全てを諦めた、死んだ魚のような目をしたハイランド兵達を倒し続けて、ルルノイエ王宮の最深部へと、カーラ達は進んだ。
永遠抜け出せぬのではないかと思った迷宮の終点は、気が付けば、もう直ぐそこだった。
目指す場所へ辿り着く為の最後の『鍵』と思えた、クルガンとシードの二人をも倒した。
その先にあるのだろう、長い長い、白亜の廊下を駆け抜けてしまえば、終点──玉座の間に、彼等は足を踏み入れられる筈で、一歩、そこへ立ち入ったが最後、決着を付ける為の戦いが始まる筈で。
…………けれど。
終点へと続く、長い道程のその先には、唯一人。
兵士達も従えずに、レオン・シルバーバーグが、立ち尽くしていた。
「そこを、退いて下さい」
玉座の間へと続く扉の前に、まるで、番人の如く立ち尽くしているレオンを一目見て、ユインは棍を構え直し、カーラは息を詰めた。
何故、軍師である彼が、そこで一人そうしているのかは二人にも判らなかったが、決して、歓迎出来る事態でないことだけは理解出来た。
だから、息を詰めた後、レオンを見据えてカーラはそう言い。
「三年前のよしみでも、当てにしてみる?」
構え直した棍を眼前に突き出して、ユインはそう言った。
「……戦う為に、こうしている訳では」
が、レオンは肩を竦めて。
「そちらにはそちらの理想があるように、私には私の理想がある。ハイランドに手を貸したのも、結局はその為。別に、貴方達に感慨があるからした訳ではなく。私は私の、唯、思う通りに動いたまでのこと」
『そういうつもり』ではないと語り、右手に握り込んでいたナイフで、己の左手首に傷を入れた。
「……一度たりとも。『行く末』を見誤ったことなどはない。こうあるべきだと私が思った通り、これまで『歴史』は流れて来た。そして、見誤ることない私が、こうあるべきだと思う通り、私は『歴史』を流して来た。……だから。それに──『歴史』に、貴方達が抗うと言うなら、抗う先を、私に見せて欲しい」
そうして、彼は。
自身より滴り始めた鮮血を、足許の床へと零し、何処か愉しそうに笑うと、そのまま、玉座の間の方へと消えて行った。
「見せるって、何を……?」
「んー。……あれ、じゃない?」
去って行くレオンを追い掛けようとしながらも、カーラが首を傾げたら、ユインが、ほら、と、それまでレオンが立っていた、床を指差した。
………そこには、レオンが『置いて行った』、血溜まりがあり。
只の血溜まりと、只の床である筈のそこからは、何故か、獣の咆哮が聞こえ。
「………………獣の紋章……?」
「うん。どう考えても、獣の紋章。レオンが、自分の血を目覚まし代わりに、叩き起こしたんだろう。……見せて欲しいってあれは、僕達が、獣の紋章を倒す所を、ってことじゃない?」
全く碌なことをしない、とブツブツ文句を零しながらユインは、そのまま、目覚め始めた獣の紋章の化身へと、一歩、進んだ。
「ユインさ──」
「──平気、平気。慣れてるから、こーゆーの。……さ、さっさと倒して、先へ進もう? ……決着を、付けるんだろう?」
「…………はい」
獣の紋章の化身──姿見せ始めた『銀狼』へと近付いて行くユインの足取りが、余りも軽いそれだったから、カーラが慌てて声を掛けるも、気遣われた当人は、誠気楽な風情で軽口を叩いてみせて、そして。
決着を、との己の言葉に、カーラが確かに頷いたのを見遣ってから、銀狼へ、改めて向き直り。
最早、仲間達の誰一人として振り返らず。
「さ、皆。始めようか?」
何処までも気楽に囁いて、彼はふわりと、軽く身を沈めた。
カーラのその前で、僅か沈み込んだ彼の背で、若草色のバンダナの端が、トン、と踊り。
もう一度、トン、と踊った時には、既に。
天牙棍を、己の腕の如く操りながら、銀狼へとユインは跳躍をしていて。
カーラからも、仲間達からも見えないその口許からは、確かに、詠唱が洩れていた。
……………………だから、そんな彼の姿は。
『この期に及んでも』、カーラの目には、遠い異国の、戦いの神様、と映り。
