建国の意気に溢れる人々を振り切ってまで、セツナが天山の峠を訪れたのは、胸に、一つの約束があったからだった。

此度、幕を閉じた戦争の始まり──自分達が属していたハイランドのユニコーン隊が、祖国の皇子に襲撃された夜。

何とか彼は逃げ延びて、天山峠にある滝に、ジョウイと二人で飛び込んだ。

もしも、二人離れ離れになることがあったら、この場所で再会しよう、と誓って印をも残した。

……その時のその約束が、セツナの胸にはあった。

──皇都ルルノイエが陥落した時、その玉座にジョウイの姿はなかったから、己の中にあの時の約束が生きているように、彼は必ずここで待っている筈だ、と信じ、セツナはここへやって来た。

何が遭っても。どんなことが遭っても。君の傍にいるよ。……共に、ゆこうね、と。

そう言い続けたカナタと共に。

が、目指していた約束の地が眼前に迫った時。

「マクドールさん」

カナタを呼んで、セツナは足を止めた。

「あの。ここで、待ってて貰えませんか」

「どうして?」

──ここから先には来ないで欲しい。

……そう願ったセツナに、カナタは瞳を細める。

「判んないんです。……判らない、から。だから」

「判らないって、何が?」

「マクドールさんと出逢った後。黄金の都グレッグミンスターで、紋章のことも、運命のことも笑い飛ばしたマクドールさんみたいになれる方法が、今だけは、判らないから。……待ってて下さい。お願い、します……」

すっと半眼になり、何処か納得いかなそうな表情を湛えたカナタより、面を伏せてセツナは言った。

「……判った。君がそう言うなら、いいよ。ここで、待っているよ」

セツナの、雨に打たれて震える仔犬の如く項垂れる様に、ふう……っと、溜息と共にカナタは諦めを吐いた。

「…………でもね、セツナ。『信じている』よ」

ジョウイの許まで共に行く代わりに、信じている、その一言を捧げ、カナタは彼を送り出す。

「……はい」

漸く、伏せた面を上げて、儚く微笑み。

セツナは、待っているだろうジョウイへと、歩き始めた。

「待っていたよ、セツナ。決着を、付けよう……」

再会を誓ったその場所で、やはりジョウイは待っていた。

近付いて来たセツナを見遣るなり彼は立ち上がって、決着を、そう言うや否や、抱えていた棍を構えた。

「久し振りだね、ジョウイ……」

が、戦いの意志を示されても、セツナはにっこりと笑って、

「ねえ、ジョウイ。もう、戦争は終わったんだよ。僕達が戦う必要なんて、ないじゃない」

得物も手にせず、諭すように言った。

「セツナ。それじゃあ駄目なんだよ。この戦いは、君か、僕か、そのどちらかが討たれなければ、終わらないんだ」

けれどジョウイは首を振り、セツナの言葉を退ける。

「…………どうして、こうなっちゃったんだろうね、ジョウイ」

「……どうしてなんだろうね。……今では、もう、僕にも判らないよ……」

「ねえ、ジョウイ」

「……ん?」

「ジョウイの望む、幸せって、何?」

戦うことなんて、もう止めようよ、との訴えが親友に届かなかったのを見て、セツナは軽く唇を噛み締め、暫し俯いたが。

やがて、にこっ……と、何時も同盟軍の人々に見せていた、柔らかい、少しばかり頼り無げに見える微笑みを綺麗に湛え、幸せを問うた。

望む幸せは、何だ、と。

すればジョウイは、僅かに細めた眼差しに、過去を振り返る色を乗せる。

「幸せ……? 僕の望む幸せ、は……そうだね……。それは、もう取り戻せない時間の中にある。何も知らないで、何も見ないで、君やナナミとキャロの街で暮らしていたあの頃の。遠くなってしまった時間の中にあるよ。多分ね」

「……そんな答えは駄目だよ。昔の中にある幸せじゃなくって。今の幸せ。『これから先』の幸せ。……この先の、ジョウイの幸せは、何処?」

──己が幸せは、過去の中にある。

……幸せの在り処を問うたセツナに、ジョウイはそう答え、それは『答え』ではないと、セツナは首を振った。

「この先の、幸せ、ね……」

「ジョウイには、見えないの?」

「見えないかも、知れない。──君やナナミが幸せであること、それを望むこと。それが、僕の幸せだった。……守りたかったんだよ。全てを捧げても、構わないと思った。何処で、何が間違ってしまったのか、判らないけどね。どうして、こうなってしまったのかも判らないけどね。……君とナナミ──君、は。僕の希望だった。君達と、ずっと一緒にいたかったんだけどね……」

セツナに首を振られても、今に、この先に、幸せは見えないかも知れない、とジョウイは言う。

「……そう。…………そう、なんだ。それが君の、幸せ、なんだ」

「力が欲しいと思った。強くなりたいと思った。それさえあれば、全て守れると思った。ハイランドの皇王……なんて、なりたかった訳じゃない。導く者になりたかった訳じゃない。唯、ね。遠くからでもいい。僕は、僕の大切な全てを、唯、守りたかった。……だから…………──

──ジョウイ。ジョウイ……。もう、いいよ。変なこと聞いて御免ね……。……そうだね。それが君の、幸せなんだね…………」

たった一つの、望みだったこと。

その先にあった、幸せの在り処。

それをジョウイが語っている途中で、セツナは言葉を遮った。

にっこりと、唯、綺麗に笑って、彼は。

すっ……と、腰に下げたままだったトンファーを取り上げて、すこぅしだけ、哀しげにジョウイを見上げた。