バナーの村の池の畔で、チュアンと出逢ってより、数週間。
あの頃は夏だった季節が、秋に変わるまで、ずっと。
つい、先週までファンはチュアンと、かなり親しい『付き合い』を続けて来た。
──正直なことを言えば、一等最初の頃には彼の中にも、『チュアン・マクドール』と関わり合いを持つ、ということに対する、若干の打算があった。
知り合った時のあの出来事より、悪い人ではないようだし、付き合い辛い性格をしている風でもないし、とファンはチュアンのことを『値踏み』したから、そもそもから彼には、出逢ったばかりの相手に対する、好意はあり。
が、それを請われた時、就く、と自ら決めてしまった同盟軍盟主にファンはなってしまっていたから、推定年齢十五歳前後である彼も、何時までも子供のまま在ることは出来ず。
子供のまま在ることが出来なかったが故、ハイランド皇国との戦争に関わりを持つようになる以前よりは、ファンは大分、『狡く』なってしまっていた。
故に、知り合った当初から、好意を持ってはいた相手との付き合いの中に彼は、『トランの英雄』と付き合うこと、との『選択肢』を自ら与えた。
さり気なく──と言っても、その下心は見え見えだったのだろうが──チュアンのことをどう思うかと、正軍師のシュウに尋ねてみても、別段、そう言った意味での否定的な答えは返されなかったから、「じゃあ、一寸だけ……」……と。
ファンは最初、悪い言葉で言うなら、チュアン──否、トランの英雄、との肩書きを持つ彼を、同盟軍の為に、少しだけ、『利用』させて貰うつもりでいた。
けれど、チュアンとの付き合いを深めて行く内に、もうそんな打算は二の次になって、彼は純粋に、チュアンと付き合うことを、楽しみ、喜び始めた。
────打算を捨て始めたばかりの頃は、まるで、『お兄ちゃん』が出来たようで、嬉しかった。
力を貸してくれませんか、と頼みに行く度に、歓迎の態度を取ってくれる、マクドール家の人々も、大好きになった。
お兄ちゃんのようだ、と思い始めた相手は、見た目の年齢は己よりは一つくらい年上だったけれど、『中身』は六つ程離れていて、見た目も中身も十五歳前後のファンよりは遥かに大人だったし、正式に、同盟軍の一員になった訳でもなかったから、懐くには最適だった。
ファンのような立場になくとも、とかく、『強いこと』に憧れがちな、少年、という存在が、強い憧れを覚えて止まぬ程、チュアンの武術の腕前は素晴らしかったし。
言葉にしてしまえば、それは『不幸なこと』と相成るのだろうが、二十七の真の紋章の一つ、始まりの紋章の片割れである、輝く盾の紋章をファンが宿しているように、チュアンも又、二十七の真の紋章の一つ、生と死を司る紋章──ソウルイーターという渾名のそれを、その右手に宿し続けていたから、真の紋章に絡む、一寸した悩みや弱気になってしまう部分を、うっかりポロッと洩らしてしまっても、チュアンは事も無げに受け止めてくれた。
幾らファンが、ともすれば猪突猛進、と例えられるような性格をしていて、曲がったことや、まどろっこしいことが好きではなくて、うじうじ悩むよりは突き進んだ方がいい、という質をしていても。
亡き養祖父が言っていたそれのように、「何事も、気合いで何とかしてみせる。何とかなるように、何とかするだけ」、という信条を胸に掲げているとしても。
どうしたって、同盟軍盟主、という立場が齎し、ファンに付きまとわせる様々な煩いや厄介事は消え去らず、その煩いや厄介事に与えられる悩みや苦しみも、かつて、トラン解放軍を軍主として率いていたチュアンには、ファンがそれを言葉にせずとも察せられるようで、そういうことに対する、まあ……、一種の助言めいた言葉も、或る意味では惜しみなくチュアンは与えてくれた。
だから、チュアンとの付き合いを始めて暫くが過ぎた頃には、ファンの中でチュアン・マクドール、という人間は、友と綴るよりは、朋友、と綴る方が相応しいくらいの存在になって。
気が付いたら、周囲の者達に、ファンは。
「お前とチュアンは、まるで、親友同士みたいだ」
