戦乱に生きる10題 +Ver.A+

7. 突破口

幻水1 フリック

奥の奥の方が、うっすらと痛み出して来たような感じがして仕方なく、彼、フリックは瞼をきつく閉ざし、時折、激しく瞬きをしながら、瞳を見開いて、辺りを定めて、一心に駆けた。

──何時そうなったのかは判らない、誰がそうしたのかも知れない。

が、気が付いた時にはもう、駆け続けた城は、炎に巻かれ始めていたようで、炎は、未だ遠いらしくはあったけれど、熱いと言うよりは、痛いと感じられて仕方ない熱は、既にフリックの周囲を取り巻いていて、熱気の所為か、眼前の全てが赤く見えた彼は、唯、熱がそこにあるだけなのに、どうして、こうも視界が赤いのだろうと、そんなことを考えた。

炎がそこにある訳でもない、瞳を裂かれた訳でもない、なのに何で。

目の前の全ては赤く、開いていられない、と思う程、目の奥は痛いのだろう、と。

長く、何処までも続きそうなこの廊下を走り抜けるのが、どうしようもなく面倒になるじゃないか、そうでなくとも面倒なのに、と。

────駆けなければ。

ここを、駆け抜けなければ。

熱からも、炎からも、無闇に剣を振り回す、帝国軍の者からも、逃れて。

駆けて、駆け抜けて、ここを、と…………──

──……フリックは、盛大に疲れを訴え始めた自らの足を叱咤しながら、敵と定めた赤月帝国の牙城、グレッグミンスターの長い廊下を駆けながら、そこまでを考えた時、不意に。

駆ける速さを緩めろとうるさい足の訴えに耳を貸して、その動きを鈍くした。

熱から逃れ、炎から逃れ、追い縋る帝国兵を斬り捨てて、刹那すら留まることなく、振り返りもせずと、そうしなければ、『その先』はないと言うのに、フリックは、そうしてしまった。

