ファンを抱えたまま、ナナミを守り、ティントの街を抜けるのは、トランの英雄と謳われたチュアンにとっても、至難のことだったが。
怪我一つ負うこともなく、ティントからの脱出は叶い、街道で、やはり、ティントから脱出して来たビクトールやグスタフとも、運良く落ち合うことが叶って、クロムの村の村長に訳を話し、村長の館の一角を貸し与えて貰って、目を覚まさないファンを横たえて……と。
慌ただしかった一日が過ぎて、二日目も過ぎて。
漸く、ファンが目を覚ましたのは、クロムで過ごす夜が、三晩目になろうとする頃合いだった。
「良かった……。ファン、目が覚めたんだね! あれから丸々二日以上、眠ってたんだよっ!」
チュアンや、ナナミや、ビクトールやグスタフが、未だ、ファンは目覚めないのかと、不安気に見守っていた中、ゆる……っと彼が瞳を見開いたから、枕辺にいたナナミは、縋るように、半ば涙声で義弟へと訴え。
「………二日……? え、何が……? って言うか、ここ、何処……? ……え……?」
縋って来たナナミの顔を、先ず一瞥して。
それから、辺りと己を取り囲んだ人々を見回して。
きょとんと、ファンはベッドの中で、首を捻った。
「ここは、クロム。覚えてないかい? ティントの坑道で、ネクロードに出会したこと」
「ネクロードに……? …………あ……っ」
ナナミに言い募られても、今一つピンと来ない様子の彼へ、チュアンが問えば。
漸く彼は、先日の出来事を思い出したようで、顔色を変え、ベッドから飛び起きた。
「ああ、急に起き上がらずとも」
「ティントは……? ネクロードは……?」
「……ティントは残念ながら、ネクロードの手に落ちた。そのネクロードが、ティントを占拠している」
「…………そうですか……」
「気持ちは判るけど。無理して、又倒れてしまったら、何も始まらない。もう少し、ゆっくりしているといいよ」
跳ね起き、今にもベッドから飛び出しそうになったファンを、再度紡いだ言葉でチュアンは制して。
「そうだぞ。今日はもうこんな時間だし。又、明日、な?」
「ああ、その方がいい。ファン殿が無事だっただけ、儲け物だ」
ビクトールもグスタフも、口々に、休養を勧め。
「あっ。折角ファン、起きたんだから。ご飯、貰って来てあげるね!」
パッと立ち上がり、嬉しそうな顔をして部屋を駆け出て行ったナナミに倣うように、ビクトールとグスタフも、その部屋を辞して行った。
「…………ファン?」
けれど、チュアンは唯一人、その場に残って。
納得いかなそうな、そして不安そうな面の、ファンを覗き込む。
「……ティントが陥落して、ネクロードはあの街を占拠してて……。ジェスさんも、ハウザーさんも、未だ帰って来てはいないんでしょう……? クラウスさんと、リドリーさんは……? なのに、僕……。ここで、こんな風にしてて、いいのかな、って……」
すればファンは俯き、毛布の端を、両手で握り締めた。
「……何も、考えない方がいい。少なくとも、今は。クラウスとリドリーは、無事に戻って来た。ジェスとハウザーの行方は判らないけれど。逆を返せば、行方が判らないだけだ。ティントは陥落してしまったけれど、ネクロードから取り返せないと、決まった訳じゃない。……君の仕事は、又明日からちゃんと始まる。……だから、今晩くらいは、大人しくしている方がいい」
「…………だけど……っ」
「………………頼むよ」
悔しさを滲ませ、己を責めるように、毛布の端を引き絞り、声を絞りするファンへ。
その時チュアンは、ぽつりと言った。
「……え…………?」
