7. 大人の事情
ティントにての攻防戦を終えて暫く。
グリンヒルを解放したり、ミューズにてジョウイと兵を交えたりと、幾つかの戦いを経て、間もなく、北国の城ロックアックスを攻める、という頃。
と或る日、炭坑の街へ向かう道すがら出会ったゲオルグ・プライムという剣士と、大分城内に溶け込んで来たルカとの派手な立ち合いを眺めた後、それを、その舞台だった中庭からかなり離れたシュウの部屋にて見学していたというのに、勝敗が決した直後、ルカがゲオルグからくれられた『うつけ』という囁きを、どうやってかは謎のまま、耳にした少年達は。
「ルカさーん。ゲオルグさんに、うつけって言われたでしょー?」
「まー、言われてもしょうがないよねえ、アレじゃ」
剣の道を極めてより初めて、一対一の戦いに於いて負けを喫し、落ち込んでいるようなルカを、そんな風に囃し立てる言葉でからかってみたり。
何時の間にやら少年達の中では『序で』に降格させられてしまった、シュウとルカの仲を何とかする為の『企み』の一環として、ギルバートの部下の傭兵の一人に、当て馬大作戦を展開して貰ったりと、傍目には面白可笑しくとしか見えない日常を、セツナとカナタは過ごしていた。
三年前、天魁星に魅入られた、今も尚『英雄』と崇められる少年。
今現在、天魁星に魅入られて、『英雄』と崇められ始めた少年。
不可思議な質で、何を考えているのか能く判らなくて、何事にも前向きで、何時も朗らかに笑っていて、例え如何なる過去を背負おうとも、如何なる運命に出会おうとも、彼等二人は決して湛えた微笑みを変えないと、少年達を見遣る者の大抵は、そう信じていた。
──彼等に関わった大抵の者が信ずるそれは、確かに間違いではなく、彼等は二人共に、何を考えているのか能く判らない不可思議な質をした、常に朗らかで前向きな少年だったけれども。
それでも、彼等は彼等なりの『変化』を迎えながら、『面白可笑しい』としか見えない日常を過ごしていて。
「あれも、進歩の一つなんですかねえ……」
──過ぎる日常の中の、と或る真夜中。
闇の中、中庭に植わっている古木の枝の一つに腰掛け、黒に紛れながら、城の一室を見詰めていたセツナが唸った。
「進歩って言えば、進歩なんだろうねえ、間違いなく」
時折真夜中の散歩に抜け出す彼に付き合って、同じ枝を跨いでいたカナタは呟いた。
……今、彼等が見遣っているのはシュウの部屋。
ロックアックスを攻める為に、どうしても必要なレオン・シルバーバーグの足留めをキバに依頼したシュウの声と、真直ぐにそれを受け止めたキバの声と、廊下で二人のやり取りを聞いていたらしいルカの微かな声が洩れて来るその部屋を、彼等はじ……っと、眺めていた。
死なせはしない、とキバに告げるルカの声は、切れ切れに古木の枝に届く。
そんな科白を受け止めたシュウとキバの声も、二人の許へと届く。
「ルカさん、あんなこと言ってますけど。あれって結局、キバさんへ、じゃなくって、シュウさんへ向けられた思い遣りって奴ですよね?」
「だろうね。ルカはルカなりに、シュウの負担を軽くしたいんだろう。ちゃんと言葉にすれば手っ取り早いだろうに、遠回しな方法を取るから判り辛いけど」
「……あ。ルカさんの声、遠退いてく。……あーあ。シュウさんってば。子猫なんか抱いて誤魔化しちゃって。まあ、でも……自分持て余した挙げ句に猫抱いて誤魔化しちゃうってことは、シュウさんも、ルカさんの気持ち、判ってるってことですよね? ……大人って、難しいですねー。あそこでシュウさんがルカさんの後を追い掛けちゃえば、話は簡単なのに」
「大人には大人の、事情っていうのがあるんだよ。歳を取れば取る程、人間なんて素直じゃなくなっていくから。素直では生きていけないんだよ、大人は。真直ぐに、一つの捩れすらなく大人になった人間なんて、この世にはいないよ」
風に乗って届く大人達の会話を聞きながら、二人は、勝手な感想を洩らした。
「マクドールさんは?」
「僕? 僕はほら、永遠の少年だから。何時までも素直なままって奴?」
が、やがて彼等の会話は、大人達から動きが消えてしまったことによって、茶化し合うようなやり取りへと変わって行く。
「…………。まあ、僕達には僕達の、事情もありますしね。大人とは違う事情」
カナタの発言に一瞬動きを止め、直ぐさま、枝より垂らしていた足を揺らすことで、僅かな間をセツナは誤魔化したが。
「セツナー? それは、僕が素直じゃないって、そう言いたいのかな?」
ムニュッと、セツナの頬を軽く摘むべくカナタの腕は伸びる。
「そんなつもりありませんよぅ。マクドールさん、結構正直ですもん」
頬を引く指先より、ずるりとセツナは逃げた。
それでもカナタの腕は、何処までもセツナを追い掛けて、
「そう?」
「マクドールさんの言うことって、かなり『難しい』ですけどね。だから、正直、には聞こえないですけど」
「セツナの言うこともね。複雑、だよ」
「お互い様ですね」
「そう。お互い様だ。でも、仕方ない。僕達には僕達の、事情があるから」
「……そうですね…………」
それなりの枝振りとは言え、逃げるには限界のある場所のこと。言葉を交わす間に退く先を失ってしまったセツナは、大人しくカナタに捕まり、その言葉の示す真実の意味を汲める者は、今は互いしかいないだろう自分達の科白に深く頷きながら、むにむにと頬を摘むのを止め、抱き締めて来るカナタにされるがままになった。
「…………みたいに……」
そして、ぽつり。
「……ん?」
「──シュウさんやルカさんみたいに。『素直』になれたらなあ……って、思って」
夜の闇の中、やんわりと見下ろして来たカナタに、セツナはそう呟いた。