その背に、決して見えない翼さえも持ち合わせているような、見たことも行ったこともない、名さえ知らぬ、遠い遠い異国の、『どうしようもなく』強い、戦いの神様とだけ、映り。
────それまで銀狼が上げ続けていた咆哮とは違う、けれど一際大きなそれが、玉座の間へと続く廊下の直中で沸き上がった直後。
きつく瞼を閉じるより他術のない、目映い光が辺りを覆った。
戦い続けていた手も足も止めて、目を瞑ったカーラ達が、再びその瞳を開いたら、既に。
二十七の真の紋章の一つ、獣の紋章の化身だった、銀色で、双頭の狼の姿は、もう、何処にもなかった。
……本当に勝てるのだろうか、と、自身達を疑いたくなった程、大きく強かった銀狼に、自分達は勝ったのだと、カーラや仲間達は、深く息を付き。
「…………さ、行こう?」
漸く、構えていた棍を下ろして、ユインはカーラを振り返った。
そして彼等は進み、先頭に立ったカーラは、玉座の間の扉を両手で開いて。
だが、進み切ったその先の、何処にも。
広い、玉座の間の何処にも。
いる筈の、ジョウイの姿はなかった。
それまで、彼等が繰り広げてきた戦いの喧噪も気配も、何一つとして届いてはいなかったように、別世界の如く静まり返った、広く、そして白い玉座の間に、ジョウイの姿が見えないのを悟った途端。
カーラは、思わず、の風情で、不思議そうに首を傾げ、次いで、両の眼を見開き。
「…………ジョウイ……?」
ぽつり、親友の名前を呟いた。
「もぬけの殻、か……」
首を傾げ、目を見開き、一切の動きをぴたりと止めてしまった彼の横をすり抜け、ユインは、打ち捨てられたように玉座に掛けてあった、皇王の正装である、白い上衣を取り上げる。
「ここが、『王宮』でだって、うっかり失念していたね。万が一の時の為の、抜け道の一つや二つ、あって不思議じゃないのに……」
そうして彼は、何処か口惜しそうに、持ち上げたジョウイの上衣を握り締めた。
「…………ジョウイ……」
だが、カーラはひたすら、ジョウイがこの場にいないこと、それのみを、瞳に映している風に呟き続け。
「崩れる……?」
「……多分。この震動は……」
先獣の紋章の化身を討ち滅ぼした所為だろう、大きく揺らぎ始めたルルノイエ王宮に、仲間達は皆、不安そうな色を頬に浮かべた。
「カーラ、ここは危な──」
「──……嫌です。…………嫌だ。僕は、ジョウイを捜しますっ!」
ここまでを共にした仲間達が向けてきた、脱出を促す視線を受けて、ユインは白い上衣を打ち捨て、カーラの腕を取るも、彼は恋人の腕を振り払って、声高に叫んだ。
「……カーラ、何を馬鹿なこと……」
「だって、ジョウイがいないからっ! 嫌です、このまま戻るなんてっ。ジョウイを捜しま──」
差し出した手を振り払われても、諦めることないユインをも、拒絶するかのように、ジョウイを捜す、と。
「──カーラっっ!」
だが、もう振り払わせはしないと、強く強く、カーラの二の腕をユインは掴み。
「何、馬鹿なことを言い出すの? この王宮が崩れ始めたのは、カーラにだって判ってるだろう? なのに、ジョウイ君を捜す? ……命を粗末にする気? 僕の前で」
「………………でも……っ……」
「でも、も、だって、も聞かない。…………戻るよ」
去り難そうなカーラを、力任せに引き摺って、彼は、王宮の出口目指し、仲間達と共に駆け始めた。
玉座の間を目指し辿った廊下を、今度は、出口目指す為に息せき切る程に駆けて、漸く外へと飛び出し、堀と城門を繋ぐ橋を渡って、自分達の帰りを待ち侘びていた仲間達の許へと、カーラやユイン達が戻った途端。
白亜の王宮は、その一部が、轟音を立てて崩壊し始めた。
その音は、余りにも虚しく、辺りへ轟き。
しかし、確かに音は、長かった戦争の勝利が与えられたと、人々に伝えるそれだった。
だから、誰もが皆息を飲んだ所為で、一瞬のみ訪れた沈黙の後、割れんばかりの歓声が沸き起こって。
後に、デュナン統一戦争と呼ばれることになる、約一年に及んだこの戦争は、一先ずの幕を閉じた。