「しけた顔、してる」

昼間、ギルドホールであり、ティント市長公邸であり、グスタフの住まいでもあるこの館の一階、市長執務室にて。

突然姿見せたジェフに、言いたい放題罵られ、それでも、思う処があったが為に、何の反論もせずにいたら、更に罵られて。

深夜、仲間達と別れた後、漸く、落ち込んでいるような、傷付いたような、暗い表情を見せたファンの横顔へ、チュアンは、大丈夫か、とか、平気か、とかいう言葉の代わりに、そう言ってみた。

「流石に今は一寸、愛想笑いも作れないんです、勘弁して下さい」

この館の下働きのマルロに、自由に使って下さいと言われた客間の片隅に、誰にも見つからないようにと、一人ぼんやりと立っていたのにチュアンに発見されて、挙げ句、しけた顔、と言われて。

ファンは少しばかり、唇を尖らせた。

「……堪えた?」

「何がです?」

「昼間の、ジェスの、あれ」

「……ああ。あれの所為じゃないですよ。……多分」

「じゃあ、何?」

「そうですね……。んー、一言で言うなら、家族愛の行方の不透明さに、ですね」

「家族愛の行方、ねえ……」

さも、邪魔をするな、と言いた気に尖った唇へ、頭の片隅で、蛸のようだ、と失礼な感想をくれてから。

きっと、ファンがこんな風にしているのは、ジェスとのあれの所為だろうと当たりを付け、チュアンはそれを正直に言葉にしてみたのだが。

彼の想像を、ファンは否定した。

「……さっき」

「……ん?」

「…………さっき、ナナミの部屋へ行ったんですよ。……ジェスさんとのあれ、僕だって、気にならなかったって言ったら嘘になるくらいですから。ナナミはもっと、色々気にしてるんじゃないか、って思って、様子見に行ったんです。そうしたら……」

「何か、言われたの? ナナミちゃんに」

「言われた、と言うか……、その。……もう、こんなのは嫌だから、何処か遠い所に逃げよう、って言われまして。どうして僕が、同盟軍の盟主なんてやらなきゃならないんだ、どうして僕とジョウイが、『喧嘩』なんかしなくちゃいけないんだ、とも言われまして。…………いやー、女性って、強いですねー。僕とジョウイとのこと、喧嘩、の一言で済ませられるんですから」

「……強い、と言うのは、一寸違うんじゃないか? ナナミちゃんにとっては、君と君の親友君とのことは、何処まで行っても、『喧嘩』としか思えないし、思いたくないだけなんだろう、多分」

「…………まあ、そうかも知れませんけど」

「で? 何も彼もから逃げ出そうと、ナナミちゃんに言われて、君は何て答えたの?」

家族愛の行方に付いて落ち込んでいる、と、己で己を茶化すようにし出したファンの話は、そんな風に続いて。

チュアンは無意識の内に、ナナミから受けた縋りに対する、ファンの答えを急かした。

「……それも、いいかもね。……なーーーんて、ちょっぴり思わなくもありませんでしたけれど。本当に、逃げる訳にはいかないですからね。御免ねって言って、その後は、適当に誤摩化しましたよ。ナナミも、僕が御免ねって言ったら、逃げようなんて嘘だよ、って言いましたしね」

「成程……」

「ナナミの言う通りに出来たら、楽なんでしょうけどね。楽な部分、多いんだろうなあって、思いますけどね。そんなこと出来ません。逃げ回り続けるなんて、冗談じゃないって、僕は盟主になったんですし。逃げた時は楽でも、後は絶対、楽にはならないんでしょうし。…………でも……」

「…………ナナミちゃんを泣かせたのは、苦しい?」

「……だから、家族愛の行方の不透明さに付いて、一寸落ち込んでるって、言ったじゃないですか」

君は、義姉に何と答えを、と。

急かす風に言ったチュアンへ、ナナミへ返した己の答えは、否だ、と教え。

立ち尽くし続けていた部屋の片隅で、ファンは、深く深く、頭を垂れた。

「判ってるんですよ。頭では一応。ナナミのことと、同盟軍のことは、全くの別次元だって。僕は盟主だから、どうしたって軍のこととか戦争のこととか、そっちを優先しなきゃならなくって、そうすると、何処かでナナミを泣かせることにはなっちゃって、それって、仕方のないことなんだろうなあ……、と。思いはするんですけどね。……でも、何て言うか。不甲斐ないって言うか、情けないって言うか。自分が嫌になっちゃって…………」

