「大丈夫?」

うんざりする程雨に打たれ、川で流され、だと言うのに火も起こせず、こうしているしかないから、寒いのは当たり前なのだが、それにしては、ファンの震えが強過ぎる、と。

チュアンは眉を顰め、額に手を伸ばした。

「……やっぱり」

すれば、素手で触れてみたそこは、想像通り、熱く。

「ああ、そうか、昨日…………」

元々風邪気味だった処へ来て、雨に打たれ、水に浸かったから、と。

夕べ、風呂上がり、ファンが屋根の上で、大の字でひっくり返っていた時のことを思い出して、チュアンは顔の渋味を深めた。

「…………と言っても、火を焚けはしないから……」

だが、暖を取る物も、場所も、そこには存在すらしていなかったので。

彼は、眠りたそうにしているファンを抱き上げて、膝の上に乗せ、抱き抱えてみた。

「この方が、未だ暖かいと思うけど。……どう?」

「……あ、ええ……。そうですね、楽です。暖かいし……。でも、重くありません……?」

「いや。どちらかと言えば、予想外な程、軽い。女の子みたいだ」

「…………女の子、こんな風に抱いたこと……あるんですか?」

「残念ながら。女の子を、こんな風にしたら、これくらいの重さだろうなあと思える、ってこと」

「……一応、僕も男ですが…………」

「知ってる。一目瞭然。胸ないし」

「あったら嫌です、怖いです、不気味です」

「……不気味過ぎる程に、不気味だね。君に胸があったら。……ほら、馬鹿言ってないで、大人しくしてる。もう少し雨足が弱まれば、ここからも出られるだろうし。もしかしたら、誰か探しに来てくれるかも知れないし。だからそれまで、じっとして。馬鹿やってると、熱が上がる」

相手は十五の少年、それなりの重みだろうと覚悟して抱き上げてみれば、膝上に乗せた体は予想外に軽く、何を食べて生きているんだと、思わず顔を顰めながらも冗談を言えば、想像もしなかった問いを返され、仕方なしチュアンは、冗談めいた科白だけを選んで語って、少し寝なさい、とファンを促した。

「じゃあ、お言葉に甘えて、そうします……。…………あー、あったかくって、気持ちいいー……。……御免なさい、マクドールさん……」

すればファンは、コトンと大人しく、チュアンの胸に頬を預けて、徐々に、声の調子を緩慢にし始めて。

緩く瞼を閉じながら、何処か夢現ゆめうつつの、詫びを告げ始めた。

「だから、気にしないように、と──

──そうじゃ、なくって……」

だから、彼の、御免なさい、を押し止めようと、チュアンはし掛けたが、ファンは微かに首を振って。

「……僕、この数日、一寸色々、考え込んじゃってて……。マクドールさんって、僕にとっての『ジョウイ』みたいに思えるって感じるのは……ジョウイに申し訳ないかもー、とか、一人でグルグルしちゃってて…………。マクドールさんとの付き合い方、考え直そうかなあ……とも……。…………御免なさい、マクドールさんはマクドールさんで、ジョウイはジョウイなのに……。僕、馬鹿みたいですよね……。御免なさい……。マクドールさんと一緒にいると、楽しくて、幸せで、こんなに良くして貰ってるのに。訳判んない、碌でもないこと考えてて……。御免なさい……」

幾度か、同じように首を振り、熱に浮かされでもしている風に、彼はぽつぽつ、と。

「…………君が、謝る必要なんて、ない」

その『告白』を聞いて。

ファンには見えない所で、チュアンは一人、こっそり笑い。

腕に抱いた少年のそれを真似たように、緩く、首を振った。

「……何でです…………?」

「僕もね、似たようなこと、考えてたから。恐らくは、君にとって唯一無二だろう親友君と僕を重ねてしまったことに、君が様々感じたように。僕も、僕にとって唯一無二だった親友と君を重ねて、様々思ってしまったんだ。僕の親友は、後にも先にも『彼』だけで、もう二度と、辛い思いなんかしたくないから、そういう存在は作らないって決めたのに、と。……だから、おあいこ。……御免ね」