……と、そう言われるようになった。
………………そう、丁度、先週。
たまたま、飲んだくれることが好きな仲間達と、本拠地のレオナの酒場で話をしていた時、チュアンの話になって。
ファンは、仲間達に口々に、そう言われたのだ。
お前とチュアンは、まるで、親友同士のようだ、と。
だから、その言葉を耳にした時。
ファンは、ふっ……と。
『留まって』しまった。
……決して。
決して、チュアンと己が、まるで親友同士のようだ、と例えられたことが、嫌な訳ではなかった。
端から見れば、自分とマクドールさんは、そんな風に見えるんだろうな、との自覚もあった。
けれど、仲間達のその言葉は、ファンの中に、複雑な想いを芽生えさせた。
──ファンにとっての親友、それは、幼い頃から、ハイランドの片隅の街キャロで、ずっとずっと共に過ごして来た幼馴染み、が、今は同盟軍の敵であるハイランドの軍門に下り、デュナンの畔の同盟軍本拠地──即ちファンの在る場所より、遠く離れたルルノイエの王宮に住まっている、ジョウイ、彼以外には、有り得なかった。
こうして、互い行く道を違え、目指す場所も違え、敵同士となり、刃を交えるようになっても。
ファンにとって、親友、とは、ジョウイ以外には有り得ず、又、ジョウイ以外に有り得てはならない存在だった。
結局の処、どうして自分とジョウイが、こんな関係に陥るようになってしまったのかの、その『真実の真実』は、ファンにも未だに判らないけれど。
ジョウイが、敵となってしまっても。
ジョウイ・アトレイドだった筈の名前を、ルカ・ブライトという宿敵が消えて直ぐさま、ジョウイ・ブライト、と変えてしまっても。
それでもファンは、何時か必ず、キャロの街で、己と、親友と、義姉の三人で、毎日毎日、そうしているのが当たり前のように、共に過ごしていたあの頃へ還れる、と信じている。
ジョウイは今、己の敵で、己は今、ジョウイの敵だけれど。
それは、ハイランド皇王と、同盟軍盟主、という立場に関わる二人の間柄であって、ジョウイとファン、という個人の関係に関わる間柄ではない、とも。
だから、ジョウイは今までも、これからも、この先も、己にとって、唯一無二の親友であると。
彼以外、『親友』という存在は、己にはないのだと。
ファンは、頑なまでに、そう信じ込んでいて。
…………それ故に、仲間達が口にした、「お前とチュアンは親友同士みたいだ」との言葉が、とてもとても、彼には『重く』感じられた。
その科白を口にした者の誰一人として、そんなつもりはなかったと、彼とて判ってはいるけれど。
仲間達の科白はまるで、自分が唯一無二の親友を裏切ってしまっている、と暗に言っているように響いて、仕方なかった。
その為、ファンは。
馬鹿馬鹿しい、と思いながらも、覚えてしまった罪悪感に駆られて、チュアンと距離を置こうと思った。
そうしなければ、ジョウイに申し訳ないような気がしたから。
……でも。
又今日も、故意ではなかったとは言え、チュアンと顔を合わせてしまう羽目になって。
渋々ながら、周囲に変に思われぬようにと、出来得る限り、今までチュアンの前で取っていた態度と変わらぬ態度を、と努力してみたら、やっぱり、マクドールさんと一緒にいるのは、全てのことを抜きにしても楽しい、と、改めて感じさせられてしまい。
「…………なーんでなんだろ……。別にさ、親友、って人が、ジョウイ以外にいたって、悪いことじゃないと思うんだけど。どーしてこんなに、気になるんだろう……。────マクドールさんと、あーだこーだしてるのって、楽しいんだよなあ……。誘惑に勝てないくらい、楽しいんだよなあ……。……そりゃさ、楽しいのは別に悪いことじゃないしさ。いけないことでもないしさ。……でも、何となく……。本当に、何となく、罪悪感、覚えるんだよね……。………………あー、御免、ジョウイ…………」
ぶつぶつぶつぶつ、低い声の独り言を、マクドール邸の屋根の上で一人零して、ファンは。
何も彼もに嫌気が差したように、その場で、大の字にひっくり返った。