戦乱に生きる10題 +Ver.A+
8. 天に突き上げた拳
幻水1 主人公(名無し君)
あれからずっと、常に立場はあやふやで、赤月帝国の者として、だったり、逃亡者として、だったり、解放軍に手を貸す者として、だったりと、何時だって、ふらふらふらふら、彼の『立場』は移ろいでいて。
それでも、『僅か』な刻が流れたら、あやふやだった彼の立場は、『トラン解放軍二代目軍主』、というそれに落ち着いた。
が、立場があやふやだった頃も、解放軍々主となってよりも、一貫して、戦う、ということを彼は求められ続けたから、幾度となく、『戦いの場』に彼は立ち続けて、そうして、戦い抜いて来た。
来る日も来る日も、朝から晩まで──否、ともすれば、朝から朝まで。
時には、夢の中でさえ。
得物を振り上げ、詠唱を唱え、敵を討ち滅ぼすことのみを彼が強いられ始めたのは、そう遠い昔の話ではないけれど、『あの夜』から瞬く間に、彼の毎日はそれのみで明け暮れるようになって、戦うことそのものには、彼も慣れ切ってしまっていた。
しかし、過ぎた短い刻の中で、彼が慣れ切ってしまったのは、『戦うこと』と、『戦いの場』であって。
本当の『戦場』を彼はそれまで知らなかったし、慣れ親しんでも、慣れ切ってもいなかったから。
深い森林に囲まれた、パンヌヤクタ城を舞台に行われた、赤月帝国とトラン解放軍との攻防戦が、そう言った意味では、彼にとっての『初陣』だった。
だから、パンヌ・ヤクタの戦いの頃、彼には、『感覚』として、『それ』が余り良く解らなかった。
────赤月帝国の五大将軍、テオ・マクドールの嫡男、たった一人の跡取りとして、この世に産まれ落ち、グレッグミンスターの瀟洒な館の中で、蝶よ花よ、とされながらも、彼は確かに、軍人の息子、将軍の息子、その後を継ぐべき者、として育てられて来たから、戦場での戦いが終わった後、一軍を率いた長が、戦勝を殊更際立たせるように、握り締めた拳を、強く天に突き上げる、……と言ったような行為が必要なのも、そうすることに意味と意義があるのも、理性と知識の上では、理解していたけれど。
感覚で、彼はそれを、あの戦いの頃は良く理解出来なかった。
……そうすることに、一体何があると言うのか。
そこに、何が生まれると言うのか。
…………そうすることが、長たる者の務めだと言うなら、幾らでも果たそう。
求める者達に、それを見せ付けるようにするのを、どうしても求められると言うなら、幾らでも。
望まれるまま、乞われるまま、そうすることが務めだと言うなら。
幾らでも果たそう。
数多の命を預り戦場を駆ける、一軍の長たる者の、使命として。
……けれど。
天に拳を突き上げる、そこに意義はあるのか。
握り締めたそれを、天高く突き上げてみても、そこには何もないのに。
天に在るのは唯、一面の青空と、漂う白い雲と、柔らかなようでその実厳しい陽光のみで、掴み得られるモノなど何一つとてない。
そもそも、握り締め、突き上げられたモノに、そこに何が在ろうとも、何も掴める筈などない。
漂うのは、たった一つ、壮大で盛大な、殺し合いを勝ち抜いた、その事実のみ。
──壮大で雄大な殺し合いを勝ち抜くこと、それが意義に等しい世界では、『そうすること』に、『大層な意味』があること、それくらい、良く解っている。
勝利を得られなければ、それを誇示されなければ、殺し合うこと、それに意味を見出せぬのも。
明日、目指す未来、目指す世界、望む幸福。
その為に戦い、その為に人を殺して、だから、勝利を、その誇示を、求め、求められるのも。
けれど。
天へと拳を晒して、勝利を誇示して、そこに果たして意義はあるのか。
真実掴めるモノはあるのか。
天に突き上げた己が拳、それは唯、虚しさの象徴ではないのか。
…………パンヌ・ヤクタの戦いを終えた時。
あの時。
彼は確かに、そう感じていた。
でも、それより更に刻が過ぎて。
『戦うこと』に慣れ切ってしまったように、『戦場』そのものにも、『慣れ』……を彼が覚え。
更に更に、刻が過ぎて。
最後に残された戦場、グレッグミンスター城内にて、全てのことを成し遂げ終えて、仲間達の中でも、頓に関わり合いの深かった二人の男に背中を押されるようにして、炎に包まれ始めた城を、転げんばかりに飛び出して、正門を潜り終えた時。
己の無事を喜び、戦争が終結を迎えたことを喜び、そして、勝利を喜んで。
両手を広げるようにし、迎えてくれた数多の仲間達の顔を、一つ一つ眺めて彼は、無意識の内に。
天へと向けて、己が拳を突き上げていた。
そうすることに、迷いも躊躇いも覚えず。
微か、誇らし気に。
──もう、過去となり掛けてしまいそうなあの頃、深い森林に囲まれた城の前で。
天に突き上げた己が拳、それは、虚しさの象徴でしかないのではないかと、彼は疑った。
そうしてみた処で、所詮その手は何も掴めない、虚しいだけのモノではないかと。
突き上げてみたとて、その指先は広がらず、空を切るのみで、そこには始まりから終わりまで、『何も』ない、と。
…………過去となり掛けたあの頃、確かにそう感じたように。
全てを戦い抜いた今でも尚、己が拳は、虚しさの象徴でしかないのかも知れない。
流れ去った月日の中で、この掌の中にあったモノは全て溢れ、取り戻すことは叶わず、所詮この掌は、情けなさの具現でしかないのかも知れない。
が、それでも確かに、この掌は『何か』を掴めて、勝利を勝ち取り、夢見た明日を引き寄せた。
戦い抜いた者達と『共に』、戦い抜いた日々の勝利の為、誇らし気なまでに、拳を突き上げさせる程度には。
この、掌も、『何か』を確かに。
──トラン解放戦争の、終わり。
長かった戦いの日々の終わり、それを迎えて漸く彼は、その傍らに、天に拳を突き上げる意味、それを『置いた』。
望まれるから故ではなくて、望むから故でもなくて、共にある為、その為に、その行為の意義はある、と。
彼は『それ』を、その身の傍らへ。
…………そして、だからこそ。
トラン解放戦争の終わり。
彼は、故郷の街に、祖国に、仲間達に、その背中を向けた。
End
後書きに代えて
絶対、万に一つの間違いが起こっても、カナタでは書けないネタ(笑)。
余り、私の中にはこういうタイプの坊ちゃんはいないかも。
ええ、私の目のには、何処までも、果てしなく、限りなく、坊ちゃん、貴方は逞しい、としか映らないから(笑)。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。