チュアンに教えられた通り、再び走り始めて程ない頃に、シーナとルックの二人は、ロッカクの里の入口に辿り着くことが出来た。
隠れ里、の名に相応しいそこは、見ず知らずの彼等を、不審者として、問答無用で叩き出そうとしたが、シーナが、トラン大統領レパントの子息であること、トラン解放戦争に参加していたこと、カスミも里長のハンゾウも知っている、と説明したこと、そんな事情を語ったら、里の者達は取り敢えず、と二人を中に招き入れてくれた。
そうして、姿が見えなくなってしまったナナミのこと、ナナミを捜しに、同盟軍盟主とトランの英雄の二人が向ったことをも語って、行方不明の彼女を捜す手を貸して欲しい、と頼み込んだら、ハンゾウが命じてくれたこともあって、忍び達は間を置かず、『迷子探し』に手を貸すと申し出てくれた。
なので、シーナもルックも忍び達も、チュアンやファンの後を追うべく、里より飛び出て行こうとしたが。
「あ、シーナさんにルック。ここでいいの? マクドールさんが言ってたロッカクの里って。──もー、どうしようかと思っちゃった、走ってる途中で滑っちゃって、もたもたしてたら、皆私のことに気付かないで行っちゃうんだもん。姿、見えなくなっちゃうし、道にも迷っちゃうしっっっ。……でも、辿り着けて良かったーーー……。って、あれ? ファンとマクドールさんは?」
里の入口を守る、木で出来た、大きな門の庇の下に。
髪も、桃色の服もびっしょりと雨で濡らした少女が、頬を膨らませ、ぶうぶうと文句を言いながら、立ち尽くしていた。
「…………あれ、ナナミ……?」
「あれ? じゃないもんっ。もーーーっ、頭のてっぺんから靴までぐっしょり! 雨臭ーーーい、ベトベトするーーーっ」
「いや、雨臭ーーい、じゃなくって。……ナナミの姿が見えないからって、チュアンとファンの二人が、捜しに行ったんだぜ? 会わなかったか?」
全身から滴る雫を、まるで子犬のように体を振りながら飛ばしている少女は、ナナミだ、と知って。
唖然としつつシーナが、チュアンとファンのことを尋ねたが。
「え? マクドールさんとファン? 会ってないよ? だって私、皆のこと見失っちゃって、挙げ句道に迷ったって言ったじゃない。どっち行ったらいいんだか、訳判らなくなっちゃって、適当にうろうろ歩いてたら周り中森の中で。ホントに、どうしようかと思ってたら、焚き火みたいのが篝ってある、門みたいなのが見えたんだ。だから、それ目指して、森の中突っ切って来たの。そうしたら、辿り着けただけで……。それが、どうかした?」
ナナミは、きょとん、と首を傾げるのみで。
「あっちゃー、行き違いか。……でも、その辺捜してナナミのこと見付けられなかったら、あの二人も一旦、ここに来るよな?」
「多分ね。この雨の中、無闇に迷子捜したって徒労に終わるってくらい、あの二人にだって判るだろ」
「……じゃあ、ここで暫く、あの二人のこと待たせて貰うか。雨宿りもしたいし」
チュアンとファンのことだから、放っておいてもその内ちゃんと来るだろう、と。
二人を迎えに行ってくれると申し出てくれた忍び達の厚意に甘えることにして、三人はのんびり、彼等の帰りを、そこで待つことに決めた。
「……いませんねえ……。何処行っちゃったんだろう……。──ナーナーミーーーーーーっ!!」
「見当たらないね。僕達を何処かで追い抜いて、沢へと続く方へ迷い込んでしまった可能性は、低いと思うんだけど……」
──ロッカクの里の入口で、シーナとルックが、ナナミと再会を果たしていた頃。
彼女の無事を知る由もないファンとチュアンは、濡れ鼠になりながら、ナナミを捜し、森の中を彷徨っていた。
「ナナミちゃんって、方向音痴?」
「いえ、そんなことはない筈、ですけど……。でも、ナナミだから……」
「そうか……。──多分もう、シーナ達はロッカクの里に着いている筈だから。念の為、崖の方一巡りしてから、僕達も一度、ロッカクの里へ行こう」
「そうですね、このままじゃ、埒明かないし……。──すいません、マクドールさんにまで、こんなことさせる羽目になっちゃって」
「そういうことは、言いっこなし。……兎に角、急ごう」
「はい」