「三年前に終わった戦争で。君と良く似た立場に僕もいたから、君の気持ちは良く判る。悔しいのも、自分を責めたくなるのも。……でも、それでも、頼む。君に無理をされて、又倒れられるのは、もう御免なんだ。ティントの坑道で、君が倒れた時……、こんなこと口にするのは、僕の柄じゃないって、判ってるつもりだけど……、あの場所で、君が倒れた時、正直、心の臓が止まるかと思った。もう、あんな想いは、したくないんだ。……どうやら僕は、君に、女の子みたいな胸があったとしたら……、いや、君が、そんなものは持ち得ない、確かな男の子だろうとも。……『そういう風』に君を見ている自分が、何処かにいるみたいでね。君が許してくれると言うなら、僕は君を守りたいし、君があんな風に倒れるのも、もう見たくない。……だから」
「…………マクドール、さん……? 自分が何言ってるか、判ってます……?」
小さく洩らされた、頼む、の呟きの後に。
チュアンが、唐突に始めた告白に、ファンは一瞬、目を丸くした。
「……多分。この間、君と二人で、バナー峠の沢に落ちた、あの出来事から、ずっと考えてたんだ。もしかしたら僕は、君のことが、そういう意味で、好きなんじゃないだろうか、ってね。……相手は、『君』、だからねえ。何を馬鹿なことを、とか、相手の性別、よく考えろ、とか。散々、自分に言い聞かせてみたけど。ティントでのあれで、恐らく、君的にも僕的にも、自覚しない方が良かったんだろうことを、自覚してしまったようで」
「…………はあ……」
「……悪いね。こう、と判ったことを、何時までも黙っているのも、誤摩化すのも、僕は苦手なんだ。そういうの、嫌いだし。ま、だから君とどうこう、とは思わないよ。唯、僕は君が好きらしい、ってだけの話。そして、今日の処は、僕の『それ』に免じて、大人しくしててくれると有り難い、かな」
「うっわ、狡…………」
「狡くて結構。それじゃ、ファン。お休み」
だが、チュアンは。
己自身も、唐突に掴み得たらしい自身の気持ちを、ファンに向けて言うだけ言って、さっさと。
お休み、それだけを言い残し、恐らくは別室へと去って行った。
「狡いと言うか、卑怯と言うか……。何だ、それ…………」
故に、一人残されたファンは。
「ファンーーー、お夕飯、貰って……──。……どうしたの? 真っ赤な顔して。熱でもある?」
いそいそ、夕餉を乗せた盆を抱えたナナミが戻って来るまでの間。
あの男! と、口汚くチュアンのことを罵りながら、先程とは又違う意味で、毛布の端を、引き千切らんばかりに握り締め続け。
好き、かも知れない、という。
至極いい加減な告白をしたことなど、けろりと忘れ去ったかのように、翌日から何時ものように、自分に接して来たチュアンを、何処か持て余し気味にしつつ、胸の中でのみ、厚顔、と罵り続け。
ネクロードより、ティントを取り戻す為に、あちらこちらと飛び回り始めたファンは、以前、現在は同盟軍の本拠地となっているデュナンの城に住み着いていたネクロードを退治する為、星辰剣を取りに向った風の洞窟で巡り会った、ヴァンパイヤ・ハンターのカーン・マリーや、カーンが、『ネクロード退治の切り札』と言った、吸血鬼の始祖、シエラ・ミケーネを仲間に引き入れ。
「大人しく、クロムで待ってて下さっても、結構ですけど」
と、八つ当たりめいたことをファンが吐いても。
「いや、僕も行く。ネクロード討伐だし。……言ったろう? 僕は君を、守りたいみたいだ、って」
そう言い放って聞かなかったチュアンと。
宿敵ネクロードを倒す為だけに、その半生はあったと言っても過言ではないビクトールと、ティント辺りの坑道にも詳しいギジム、その五名を伴って。
ファンは、チュアンに、思いも掛けなかった告白をされた夜から数えて数日後、ネクロードを討ち滅ぼす為に、クロムの東にあり、坑道とも繋がっている、長い長い鍾乳洞を抜け、ティント市内へ向った。