戦乱に生きる10題 +Ver.B+

8. 大切な何かを棄て

幻水1 バルバロッサ・ルーグナー

可愛らしいとか、麗しいとか、そう例えられないこともない表情を拵えてみせた当人は、明らかに、他人の目にはそう映るようにと意識しているのだろうが。

にこり、と笑んだ彼女のそれを、何時も通りに見詰めながら、赤月帝国皇帝バルバロッサ・ルーグナーは、妖艶だ、と心の内のみで思った。

──もう、数年前のことになる。

何時の頃から始まったのか、この赤月帝国の皇帝であるバルバロッサにも咄嗟には思い出せぬくらい古より、国境争いを繰り返しているジョウストン都市同盟との戦いを終えて、帝都・グレッグミンスターに凱旋を果たす前夜、皇妃クラウディア──彼の最愛の妻だった人は、彼の帰りを待たずに、病の床より逝ってしまった。

固より、体の強いひとではなかったし、ジョウストン都市同盟と国境を接する北の前線で既に、『皇妃様の病状が……』との知らせは受けていたから、間に合わぬかも知れぬと、バルバロッサ自身、それを覚悟はしていたけれど。

この世でたった一人の最愛の人を、己は失うのだろうと、判ってはいたけれど。

皇帝である己が、妻一人の為に前線より引き返す訳にはいかぬと、バルバロッサは、帝都に戻られた方が、と進言して来る臣下達の言葉に耳を貸さなかった。

…………それを彼は、後悔はしていない。

己が就いた皇帝の座とは、そういうものだと知っていた。

けれど、妻の死に目に間に合わず、肉親と皇位を争った継承戦争後、復興させたグレッグミンスターの都の中心に、クラウディアの面影を模して作らせた黄金の女神像は、もう、彼女はこの世の何処にもいないのだ、と、見遣る度、バルバロッサの中の悲しみを募らせる代物と化してしまって。

──それを、『だから』、だと言われたら、バルバロッサ自身、否定は出来ない。

『だから』、なのかも知れない。

宮廷魔術師として王宮に上がった、女魔法使いウィンディを一目見た時、亡き妻によく似ている、そう思って、ウィンディが、クラウディアの代わりになってくれるかも知れない、とも思って、可愛らしく、そして麗しく笑むのが常だったクラウディアとは違う、どうしたって妖艶と映る笑みを浮かべるウィンディを、バルバロッサは傍近くに置くようになったのかも知れない。

でも、始まりがそうだったからと言って、得体の知れぬ魔女だと、そんな影口さえ叩かれることのあるウィンディを、クラウディアの面影を求める為だけに、バルバロッサは傍近くに置くようになった訳ではない。

それを言葉にした処で、誰も、ウィンディ自身も信じはしないのだろうけれど、彼は彼なりに、ウィンディのことを愛していた。

どう推測してみても、赤月帝国だけでなく、世界の為にも世界に満ちる数多の人々の為にもならぬだろうことに、自身の全てを捧げている風なウィンディの、どうしようもなく冷たい瞳の向こう側にある、その冷たさ同様、どうしようもなく深い悲しみを、己の手で何とか出来るのならと、バルバロッサはそう思っていた。

…………もしかしたらそれは、今生ではもう二度と巡り逢えぬ亡き妻の死に目にも間に合わなかった時の後悔を、再びは覚えたくない、との一念が齎した想いだったのやも、だけれども。

亡き妻の面影を追い求める為だけに、ではなく。

確かに彼は、彼女を。

泣き妻の面影を追い求める為だけに、自分を傍近くに置いている、と、彼女は思い込んでいると、判っていても。

それを、言葉にすることもなく。

誤解を解こうともせず。

「…………何か?」

──何も言わず、微動だにせず。

じっと、見詰め返すだけのことしかしないバルバロッサに。

その時、少なくともバルバロッサの目には妖艶と映る風に笑んだウィンディは、不思議そうに首を傾げた。

首を傾げながら彼女が浮かべた表情は、最早笑みではなく、自身の想像した通りの反応を返さないバルバロッサに、不機嫌を覚えたようなそれだった。

「……いや、何でもない」

そんな、ウィンディに。

バルバロッサは適当な言葉を返しながら。

可愛らしいとか、麗しいとか、そう人の目に映るようにウィンディは笑みを拵えるのではなく、得体が知れず、不気味で、底の見えない不穏な魔女と、そう映るように。

妖艶、と他人に評価されるように。

彼女は笑んでいるのかも知れぬと、そんなことを思った。

その冷たい瞳の向こう側に沈む悲しみさえなければ、亡き妻がそうだったように、彼女も又、可愛らしく麗しく、花が綻ぶように笑んでくれる女性なのかも知れない、と。

────冷たくて、重たくて、けれど決して、捨て去ってはならない。

……それが、皇帝という『座』であると、バルバロッサはそう思っている。

祖国の為に、祖国に住まう民の為に、全てを投げ打ってでも、歪むことない真っ直ぐな道を、一歩たりとも踏み外さず歩んで行くのが、『皇帝』である、とも。

…………でも。

もう、自分は、冷たくて、重たくて、けれど捨て去ってはならぬ『座』に座りながら、一歩たりとも踏み外さず、歪むことない真っ直ぐな道を歩んで行く為の何か……──王たる者が棄て去ってはならぬ大切な何か、それを棄ててしまったのだろう、と。

死に目にも会えなかった最愛の亡き妻の面影を求める為に、そんな始め方をして、けれど本当に愛した彼女の為に、全てを引き換えにしてもいい、そう思える自分は、大切な何かを棄ててしまった、と。

バルバロッサは考えながら。

不機嫌そうに自分を見遣るウィンディの横顔を眺めた。

……深い悲しみも、全ての煩いも、引き摺り続ける後悔に似た何かも、全て忘れ去れる空中庭園。

この黄金の都に、この赤月帝国に、君臨する者が住まう場所、グレッグミンスター城の最上にある、空中庭園。

もしも、そこに。

己にとっての、最後の帝国となるだろうあの場所に。

何時の日か、己を討ち滅ぼす者がやって来てくれたら。

何時の日か、その日が来てくれたら。

大切な何かを、本当に棄てて。

愚かしく、けれど、己にとっては真実大切だろう何かを、歪むことない真っ直ぐな道を踏み外して、掴み得ることが出来るのに。

End

後書きに代えて

このお題は、皇帝陛下。

相変わらず、ひねた人選してるような気がしますが……。

──幻水1の中で、最も、大切な何かを棄ててしまった人は、バルバロッサではなかろうかと、私はそう思うことがあります。

このおじ様は、何と言うか、それまでも真っ直ぐなら、踏み外した道の歩き方も、踏み外した先の道も、そりゃーもー見事なくらい真っ直ぐだったんじゃないかなー、と。色んな意味で。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。