人々が、懐かしさと複雑さの入り交じった再会や、少々変わった想いの過る邂逅を果たしている最中に飛び込んで来た、コウの姉エリの訴えは、コウがバナーの峠を縄張りにしている山賊達に攫われたらしい、というものだった。
「え……。コウ君がっ?」
取り敢えず、懐かしむのも話を進めるのも後にしようと向かった宿屋にて、詳しい話を聞かされたセツナは、語られた事情に息を飲む。
「僕が、我が儘言ったから……。マクドールさんに会ってみたいから、山からお姉さんを呼んで、注意を引き付けて、なんて言っちゃったから……」
大人達から決して入ってはいけないと言われていたバナーの峠にコウが足を踏み入れた責任は、己にあると感じて彼は、胸に抱いていたトンファーを握り直し、バッと宿屋の入り口へと踵を返した。
「待って、セツナく……──っ……」
慌てた風な後ろ姿に、セツナがコウを助けに行こうとしているのだと気付き、カナタは彼を留めようとした。
が、途端、カナタは。
手袋で被われた右手の甲を押さえ、若干眉を顰めつつ片膝を付いた。
「マクドールさんっ!?」
ガッと、骨が床に当たる嫌な音が響き渡る程の勢いで跪いたカナタに、セツナは駆け寄る。
「へい……き……」
「そんな。平気そうになんて、全然見えないですっっ」
気遣う風に己を覗き込んで来た彼に、カナタは笑い掛けようとしたけれど、セツナはそれを遮って、カナタの右手に、己が右の手を添えた。
「………………。セツ……──」
「……? マクドールさん……?」
双方共に手袋で被われた手と手が触れ合った瞬間。
すっ……と瞳を細めて、何かを会得したような、厳しい顔付きをカナタはした。
それは、余りにも『気配』の窺えぬ表情で、セツナは訝しむ。
「──大丈夫。御免ね、心配させて。一寸、痛んだだけだから」
しかし、その直後、そっとセツナの手を除けてカナタは立ち上がって、にっこりと微笑むと、痛んだ、と言った右手でセツナの頭を撫でた。
「何がですか?」
されるがまま、セツナは首を傾げる。
「ん? 後で教えてあげる。それよりも、コウ君を助けに行くつもりなんだろう? 君は。僕も行くから」
そんなセツナを撫でる手を益々激しくして、カナタは、峠に行こう、と告げた。
それから。
コウ少年を助ける為に峠へと赴き、二人の少年の正体を知って逃げて行った山賊の、その向こうに待ち構えていたグレイモスという名の魔物を倒し、魔物の毒を浴びてしまったコウの為、今度はグレッグミンスターへ向かって、ホウアン医師の師匠リュウカンを訪ね……、として、何とか一行は、クレオという女性が一人守っていた、カナタの生家に落ち着いた。
それらの出来事をこなす間には、関所を守っていた国境警備隊長のバルカスを筆頭とするカナタの所縁の人々の、懐かしそうな、が、懐かしがる故に長い昔話を聞かされたり、トラン共和国の大統領レパントが、突然帰って来たカナタに、大統領の椅子を譲ろうとして揉めると言った悶着もあったが。
それでも、マクドール家にての安らぐ一夜を得ることは叶い。
「マクドールさん。一つ、訊いてもいいですか?」
夕食も終えて、入浴も終えて。黄金の都への道中、セツナが同盟軍の盟主と知ったからなのか……少し、話をしようかと言って来たカナタの自室に入るや否や、セツナは上目遣いで家主を見上げた。
「何をかな? セツナ君」
ああ、やっぱりこの少年は何処か仔犬のようだと、言葉にしたら少々失礼な感想を再び抱いて、カナタはセツナを見下ろす。
「えっと……、セツナ、でいいです。──あの……バナーの村の池の畔で。どうして、ビクトールさんとフリックさんのこと、叩いたんですか?」
「あれ、判っちゃった?」
「はい。どうしてですか?」
「成程ねえ……。──面白い子だね、君は。真っ先に、そんなことを聞きたがるなんてね」
くりっと、大きな瞳を見開いたセツナの問いを、ひっそり、カナタは笑った。
そして彼は、微笑んだまま理由を語る。
「簡単なことだよ。簡単だけど、話せば少しだけ長くなる事情の所為」
「事情……ですか?」
「ああ。──セツナく……セツナは、トラン解放戦争の話を、誰かから聞いているかい?」