………………駆け続けなくてはならない理由は、あるのだろうか。

熱から逃れ、炎から逃れ、帝国兵を打ち払い。

長い廊下を抜けて、何処かには続いているだろう先を目指す必要が、本当にあるのだろうか、と。

そんな想いに捕われたから。

…………駆ける必要、この先を目指す必要、即ち、生き延びる必要。

それは果たして、己にあるか。

牙城は陥ちて、皇帝は逝き、帝国は最後の刻を迎え。

全ては終わっていく。

望みは果たされ。

『あの人』の願ったこと、願った世界、それは、もう直ぐそこに。

……終わったのだ。

もう、何も彼も、終わったのだ。

疾っくの昔に消えてしまった、『あの人』と共に戦った日々も。

『あの人』の為に、『あの人』の名を冠した愛剣を振るう日々も。

『あの人』が願ったこと、『あの人』の望み、その為だけに生き続けて来た、長かった、この日々も。

だから、もう。

日々を送る必要はなく、剣を振るう必要はなく、生き存える必要もなく。

先行く足をこの場で留め、熱を、炎を、迫り来る剣を、この身で受け止めても、きっと赦される。

寄り添い続けたかった『あの人』の許へ逝っても、きっと赦される。

……フリックは、そう思った。

そう思ったから、その足を止めた。

もう、駆け続ける必要など、何処にもない。

『あの人』の傍に逝きたい。

全ては成し遂げられ、全ては終わったのだから。

──そんな想いに捕われて、立ち尽くし掛けたフリックは。

それまで忘れていた痛みを、唐突に思い出した。

この国の最後を導き、新たに起つだろう国の為に欠くこと出来ない、解放軍々主の少年を、降り注いで来た弓矢から庇った時に受けた傷の痛みを。

その身で以て矢を受け止めた時は、生きるの死ぬのと、考えている余裕すら彼にはなかったから、痛みも何も、覚えはしなかったけれど。

意識を傾けてしまったらもう、感じ始めた痛みは膨らむ一方で、青い衣装を黒く染め変えた血は、滴るくらいだ、というのも判ってしまって。

例え駆け続けたとしても、最早己に先はないと、彼は悟ってしまいそうだった。

だから彼は、留め掛けていたで済ませていた足の動きを、真実、留め、立ち止まり、迫り来る熱と炎を、振り返ったが。

「何やってやがるっ」

そんな彼の腕を、強く掴んで引き戻す手があった。

「ビクトール……」

「ぼさっとしてる暇があるんだったら、とっとと走りやがれ。お前だって、こんな所で死にたくはないだろう?」

「それ、は…………」

来た道を振り返ってしまったフリックを、強引に、向うべき方へと戻させた腕の持ち主、ビクトールは、若干、腹立たしそうな色を瞳に浮かべて、叱咤の言葉を口にした。

しかし、そんなビクトールの言葉にも、態度にも、フリックは多くを返せず。

「俺は、だな……」

「ぐちゃぐちゃ、問答してる暇なんかねえんだよ。おら走れ、とっとと。その腹は、ちょいと痛むだろうが、生きてここを出さえすれば、どうとでもなるだろうしな。ガキじゃねえんだから、我慢くらい出来んだろう?」

「だから。そういう話じゃないことくらい、判るだろう? この熊……っ」

「熊、とか言ってんじゃねえよ。──……俺は、御免だ。絶対に御免だ。オデッサの墓と、お前の墓と、並べて建てるようなことだけは、絶対に御免被る。……走れよ、とっとと。皆終わった、赤月帝国は滅んで、皇帝は死んで、新しい時代と新しい国がやって来るって。お前がその口で、オデッサに報告すんだろ?」

俯き加減になったフリックを、煽るようなことを言ってビクトールは面を上げさせ、きっぱりと告げた。

「……だから…………──

──行くぞ」

それでも、尚フリックは、躊躇うような態度を消しはしなかったけれど、もう、何も見えはしないとでも言う風に、ビクトールはフリックの腕を掴んだまま、走り始めた。

それ故に、フリックも又、引き摺られているような格好ではありながらも、再び、駆けない訳にはいかなくなって。

溜息を零しながらも、彼は、熊の如き体躯の男の背を道標に、先へと向った。

…………運命のひとだった。

彼女、オデッサだけが、何時しか全てとなった。

オデッサの為に、彼女の名を冠した剣を振るって、戦って、遠い先を目指した。

己の全て、戦う意義、流れ行く月日。

何も彼も、彼女の為に在る人生で構わなかった。本望だった。

彼女の望みが己が望みで、彼女を守り、彼女の望みを守り、戦い抜くこと、それが、『生涯』だと定めていた。

……でも。

────だから、全てが終わった今、己がすることは、運命の女の許へ、それのみだと、そう思い掛けたけれど。

行くぞ、……と。

当たり前のように。それが、当然であるように。

……そう言う男がいる。

「……俺とお前は、『こんな』仲だったか?」

「……どうだかな。ま、折り合いが良かった、とは言えねえな」

「だよな……」

「でも。付き合いは長くて。朋、ではあるよな。……なあ? 戦友?」

「………………俺は、熊を戦友に持った覚えはない」

「……何処に熊がいんだよ。俺も、熊を戦友に持った覚えはねえぞ」

……直ぐそこに、あったのに。

目の前に、あったのに。

運命の女の傍らは、今にも、手が届きそうだったのに。

どうして、留めた足を再び動かしているのか、フリックには判らなかった。

目の前を塞ぐ、熊の如き体躯の男の背中が、道標のように在る理由も。

けれどもう、足は止まらない。

留まろうともしない。

『この先』を目指して、走り続けようとしている。

いまだ、躊躇いも、戸惑いも覚える、フリック自身の想いとは裏腹に。

足先は、何よりも正直に。

『向こう』には、『この先』がある。

熱と炎に包まれ始めた、この城を抜ける為の先も。

運命の女の許へと、そんな想いの行く先も。

……口。

もう間もなく、眼前の背中の先に現れるだろう場所は、『口』。

命も未来も、掴ませてくれるのだろう、入口。

これまでから、これからへと駆け抜けんが為の、突破口。

End

後書きに代えて

フリックさんを書くと、必ずと言って良い程、ビクトールがセットになるのは何故。

私はそんなに好きか、この二人のセットが(笑)。

……そうね、好きよね、私、この二人のセット……。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。