戦乱に生きる10題 +Ver.B+
9. 血塗られた手
幻水2 ジル・ブライト
この数ヶ月、毎朝。
彼女、ジル・ブライトは、衣装が山程仕舞い込まれている己のクローゼットをちらりと横目で眺めながら溜息を零すのを、慣例のようにしてしまっている。
毎日毎日、決まった時間に起こしに来る自分付きの女官が、何処となく重たそうな体を引き摺りつつベッドより起き出す彼女へ向けて、「今日のお召し物は如何致しますか」と、肩越しに振り返りながら開くクローゼットの扉の。
その向こう側に見える数多の衣装の中で、この数ヶ月殊の外、喪に服す為だけに着る衣装が、その存在感を放ち続けて来るから。
彼女は毎朝、クローゼットの中身を覗き込む度に、溜息を零す。
女官がほんの少し開けただけの、薄い扉の奥から、これでもかと言わんばかりに、布地に乗った艶を見せ付けて来る、その漆黒色へ向けて。
ジルが身に付ける衣装を取り出している女官の耳にも届かぬ程、小さな小さな溜息を。
──彼女のクローゼットの中の喪服。
そういう物をきちんと仕立てておくのも嗜みの一つ、と、去年新調したそれに、ジルが初めて袖を通したのは、ハイランド皇国皇王であり、彼女の父でもあった、アガレス・ブライトが『崩御』した翌日執り行われた、国葬に参列した時だった。
次に、彼女がそれに袖を通したのは、父・アガレスの崩御より数週間しか過ぎてはいないのに、アガレスの跡を継いでハイランド皇王となった彼女の兄、ルカ・ブライトが『戦死』して、亡骸も戻らぬまま執り行われた葬儀に参列した時だった。
……そして、その日より、父と兄の葬儀の為に纏った喪服は、彼女のクローゼットの一番目立つ場所に、掛けられたままで。
だから彼女は、溜息を零す。
────父・アガレスは。
己の本当の父親ではないとの噂は、ジル自身も耳にしていた。
何の証拠も根拠もないから、薄々、でしかなかったけれど、父は、本当の父ではないのだろうと、彼女も自ら、思ってはいた。
兄・ルカに至っては。
言葉一つ飾らず、「あの男はお前の本当の父などではない」と、公言して憚らなかった。
故にジルは。
父は『父』でない、と。
そんな『悟り』を持っていた。
────兄・ルカは。
実の妹であるジルとても、「鬼のような人」、「狂ってしまった人」としか例えようがない程、その人生の最後の数年を、殺戮の中にだけ生きた人だった。
遠い遠い所に、たった一人で行ってしまった人だった。
だから。
たった一人の、血を分けた肉親だと言うのに、何を言っても、どう諭しても、懇願をしてみせても、最早、己の声は兄には届かない、と。
ジルは、『諦め』を抱いていた。
でも、それでも。
彼女にとって、父は父でしかなく、兄は兄でしかなく。
「お前は私の娘だ」
……と。
「お前達の母、サラは、息子と娘を一人ずつ、産み落としてくれたのだ」
……と。
事あるごとにそう言って、己を可愛がってくれた父を愛していたし。
悲しく苦しそうな顔をしながら父のことを睨み付けて、同じ、悲しく苦しそうな顔をしながら己を可愛がってくれた、あの頃は未だ、誰にでも優しく在ろうとはしていた兄も、愛していた。
そして、二人が『逝ってしまった』今も尚、ジルは、父と兄とを愛している。
彼女の中に眠るその想いに、決して偽りなどはない。
…………けれど。
亡き父や兄に対する想いに、嘘偽りがなかろうとも。
ジルが、喪服を垣間見ては溜息を付く理由は、『そこ』にはない。
彼女の父を『殺した』のは、血を分けた兄と、彼女の夫となった人だ。
……それでも彼女は、兄を愛していた。
その兄を『死』に追いやったのは、やはり、夫。
…………けれどそれでも。
彼女は、己が夫、ジョウイ・ブライトを。
──だから彼女は溜息を零す。
父を殺し、兄を殺し、それでも決して憎むこと出来ない夫を持つ己が、父の為、兄の為、袖を通した喪服を見遣って。
望むこと、成したいこと、その為に、父と兄を亡き者にした夫を、それでも彼女は慕い続ける。
それが私の愛した人だと。
愛した人が、果たしてその手で何をしたのか、この先一体、その手で何をしようとしているのか、全て悟りながら。
喪服を眺め、溜息だけを零して。
父を追いやり、兄を追いやり、そして恐らくは。
この、ハイランド、という国そのものをも、何処へと『追いやろう』としているのだろう夫を、彼女は。
もしかしたら。
誰よりも血塗られた手をしているのは、私自身かも知れないと、そう思いながら。
彼女は。
唯ひたすら、夫だけを。
End
後書きに代えて
何でこのお題を、私はジルっちで書こうと思ったのかなー、と、今更ながらに想ってみたりもしますが。
うちの常駐Wリーダー世界のジルさんは(小説に登場したことないですが)、こーゆーこと考えてそうだなあ、と思ってみたりしたのです、はい。
色んな意味で、ジルっちって、芯の強い女性なんだろうなあ、とかも。
……つか、幻水シリーズに登場する女性って、割と、芯の逞しい女性多いですよね。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。