戦乱に生きる10題 +Ver.A+
4. 命を懸け走る
幻水2 マイクロトフ
確かに誇りではあって、今尚誇りである筈のあの城を、何故か、只堅牢なだけの場所、としか思えぬ胸の内を抱えて、彼、マイクロトフは足を動かしていた。
誰にでも優しい笑みを浮かべてみせる質の親友が、酷く困った、慌てた色を瞳一杯に乗せて、思い留まらせようとするのも振り切って、騎士の城、ロックアックスを飛び出した彼は、ハイランド皇国の手に陥ちてしまったミューズの街を目指し、歩いていた。
──言う者に言わせれば、激情に駆られて、と相成るだろうまま、彼がロックアックス城を飛び出したのは、未だ天の頂き近くに太陽が鎮座していた頃で、もう疾っくに夜も更けてしまったと言うのに、昼の内から動かし続けていた足を、マイクロトフはそれでも、留めようとはしなかった。
ミューズへと続く街道は、暗く。
唯、天に輝く月や星が、うっすら、街道の筋道を照らし出しているのみで。
何もない草原を貫く、今は朧げな筋道しか見えないその向こうの闇からは、何なのかはマイクロトフにも判らなかったけれど、獣か、さもなくば魔物の、遠吠えが時折響いた。
そして、そんな遠吠え響く、夜の闇の中からは、夜盗か何かが、不意を突いて飛び出して来そうだった。
……幼かった頃より憧れていた、マチルダ騎士団の騎士となって、年月は過ぎて、彼は今、マチルダ騎士団青騎士団長の地位まで登り詰めているから、腕に覚えのある彼のことだ、朧げに照らし出されているだけの街道を取り囲む夜の闇から、夜盗が姿見せようが、魔物が姿見せようが、脅える訳ではないし、怯む訳でもない。
だが、せめて、愛馬に乗って、この街道をミューズ目指して進めば良かった、と。
夜道より、その程度のことは、マイクロトフも思わされた。
あの時は唯、どうしようもない想いを持て余して、ミューズでの出来事、それを確かめたくて、後の全てを、親友・カミューに任せ、飛び出て来てしまったけれど。
馬を駆るくらいの知恵は、回しても悪くなかった、と。
………………それは、彼の目の前にあった。
紛うことなく、眼前に。
手を伸ばせば届くんじゃないか、掴めるんじゃないか。
……そう彼に思わしめるくらい、それは、彼の目の前にあった。
──マイクロトフが、騎士団の城、ロックアックスを飛び出した日の、午前のことだ。
瓦解してしまったジョウストン都市同盟の盟主を引き継ぐかのように起った、同盟軍の盟主である少年が、わざわざ自ら足を運んで、手を結ばないか、と申し出て来た翌日の、朝のこと。
ミューズ地方との関所に、ハイランド軍に追われている難民達がいると、報告が入った。
たまたま、その出来事に居合わせる形になってしまった同盟軍の盟主や、その仲間達は、出来ることがあるなら手を貸すと、そう言ってくれたし。
その報告を受けて、マチルダの長、白騎士団長ゴルドーは、出陣を命じたから。
草原の直中に立った時、マイクロトフは、己がここにいるのは、敵国の手から逃れて来た難民達を救う為だと、そう信じていた。
だが、ゴルドーはそれを許してはくれなかった。
命じてはくれなかった。
出陣したのは、只。
ハイランド軍を、マチルダ領内に入れさせぬ為。ハイランド軍に追われている難民達も、領内に入れさせぬ為。
それだけの為だった。
だから、なす術無く。
愛馬の背に跨がったまま、何一つ出来ず。
マイクロトフは唯、難民達が、悪名高い、ハイランドの狂皇子の手によって、狩られて行くのを見詰めるしかなかった。
その光景は確かに、彼の目の前にあって。
紛うことなく、眼前にあって。
手を伸ばせば届くんじゃないか、掴めるんじゃないか。
……そう彼に思わしめるくらい、彼の目の前にあって。
本当に、手を伸ばせば、『強者』に屠られるだけの『弱者』を、救えたかも知れないのに。
彼には、どうすることも出来なかった。
屠られていく者達の姿を、馬上から見詰めること。
己には差し伸べられぬ手を差し伸べようと、草原の向こうへ駆けて行った、同盟軍盟主の小柄な背中を見詰めること。
それしか、彼には。
──騎士にとって、忠誠は絶対だ。
故に、忠誠を誓った人、誓ったモノ、それも又、絶対。
己が身の全てを捧げた騎士団の長が、否、と言うなら。
騎士であるマイクロトフには、もう、何も出来ない。
与えられた、否、の言葉を、間違っている、と感じたとしても。
だが、それでも。
居ても立ってもいられなくて、彼は城を飛び出した。
手を伸ばせば届くのではないか、そうとすら思えたのに、手を伸ばすことすら出来なかった、あの時確かに眼前にいた者達の為に、己に出来ることがあると言うなら、それを成したかった。
今、ミューズで何が起こっているのか、己が目で確かめたかった。
だから、その為に、彼は歩いている。
休むこともなく、留まることもなく、街道沿いの街も、そっと抜けて。
ミューズを目指して、歩いている。
マイクロトフにとって、忠誠は、絶対であり、誇りであり、そして命だ。
決して捨てられぬ、己が身、己が命、己が魂。
そんなものに等しい。
何故なら彼は、騎士だから。
……とするなら。
『否』、と言った、ゴルドーの命に逆らうようにこうしている彼の道行きは、命を懸けた道行きと言える。
『命』を懸けた道行き、そんな自覚は彼にもある。
『騎士』であることと、『人』であることと。
どちらが己にとって、より重たいのだろう、そう思いながらも。
彼はこの、『命』を懸けた道行きをしている。
…………何時の間にやら。
天頂の月も星も、酷く色褪せて、白く薄くなり。
東の空の彼方は、色褪せた月や星よりも、白く光り始めていた。
白く輝く、その向こうの片隅に。
小さく小さく、ミューズへと続く関所の石塀は、浮かび上がり始めていた。
──昼もなく、夜もなく、歩き続け。
足早に、街道を辿り続け。
己が、漸くそこまでやって来た、それを知ってマイクロトフは、ふと、それまで一度たりとも留めることなかった、足先を留めた。
……引き返すならば今だろう。
眼前にあったあの光景にさえ目を瞑って、何事もなかったように、己が命にも等しい『騎士の世界』へ戻るなら、これが最後の機会だろう。
……そう思って。
彼はふと、足を留めた。
『騎士』であることと。
『人』であることと。
己の手の中にあるのはどちらか。
……そうも、彼は思った。
──────けれど。
その場に佇んだ彼は、やがて。
真っ直ぐに前を向き、姿勢を正し。
再び、足を動かし始めた。
始めの一歩は、ゆるりと。
が、徐々にその動きを速くし。
何時しか彼は、駆けていた。
走り始めていた。
この道行きが、『命』を懸けたそれとなろうと。
走り抜こうと、彼は決めた。
騎士の誇り、それは、愚直な彼の全て。
けれど彼も、又、人。
End
後書きに代えて
結構悩んだんですけどねー、これ、マイクロトフで書こうか、スタリオンで書こうか。
でも、スタリオンで書いたら、ドストレート過ぎるかなあ、とか思ってしまって。
けど、マイクロトフでこのお題、ってのも、奇を衒い過ぎたような……。
まあ、いいか。うん。
……私の『お題』の受け止め方って、本当捻くれてるわ……。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。