めれば。

「ユインさ…………」

カーラも又、ユインと同じ、泣き笑いの顔になって、抱き寄せられるまま、歪んだその顔を、恋人の胸の中に埋めた。

「……駄目ですよ…………」

「……何が……?」

「ユインさんに、今、そんな風にされたら、僕、又泣いちゃいますよ…………。もう泣かないって、決めた、のに…………」

頬を押し付けた胸の中で、この上泣き濡れるのは貴方の所為だと言わんばかりにカーラは呟き、ユインの上衣を、涙で濡らし始める。

「だから、いいってば。泣いても、いいんだよ。僕の前でくらい、泣いたって。…………ううん。泣いてみせて? 僕の前でくらい、盟主ではない君でいて? 僕の手の届く場所に居てよ、カーラ……。……でないと、君が遠過ぎて、僕は手も伸ばせなくなる……。自分のことしか考えられないような僕では、君に触れられなくなる……」

そんなカーラを抱き締める腕に、力を込めてユインは、自嘲気味の言葉を吐いた。

「………自分のこと……? 何で……? ユインさん、何時だって、僕や皆のこと……」

「そんなことはないよ……。それは、カーラの買い被り……。君が思っているより遥かに、僕は利己的。……君を、愛しているから。……愛している君が無事で、僕の前から消えなくて、僕の幸せが奪われなければ、それでいいんだ……。それ以外、何がどうなろうと、多分僕は構わない……」

「…………嘘ばっかり……」

「……嘘じゃない。嘘なんかじゃ……。君さえ無事ならそれでいい、僕の傍に居てくれる、僕だけの君がいればそれでいい。僕は確かに、そう思ってる。……その証拠に、僕は……、君に輝く盾を使わせない、それだけの為に、夕べ、この城へ戻らず…………」

「ユインさん…………」

何故、貴方がそんなことをと、問う風になったカーラへ、ユインは、苦々しそうに。

「……どうして、そんなこと言うんですか…………?」

だがカーラは、伏せていた面を持ち上げて、ユインを見詰めた。

「……え?」

「前に僕が、ユインさんとこの戦争と、秤に掛けてるのかも知れないって、そんなこと考えてた時、ユインさん、何を馬鹿なことを……って、叱ったのに……。自分の番になると、そんな風に言うんですか……? 狡いです、そんなの……っ。ユインさんに、そんな風悩まれたら僕は……っ、僕は全部、後悔しなくちゃならなくなるのに……っ。……お願いだから、そんなこと言わないで下さい、ユインさん……っ。……ナナミが……ナナミがあんなことになっゃった、今だってっっ。ユインさんが傍にいてくれるから、僕はこうしていられるって……、そう思ってるそれも、僕は捨てなきゃならないんですか…………っっ」

恋人を見上げる琥珀色の瞳から、義姉の死を悼む為のそれとは違う涙を流して、彼は言い募った。

「カーラ…………」

「……っ……。僕だって強い訳じゃないし、立派過ぎる盟主でいたい訳じゃないしっっ。でもっっ。シュウさんに、ああ言われてもっっ。ナナミがいなくなっちゃってもっっ。僕には未だ、ユインさんがいてくれるからって、だからっ…………っ。なのに…………っ……。僕のこの想いが邪で、世界中の皆から非難されるような人でなしなことだったとしても、僕は、ユインさんと結ばれない方が良かったなんて、これっぽっちも思わないし、思いたくもないんですっ。でも、ユインさんにそんなこと言われたら、僕はそこから、後悔しなくちゃならなくなるじゃないですか……っ……」

「…………御免。御免ね、カーラ……。……謝るから。……ね? ……御免。もう、あんなこと言わないし、思わないから……。──泣かないで。泣き止んで。僕の為に泣かないで。お願いだから…………」

……だから。

只ひたすらにユインは、カーラのことを抱き締めて、あやすように詫びて、彼が、真実泣き止むまで。

思っていたよりは時を要さず、カーラが泣き止んでくれたから、安堵を露にして、ユインは彼の顔を覗き込んだ。

見詰めてみたその面は、未だ何処となく不貞腐れているような雰囲気を漂わせていたけれど、それでもうっすら、笑みを浮かべてはくれたので。

「御免ね」

最後にもう一度だけ、と、ユインはその言葉を、何時もの自分通り、少しばかり軽く聞こえるような響きで言ってみせた。

そうしてみれば益々、まるで、「ユインさんはそういう風なのが良いです」と言っているかの如く、カーラが笑みを深めたので、思わず。

「カーラ。一寸、目、瞑って?」

一言、促しだけをして彼は、乗り上げたベッドの上に、恋人を押し倒さんばかりにしてから、キスをした。

「…………ユインさん?」

「……キスしたくなっちゃった」

「したくなっちゃった、って……」

「だってカーラ、可愛かったから」

不意打ちでキスをされたカーラの方は、唇を触れ合わせている最中も、終えてからも、きょとんと首を傾げたままだったが、したくなっただけだ、とのユインの答えを知って、ちょっぴり項垂れ、けれどユインは、意にも介さずに。

「…………何処がですか?」

「んー。全部?」

「…………………。……本当に、可愛い、とか思ってます……? 第一、男の僕捕まえて、可愛いとか思えます? 僕も男ですから、正面切って可愛いとか言われると、一寸へこみますよ……?」

「あー、そうだろうね。僕も、可愛いとか言われたら、一寸ショックかな。ショックって言うよりは、怒るかな、うん。……でも、カーラ? 可愛いって言われて怒るのは、僕以外の人に言われた時にしてね? 君が男なら、僕だって男だよ、君が男だろうと女だろうと、君は僕の恋人なんだから、可愛いの一つや二つ、僕は思うよ?」

小首を傾げたままのカーラを見下ろして、彼はきっぱりと、そう言い切った。

「……う。……え、ええと……。……僕は、喜ぶべきですか? 悲しむべきですか?」

「……喜んでよ、一応でも」

「じゃあ、そうします……」

そんなユインへ一瞬、カーラは不審そうな目を向けて、でも、まあいいか、と言う風に、曖昧ながらも頷いたから。

「………………ずっと。ずっと、ずっと、ずう……っと。そのままの君でいてね? 可愛らしい君で、変わらない君でいてね。……愛しているよ。……僕の傍にいてね? 僕の傍にいて、可愛くて、強くて、真っ直ぐな君を支えるに相応しい、僕でいさせてね……。君の傍にいて、君を守って、君を抱き締めていられる、僕でいさせてね…………」

ユインはカーラを抱き寄せ、もう一度、キスをした。

…………今度は、一言の促しもなかったけれど、カーラは黙って目を閉じて、訝し気な顔もせず。

唯、それを受け入れてみせた。