ナナミはもう、無事にロッカクの里に辿り着いているのだから、当然のことではあるのだけれども。
それを知らぬ二人は、捜せども捜せども、姿の見えないナナミを、無闇矢鱈と捜してみても、と判断して、茂みの中より出、ロッカクの里へ続く道を辿り、里の手前でそれより折れて、崖の方へと向った。
突然降り出した酷い雨の所為で、深い下草に覆われた辺りは、とても足場が悪く。
その先の、緑さえ生えていない崖の縁辺りは、もっと足場が悪く。
近付いたら落ちるな、と。
向ってみた場所を一目眺めて、二人は共に、そう思った。
「危ない所ですね」
「……ああ」
幾らナナミでも、この様を見遣れば、近付いたりはしないだろう、そうは思ってみたものの。
ぬかるんだ地面や、横殴りの雨に足を掬われていたら、自分ではどうすることも出来ぬ内に、ここをころがり落ちてしまっていても、と。
自らが口にした通り、危ない所、そう判ってはいたのに、不吉なことを想像してしまったファンは、立ち尽くしていた場所より少しばかり、崖の方へと寄った。
「近付くと、危ない」
「大丈夫ですよ、これ以上は行きませんから。但、誰かが足を滑らせた跡でもあったらって、そう思って……」
身を乗り出した彼の、上着の裾を掴んでチュアンは、咎めのトーンを放ったが。
平気だ、と告げつつ振り返り、ファンはにこっと笑って。
「幾らナナミがおっちょこちょいだからって、幾ら何でも、とは思いますから、本当に、念の為で…………って……。……うっわっっっっっ……」
人の落ちた形跡がないか、確かめただけです、と言いながら、崖の傍より離れようと身を返した途端、ファンは、ぬかるみに足を取られた。
「……っ、ファンっっ!」
下草と土の境目に、足を引っかけるようにしてしまったが為、バランスを崩し、ぬかるみに足を取られ、そのまま転びそうになった彼を引き寄せようと、チュアンは掴んだままだった、ファンの上着の裾を握る腕に、力を込めたけれど、滑った勢いのまま、倒れ込んで行くファンの体に、彼も又、引き摺られるようになって。
「げっ、落ちるっっ」
「落ちる、じゃなくってっ! 無理でも踏ん張れ、そこでっっっ」
ファンは、咄嗟に口を突いた間抜けな科白を残して。
チュアンは、ファンが吐いた間抜けな科白への怒鳴りを残して。
二人はそのまま、崖の向こう側へと消えた。
その部屋中を温め切っても尚余る程、強く焚いて貰った囲炉裏の火に当たりながら。
シーナやルックやナナミは、忍び達がチュアンとファンを連れて戻って来るのを待っていた。
「ロッカクの里のお茶やお菓子って、面白ーい」
「面白い、か……?」
「うん。お菓子は、甘いのにすっきりしてるし。お茶は……一寸渋いけど、まあいい感じだし。今まで、食べたことも飲んだこともないもん、こんなお菓子やお茶なんて」
「……一応、味覚は真っ当らしいのに、どうしてあんたの作る料理は、あんなに破壊的なんだろうね……」
「どーゆー意味よ、それっっっ!」
里の女衆に振る舞って貰った菓子と茶に、きゃいきゃいナナミが喚く横で、借り物の着物に着替え、濡れた服を乾かしていたシーナとルックは、彼女の騒々しさに、少々辟易していて。
「おっせーなー、あの二人……」
「そうだね。一寸、時間掛かり過ぎかもね」
ナナミの騒々しさに対抗出来る二人の帰還を、こうして待ち侘びている時間が、思いの外長引いていることに気付いた。
「二人のこと、捜しに行ってくれた人達も、戻って来ないよなあ……。何やってんだ?」
「この雨の中、何処かで油を売る程、あの二人も酔狂じゃないとは思うけど……」
「寄り道なんかしないだろう? 幾ら何でも」
「寄り道……はしないだろうけど。自分達が迷ってたりしてね」
──早く、戻ってくればいいのに、と。
そう思いながら、戻らぬ二人のことを話しつつ。
まさか、そんな筈は、と考えながらもシーナとルックの二人は、今度は彼等が道に迷ったんじゃ、と、悪趣味な冗談を言い合って。
「失礼します。あの…………──」
丁度、その悪趣味な冗談を打ち切るように、寛いでいた部屋の扉を開けて入って来た女衆の一人に、戻って来た者達が、チュアンとファンの姿が何処にも見当たらない、と言っている、そう聞かされて、二人は無言のまま立ち上がった。