「…………あはー。じゃあ、僕達二人共、馬鹿、ってことですねえ……。馬鹿は馬鹿同士、釣り合い取れていいかも……」

「そうだね」

「……どっちか片方、いっそ女の子だったら、僕達、馬鹿にならなくても良かったかもですね……。男と女の組み合わせだったら……、違う道もありますし」

「……かもね。それこそ、君に胸があったら、もっと話は早かったかも。……うん。あった方が、いっそ良かったな。……って、ほら、又、馬鹿なこと言ってる。少し、寝ろってば」

「はあい……」

────僕達は、二人共馬鹿だった、と、低く言い合って。

結局そのまま繰り返してしまった馬鹿話を、チュアンが打ち切り。

ファンは、今度こそ本当に、瞼を閉ざし、眠り始め。

「…………たった今、勢いに任せてした話の方が、余程、馬鹿だぞ…………」

交わしたばかりのやり取りを、ふと思い返してチュアンは、軽い自己嫌悪を覚えた。

洞穴とも言い難い川辺の窪みの中に『避難』していた彼等を、ファンが眠り始めて程ない頃、どうしようもなく不機嫌そうな顔をしたルックが、迎えに来た。

ソウルイーターや輝く盾の気配を追うのは大変だった、だの、どうして僕がこんな所まで、だの、折角暖まったのに、又雨に濡れた、だの、散々文句を吐きはしたものの、心配してくれていたのは充分手に取れたので、『一応』、素直に感謝し。

その後、何とか無事に彼等は、同盟軍本拠地へと戻ることが出来た。

尤も、帰還後数日、風邪の所為でファンは寝込んで、シュウにたっぷり大目玉を喰らい、暫くの間、一人拗ねていたが。

シュウの所為で、ファンがいじけていたのも、半日程度の話だったから。

又、何時ものように、同盟軍も、ファンも、チュアンも、時を送り始めた。

…………が。

十日程前抱えていた、曰く『馬鹿な悩み』を、馬鹿な悩みと斬って捨て、立ち直った筈なのに。

ファンは又、『悩み』を抱えていた。

ロッカクの里近くの沢の、あの小さな穴の中にチュアンと二人いた時、確かに彼は熱を出していて、何処か夢現のまま、チュアンと言葉を交わしていたけれど。

言葉を交わしたことや、交わした言葉そのものを、覚えていられなかった程ではなかったから、あの時の全てを、彼は鮮明に思い出せる。

……故に。

「…………どっちかが女の子だったら良かったのに、なんて、なーーーんで、マクドールさんに言っちゃったんだろう………………」

──あのまま共に本拠地戻って数日、寝込んでいた自分を気遣って、城に留まってくれていたチュアンがグレッグミンスターに戻ってしまってよりずっと、ファンは己の失言を、嘆き続けていた。

貴方のことが、親友のように思えて仕方なくて、でもそう感じることは、唯一無二の親友と定めた相手に申し訳ないような気がして、でも貴方と共にいるのは楽しくて、幸せで、いっそ、どちらかが女だったら良かったのに、という科白は。

穿って考えれば即ち、貴方に向ける想いは、親友に向ける想いとは少々違って、性別の問題さえなければ、『そういう関係』になっても良い、そういう想いだ、と、暗に告げたに等しいではないか。

幾ら熱があって、頭がぼうっとしていたとは言え。

どうして自分は、あんな馬鹿なこと。

そういう意味で、マクドールさんのことが好きと、思っている訳でも何でもないのに。…………と。

チュアンが帰郷してしまってより、毎日毎日。

そのことを考えては、余りの恥ずかしさに身悶えているように、ファンは自室のベッドの上で、転がり続けた。

「…………そりゃ、まあ。マクドールさんが女の子だったー、とか。僕が実は女の子でしたー、とか。そんなだったら、ホントに……、──って、ああああ、僕はっ、僕は何をっっっ」

だが、何をどう考えてみても、馬鹿な考えを頭から無理矢理追い出してみても、違うことを考えようとしてみても。

気が付けば何時の間にか、己の恥ずかしいことこの上ない失言と、チュアンのことを悩んでいる自分がいるのに気付き。

「僕の馬鹿ーーー! 三国一の、大馬鹿ーーーーーっ!」

延々延々、ファンは自らを罵って。

……結局、以前とは違う意味で彼は、チュアンに会い辛くなってしまった。