それを、取り柄と言っていいのかは判らぬが。

やかましいことが、彼女の取り柄の一つだった。

得意だと言う料理をやらせれば、大男が昏倒する程、凄まじい代物を拵えた。

セツナ、セツナ、と城中を駆け回る姿、真夜中に唐突に鍛練を始める賑やかさ、それらに眉を顰める者もいた。

けれど彼女は、まるで真夏に咲く大輪の花のようで。

何時でも、どんな時でも、真実、真直ぐに生きていて。

義弟を想う心は人一倍強く、その優しさも、朗らかさも、本当に暖かで力強い花の如くだった。

彼女を嫌う者は恐らく、この城の中には存在しないだろう。

セツナに対して、同盟軍盟主と己が弟という立場の区別を決して付けようとしなかった彼女に、手を焼いていたシュウでさえ。

──やかましくて、食べられた物ではない料理を拵え、落ち着きがなくて、元気を有り余らせていて。

朗らかで、優しくて、芯が強くて。

誰からも愛された、そんな少女が。

今宵、死出の旅に発った、セツナの姉だった。

弓矢にて傷付いたナナミを抱えていたロックアックスの城内でも、無言のまま、暗い顔のホウアンが首を振った医務室前の廊下でも、人々が啜り泣き始めた真夜中の今も。

泣こうともせず、何も語らず、ひたすらに盟主で在り続けたセツナの傍らに、カナタは立っていた。

漸く辺りから己達以外の気配が消えた最上階の部屋で、唯、その中心に立ち尽くすだけのセツナの傍に。

「セツナ……」

──トン……と、カナタはセツナの肩に右手を置いた。

「…………マクドールさん」

「何? セツナ」

ふわりとした、その衝撃を合図にしたかのようにセツナはカナタを振り返り、薄茶の前髪の向こうで揺れる大きな瞳を、カナタは覗き込んだ。

「もう、そろそろ。いいですか?」

「……何を?」

見開いたまなこでカナタを見上げ、両手を握り締め、セツナは。

「もう。泣いてもいいですか? もう、僕が泣いても、他に誰も悲しみませんか? 今なら、僕が泣いても。誰の幸せも奪いませんか?」

泣いてもいいか、と乞うた。

「いいよ。泣いても構わない。叫んだって構わない。今、この瞬間、君が盟主であることを忘れても、誰の幸せも奪わないよ」

だからカナタは、セツナの肩に右手を置いたまま、そう言ってやる。

「マクドールさんも? 僕が泣いても、マクドールさんは見ない振りをしてくれますか?」

けれど少年は、中々泣き出そうとはせずに、じっとカナタを見詰め続けた。

「見ない振りは出来ない。君の泣き顔に悲しまない振りも出来ない。君が泣いたら、それは、僕の『幸せ』を奪うかも知れない。でも、僕は言ったろう? 共にゆこうね、って」

「………そうでしたね」

見詰めるセツナにカナタが返した答えは、全てが望むものではなかったけれど、それでも薄くセツナは微笑み、すとっとその場にしゃがみ込むと、歩き疲れた子供のように踞り、膝を抱え、目を見開いたまま、ぽろぽろと涙を零し始めた。

「……ナナミ……。ナナミ……。お姉ちゃん…………」

逝ってしまった少女の名前を呼びながら、セツナは静かに泣き続ける。

踞ったセツナに倣い、カナタも又しゃがみ込んで、よしよし、とセツナを撫でた。

「……マクドールさん…………」

「…………ん……?」

「どうして……大切なものは、手の中から零れて行くんでしょうね……」

「……甘受は出来ないけれど。受け止めることは出来る、運命、なのかもね……。導く者に、手の中に収める者は要らないと、星は言いたいのかも知れない」

「だとしたら……。人を導くって、何なんでしょう……」

優しく、神の慈愛のそれであるかのように、そっと撫でてくるカナタの『右手』の心地良さに、ふっとセツナは瞼を閉じて、次から次へと問う為の言葉を放った。

「そうだね……。与えること……なんだろうね、きっと。ならば、与えるものとは何か、その答えは沢山あるけれど。……勝利だったり、希望だったり、平和だったり。誰かが望むものを与え続けること。それが、人を導くことだと、僕は考えるよ」

少年を慈しむ表情は変えず、カナタは唯、淡々と問いに答えていく。

「与えること、ですか……」

「そう。与え続けなければならない僕等に、満たされた人々の笑み以外の見返りは、何一つないけれど。──僕等に、何かを与えてくれる人はいない。僕達は唯、全てを零しながら進んで行くだけ。こればかりは、僕にも逃れようがなかった。僕等は……握り締めた水よりも簡単に、全てを零して歩いて行く。でも、それでも。止まれない。与えたいものがある限り。僕達は止まれない。────セツナ?」

「……はい」

「与えたいものがあるんだよね? 形には拘らずとも、皆が幸せになって欲しいという望みを、諦めないんだよね? 止まれないんだよね……?」

「…………止まれない……です……」

──だったら。明日から、又、歩こうね。共にゆこうね。何が遭っても、僕はセツナの傍にいるから。……幸か不幸か。僕達は、導く星の許に生まれた。『空』に数多の星があっても、誰も僕達を導いてはくれない。でも、僕ならセツナを。セツナなら僕を。天魁星の許に生まれたが為、導くことが出来るかも知れない」

起伏の少ない抑揚でセツナを諭して、カナタは、大切な弟のような存在を、腕の中に収めてあやした。

「三年前……マクドールさんは、泣いたんですか……? 『それでも』止まれなかった時」

「僕? …………さあ、どうだったろう。もう、忘れてしまった。泣いたような気もするし。泣かなかったような気もするし。何も彼も、遠過ぎてね。どうでも良くなる程、遠過ぎて。忘れてしまった」

「……マクドールさん……っ……」

己をあやしながら、どうでも良くなってしまった遠い過去など、忘れてしまって思い出せない、と言うカナタに、セツナは縋り付いた。

カナタの服の襟元を両手で強く握り、顔を伏せ、暫し泣き濡れ。

やがて彼は身を捩り、自身に『注がれていた』カナタの右手を取り上げる。

セツナのしているそれによく似た色の、皮の手袋で被われた右の甲に、少年は濡れた頬を重ね。

「……死んでしまった人はもう、還っては来ないんですね……」

「そうだね。人は死んだら、それで終わる」

「ナナミは……幸せだったんでしょうか……」

「君を守ることが、彼女の一番の願いだったと言うなら。幸福の内に旅立った筈だよ」

「止まれなくても、ナナミは許してくれますよね……。僕は未だ、止まりたくない……」

セツナは。

カナタの手を頬に押し付けたまま、泣き続けた。