あの戦争が終わって以来、他人に対して、積極的に関わってみようとも、積極的に関わるのを止めてみようとも、チュアンは思わなくなったが、だからと言って彼は別段、世捨て人になってしまった訳ではなかった。

三年数ヶ月前に終結したトラン解放戦争に関わる前も、関わった後も、持って生まれた気質か、育った環境故か、チュアンは、竹を割ったような性格の持ち主で、己がこうと決めたからには、とか、例えそれが試練の道でも、と言った類いのことを脳裏に掠めがちな方だったから、あの戦争が彼に齎したモノが何であっても、あの戦争で彼が被ってしまったモノがどんなことであっても、彼は常に前向きだった。

……基本的には。

だが、男らしいと言えないこともないだろう質をしていたチュアンとて、前向きでいられたのは、あくまでも、『基本的』な話であって、解放戦争を戦い抜いて、『全て』を終えてみたらやはり、その心の何処かには、空虚が残った。

右手に宿した生と死を司る紋章──ソウルイーターは、確かに受け継いだ物であるからと、そう思う気持ちも本当で、彼が積極的にそれを憎もうとすることはなかったけれど、それでも、昼と夜を重ねて行く間には、どうして、とか、何で、とか。

この紋章さえ『こう』でなかったら、大切な人々を自分が失うことはなかったのに、とか。

彼とて、思い悩むことはあった。

故に。

大抵の場合は前向きに、腐ることもなく、戦争が終結して直ぐ、グレミオのみを伴って黄金の都を後にし、それより三年、世界を放浪しながらも、時折は、紋章や、己が辿った道程を、恨みたくなることとて、チュアンにもあったから。

彼とソウルイーターとの『折り合い』は、付いているような、いないような、何処か曖昧なそれで、バナーの村でのように、紋章は稀に、痛みをも伴い、チュアンの手の中より、『主張』をして来た。

さて、どちらが本当の主か、と。

それを、問い掛けている風に。

だから、そんな不安定な部分を僅かなりとも持ち合わせていたチュアンにとって、『その運命』の渦中にいると言うのに、「紋章が齎すことなんて、気合いで」と言ったファンは、酷く深い、興味の対象になった。

一言で言えば、とてもとても面白く。

そして、『懐かしかった』。

かつての己と似通った境遇に放り出されながらも、気合いで、と言い切る逞しさが面白く。

ナニモノにも負けぬようにと、日々を戦い抜いていたあの頃の自分を見ているようで、懐かしかった。

故に、バナーの村での一件が片付いた後も、「手伝えることがあったら言って」と、自ら誘うような言葉を掛けて、「一緒に戦って下さい」とのファンの求めには、彼は快く応じて来た。

バナーの村の一件から、余り時間が過ぎていなかった頃は、ファンの中に、チュアン・マクドールという人間は、即ち『トランの英雄』だという認識があるのも、年下の少年の思考の中に、それ故の打算があるのも、きちんと見抜いてはいたが。

そういう発想も、命を預り、人の上に立つ者の有り様、とチュアンは大して気にも止めなかったし。

更に時間が過ぎたら、打算とか、トランの英雄がどうの、とか、そのような計算は全て、ファンの頭の中からは抜けてしまったようで、純粋に懐かれ、慕われたので、それならそれで、気兼ねなく、と。

そこからは相応に、兄弟のような、友人のような関係を、チュアンはファンと始めた。

そうしてみたらチュアンの目にファンは、己と同じような、竹を割ったような性格……と言うか、もっと言うなら、潔い部分がふんだんにあるのが見て取れて、彼がファンへと傾けていた、弟に対するような、悪友に対するような、好ましいことだけは間違いない感情は、少しばかり加速し。