「はい。ビクトールさんとか、フリックさんとか。ルックも少し話してくれたし……。あ、フッチとかテンプルトンとか、他の皆も話してくれましたよ」
きっとカナタは、色々なことを真摯に語ってくれようとしているのだなと、その口振りから察したセツナは居住まいを正した。
ぴしっと姿勢を整えた年下の少年を見遣って、グッとカナタはセツナの腕を引き、殺風景な部屋にぽつんと置かれた寝台の上に腰掛けさせる。
「じゃあ、僕が。カナタ・マクドールが何者だったのかも、聞いているね?」
座らせたセツナの隣を陣取って、ぽぷぽぷ、そこにある見えない耳を撫でる手は止めず、カナタは再度尋ねた。
「はい。トラン解放戦争の、その……英雄、だって」
「僕の宿した、真の紋章のこと、も?」
「…………少し、だけ……。ソウルイーターのこと、ですよね」
「うん、そうだよ。ソウルイーター。魂喰らいの紋章。──僕の右手にある紋章はね、僕に近しい人の魂を、好んで喰らう。フリックの恋人で、解放軍の元々のリーダーだったオデッサとか。ソウルイーターの先代の継承者で、僕の親友だったテッドとか。それから僕の父親に、付き人だったグレミオ。その四人が、ソウルイーターの『犠牲者』。だからね、あの戦争が終わって、ビクトールとフリックが行方不明になった時。この紋章が二人を喰らったのかなーって。少し、落ち込んだりしたから」
「……そう、ですか……」
「ああ、何も、君が暗くなることはないだろう? 大丈夫、そんな顔しなくったって。──だからね。あの二人が、生きていたのに何処にも連絡を入れなくって、三年も生死不明のままでね。僕を落ち込ませたくせに、のうのうと姿を見せたから、思わず殴っちゃっただけ」
話が進むにつれ、少しばかり重くなって来たその『事情』に、セツナが暗い色を頬に浮かべたのを見て取り、あはは、とカナタは声を立てて笑った。
「随分と、明るく語れるんですねえ……」
四人もの近しい人間を継承せざるを得なかった紋章の所為で失った話を、さらりと語って笑い声を放ったカナタの瞳を、不思議そうにセツナは覗き込んだ。
「当然。嘆いてみたって、人生何も始まらないよ。況してや僕は、不老になってしまったからね。老い先はとっても長いんだ。『永い』人生、落ち込んで過ごしてみたって楽しくないし。紋章なんて、所詮は紋章。それ以上でも、それ以下でも有り得ない。運命とやらを甘受するつもりはないけれど、必要以上に退けるつもりも、僕にはないよ」
「ま、それもそうですよね」
「……そうだろう? 君だって、そう思ってる筈だよ。君は、随分と強くて、随分と面白い子みたいだからね。これくらいのこと、判るだろう?」
余り明るいとは言えない過去を、何故笑い飛ばせるのかの理由を聞かされ、直ぐさま納得を見せたセツナを、カナタは今度は、きゅっと抱き締めた。
「……分ってはいますけど。解ってはいません。……出来れば僕も、マクドールさんみたいに笑い飛ばしたいんですけどね、色々なこと」
カナタの過度なスキンシップに嫌な顔一つ見せず、されるがまま、セツナは言った。
「大丈夫。……君には少し、不安があるみたいだね。同盟軍の盟主としての、様々な不安。同じ立場にいたことがあるから、君が多くを語らずとも、僕には能く判るよ。…………ねえ、セツナ。もしも、君が不安だと言うなら。僕が傍にいてあげようか?」
「でも……。そんな風に、一緒にいてくれるって無条件に言って貰えるのは……そりゃ、嬉しい、ですけど……。僕と一緒にいるってことは、同盟軍の盟主と一緒にいるってことで、そうすると、戦いに巻き込まれちゃうってことで……。──マクドールさん、もう戦いなんて、嫌なんじゃ……?」
「そんなことはないよ。言ったろう? 僕の過去がどうであろうと、運命は運命だし、紋章は所詮、紋章でしかないのだからね。──どうも、僕は君が気に入ったみたいだから。君が望むなら、僕は傍にいてあげる。……共に、ゆこうね」
──此度の戦いに於いては宿星では有り得ない存在を。況してや、重たい過去を持つ彼を。
戦いに巻き込むことに躊躇いを見せたセツナに、にこにこと、微笑みながらカナタは言った。
少年の頭
もう、父の、付き人の、親友の影もない、黄金の都の生家にて。
共にゆこう、と。