そうして彼は、俯いたまま。

何か別のことを言い出してしまいそうな口を無理矢理閉ざす風に、唇を強く噛み締め、両手を握り締めるようにして。

小柄な体の、存外に細い肩を、少しばかり振るわせた。

「…………月並みな言葉だけど。元気、出して。戦争が終われば、そんな悩みも晴れる。ナナミちゃんを悲しませることも、きっとなくなる。……だから、元気出して。君は、明るく笑って、元気にしている方が、魅力的だ」

戦場で、数万の兵士達を率いている時の彼とは、別人のように。

所在な気に、頼りなげに、肩を揺らすその姿は、チュアンの目に、とてもとても小さく映り。

チュアンは思わず、揺れ続けるファンの肩へと両腕を伸ばし、そして引き寄せ、抱き込むように。

「……マクドールさん……?」

「………………一寸、君の頭を撫でて、背中叩いてみたくなっただけ」

──ゆるり、と。

ガラス細工を抱き締めるように。

そして、慰めるように。

さも、男が女に、そうするように。

ふわりと抱き締めて来たチュアンへ、ファンが疑問の声を放てば、そこで、はっと我に返ったようにチュアンは、少年の背へ回した腕を持ち上げて、軽く、幾度かそこを叩き。

「何となく、こうやってみたかっただ──。…………ファン?」

言い訳がましい科白を吐いて、そのまま腕を解き、彼はファンより、離れてしまおうとしたのに。

「御免なさい、一寸だけ…………」

抱き寄せられたことに戸惑いを見せていた筈の相手は、チュアンの背へ、両の腕を回して、上着を強く握って。

行くな、と。もう少しだけ、こうしていて欲しい、と。

訴えて来た。

……だから、その部屋の片隅に、佇んでいた彼等は、それより暫くの間、言葉一つ交わさず、ひたすら、抱き合い続けて。

唯、夜は更け。

故に、明くる朝。

真夜中、抱き締め合っていた体を、自然と離した後、全てを誤摩化す為の乾いた笑いしか、互いより洩れず、上ずった声で、就寝の挨拶を交わして、逃げ込むように、ベッドの中に飛び込んだ刹那のことを、ファンは思い出し。

「…………どうしよう……」

昨夜とは違う意味で、ファンは落ち込んでいた。

恐らく、愚痴めいた物を零してしまった自分を慰めようと、チュアンはああしてくれたのだろうに。

この人にこうされるのは嬉しいかも知れないとか、こうされてると凄く心地良いとか、自分が女の子だったら、この人と『そういう関係』になれて、何時でもこうして貰えたかも知れないのにとか。

チュアンに抱き締められていた間中、そんなことを考えてしまっていた自分を、どうしようもなく罵って、嘲りたい気持ちで、彼は一杯だった。

「……ヤバい、僕も男でマクドールさんも男なのに……。僕、マジで、自分があの人のことどう思ってるのか、判らなくなって来た…………」

──その所為で、彼は。

起きたばかりの頃から、どうしよう、どうしよう、と独り言を洩らし続け。

部下の一人が、ネクロードの隠れ家を見付けたと報告して来たから、と、周囲の制止を振り切って、部隊を率い、ジェスがミューズ市軍の将軍だったハウザーを伴い行ってしまった後も。

ジェスやハウザーを見殺しにする訳にはいかないからと、シュウより派遣され、ティントに来ていたクラウスとリドリーが、ジェス達の後を追い掛けた時も。

街が心配だから、一寸様子を見て来るね、とビクトールのみに言い残して、一緒に行くと言い出したナナミと二人、街中へ溶け込んだ時も。

彼は何処となく、上の空だった。