グレミオやクレオやパーンに、口を揃えて、「ファン君と、仲がお宜しいですねえ」と言われるようにさえなった。

が、つい、先週まで。

仲が良いと言われることは、決して悪いことではないと、己とファンとの間に築かれた関係に、チュアンは欠片程の疑問も抱かずに来たのだけれど。

…………そう、つい、先週のこと。

何時ものように、一緒に戦って下さいと、グレッグミンスターまでやって来たファンに乞われ、一寸した遠征に、チュアンは付き合った。

遠征と言っても、大仰なことは何一つなくて、それは、一般兵士に命じられてもおかしくないような、敵軍の様子をほんの少し窺って来るだけと言った、細やかな代物だったから、ファンやチュアンと共に出向いた者の数も少なく、道中は、行きも帰りも、大変気楽な雰囲気が漂っていた。

チュアンには、間違いなく、ファンが、己の息抜きの為に赴いた遠征だな、と断ぜられた程。

その遠征は、のんびりとしていた。

勿論、どんなに細やかであろうとも、任務は任務だから、それを彼等は口うるさい同盟軍正軍師にも文句を付けさせぬ程、きちんとこなしはしたけれど、街道を辿る彼等の口数は、自然、多くなり。

他愛無い話を、面白可笑しく重ねた彼等は、ちょっぴりだけ悪ノリをして、通りすがりの街で、ファンは、今回は城へ置いて来たナナミの為に、チュアンは、グレッグミンスターで自分の帰りを待っている家の者達の為に、たまには土産でも買おうか、と、思いを一致させた。

そして、そんな成り行きで立ち寄った、本来ならば寄らずとも良かった街の市場で、苦笑を隠そうともしない仲間達を尻目に、ああでもないの、こうでもないの、ファンと二人、土産の品を物色している最中、そう言えば、もう直ぐクレオが誕生日を迎える筈だったから、誕生日の贈り物に相応しい品を、求めた方がいいかなと、何の気無しにチュアンが呟いたことから、買い物をしつつの彼等の会話は、己の生まれた日、の話になり。

結果、チュアンは。

「あー……。僕、正確な誕生日って、判らないんですよねー……」

何処となく、寂しそうな顔をしながら、隣にいたチュアンにも、聞こえるか聞こえないか、の、本当に小さな声で呟いたファンの言葉を聞き留めた。

────ファンも、彼の義姉、ナナミも。

それぞれ幼かった頃、チュアンもその名は良く知っているゲンカク老師に拾われ、養子に迎えられた孤児だ、との話を、彼等と関わりを持つようになって程ない頃、チュアンは、誰からともなく聞かされた。

俗に言う、噂を耳にして、という奴だ。

だからと言って、わざわざそれを確かめようと思う程、チュアンは野暮ではなかったから、そのような噂は、彼は流してしまっていたけれど、『噂』を聞いたことがあるのは確かで。

故に、ポツっ……と洩らされたファンの呟きを耳朶が拾った時、どうしてそのことを失念していたのだろうと、チュアンは一瞬、己で己を罵り掛けた。

が、だからと言って、ファンには複雑な想いを齎すだろう誕生日の話題を持ち出したことを詫びるのも、却ってマズいような気がしたし、ファンにしてみれば、同情の言葉に聞こえるだろう詫びの言葉を告げられるのも、その話題をどうこうされるのも、と考え、それきり、彼はそのことには触れなかったから、取り立てて、だからどうだ、という程度の逸話で、それは終わってしまったのだけれど。

可愛がっている、弟のような、悪友のような年下の少年の、触れずとも良い場所に触れ掛けてしまったことを悔やむ気持ちは、早々簡単に去ってはくれなかったので、咄嗟にチュアンは半ば無理矢理、意識を別のことに傾けた。

…………が、それが、却ってマズかった。

強引に思考を違う方向へとねじ曲げたチュアンが、つらつらと考え始めてしまったことは、今は亡き親友、テッドのことだった。

そうして彼は、止めておけば良かったのに、脳裏に思い浮べた親友と眼前の少年を、ふっと重ね見てしまい。

自分とファンとの関係は、あの戦争が始まる前の、自分とテッドの関係に似ているのかも知れないとも、思ってしまい。

何故………………? と。

チュアンは、楽しそうに土産物を物色し続けるファンを、まじまじ、見詰めてしまった。