戦い詰め処か、毎日が命の懸かった戦いの連続で、気を抜く間もない彼等だけれども、その時は、龍斗も京梧も、すっかり気が抜けたのか、酷くゆったりとした自身の氣を、部屋の隅々にまで行き渡らせていた。

そんな気配に、ふ、と浸った途端、龍斗は、昨夜の如く我を忘れてしまった風に、京梧に縋り付いた。

突然のことに、京梧も流石に戸惑いと焦りを見せたが、龍斗は構わず彼の膝上に乗り上げ、首筋に両腕を絡ませ、渾身の力で抱き締めて、

「京梧……。京梧……っ……」

切ない声で、彼の名を、幾度も幾度も呼び始めた。

「……ひーちゃん。…………龍斗」

繰り返し己が名を呼ぶ龍斗の声が、余りにも切ない響きを持っていたからだろうか、京梧も又、縋り付いてくる龍斗の身を、痛みを齎すだろう程の強さで抱き竦め、龍斗の名を囁いた。

…………互い、衝動に突き動かされ、切ないだけの声に心揺さぶられての抱擁だったが、二人は長らく、抱き締め合い続ける。

────『一度目』の、慶応二年の桜の盛り。

甲州街道の端にある、小さな茶店にて出逢った時。

彼等は共に、互いを『運命さだめ』と思った。

私は、俺は、運命に出逢ったのかも知れない、運命に巡り逢ったのかも知れない、と。

巡り逢った相手に、それぞれ秘かにそう感じ、それより過ぎた『一度目』の幾月の中で、彼等は。

己が『運命』に、何時しか恋心を抱くようにもなった。

……何故、互いが互いに注ぐ想いが、恋心へと変わっていったのかの訳は、恐らく、京梧にも龍斗にも語れないだろう。

だが、それぞれの、それぞれに対する想いが恋情であるのは確かで、戸惑いつつも、やがては彼等が己が想いを受け入れたのも確かだった。

──自身も相手も男であるのを、二人は一度も振り返らなかった。

慶応二年より遡ること十三年、浦賀に黒船がやって来て以来、国の中のあれやこれやが目紛しく移り変わって、昔のこの国では不思議に思う者の方が少なかった衆道と言うものも、後ろ指を指されるものと変わっていたけれど、彼等共にの中で重きが置かれていたのは、桜花舞い散る春の日、巡り逢った相手は『運命』だった、と言うことと、『運命』に恋をした、と言うことだったから、持って生まれた互いの性が……、と悩むゆとりなぞ、彼等にはなかった。

……それに。

龍斗が京梧へ抱いた、京梧が龍斗へ抱いた、己の胸の中の恋情を、しかとその手に掴めたのは、『一度目』の慶応二年が終わりを告げた、あの夜だった。

確かに恋をしているのだ、と悟った直後、『一度目』は終わり、刻は巻き戻り、それまでは常に交わっていた彼等の道は隔たりを持ち、気紛れに入り交じる程度になってしまって、恋をしていたことすらも、彼等の中の奥底深くに眠ってしまった。

そうして、龍斗は、巻き戻った刻が『一度目』が終わった夜に追い付く寸前、京梧は、刻が追い付いた時、それぞれ、自身の奥底に眠らせてしまった想いを取り戻した。

『一度目』、恋をしていると悟った途端、二人揃って柳生崇高のあの大刀に貫かれて果てたことも。

故に、やっと二人きりになれたその時、龍斗は我を忘れて京梧に縋り付いて、京梧はそれを受け止めた。

あの時を思い返せば──否応無しに、互いの身も命ももぎ取られたあの時を思い返せば、『明日』を気に掛けている暇など無かった。

それでも。

何かを振り返っている暇など無くても、少なくとも京梧は、そうして抱き合った今でなく、落ち着いた頃に折を見て、抱えていた、思い出した想いを告げようと、考えていたのに。

「……京梧…………?」

「何だ?」

「『一度目』の頃から、ずっと。今も。私は、お前を愛おしく想っている」

龍斗には、彼のような『悠長』な考えに捕われる気はなく、京梧に縋り付き面も伏せたまま、今、言ってしまわなければ駄目だと言わんばかりに、誠に小さな声で己が心を告げた。

「龍斗…………。お前……」

縋り付いてきた躰を手放せぬ己のように、龍斗も、抱き竦める腕の中から逃げようとしないのだ、自分達の想いは近しいのかも知れない、と期待はしていたものの、彼の口から洩れるとは思ってもいなかった言葉を聞かされて、京梧は呻きにも似た声を洩らし、強く腕を震わせた。

…………洩れた低い声、強く震えた腕、それを、龍斗は誤解した。

『一度目』と『二度目』が重なり合った所為で溢れ出た想いに突き動かされてしまったけれど、己は、打ち明けてはならぬことを打ち明けてしまったのだ、と思い違え、身を竦めた。

「先に言うんじゃねぇよ」

しかし、京梧の身が離れてしまう、腕が解かれてしまう、との龍斗の怯えに反して、京梧は彼を抱き直し、腕に再びの力込め、不機嫌そうに言った。

「何を?」

「何を? じゃねぇっての。────龍斗。俺はな、お前に惚れてる。……っとに、先に言っちまいやがって……。俺の立つ瀬がねぇじゃねぇか」

「…………京梧?」

「俺の言ってることが、解らねぇか? 俺も、お前を愛おしく想ってるっつってんだよ。──俺は、お前に惚れてて。お前が愛おしくて。俺の傍らだけに添って、俺だけに、春風みたいな笑みを向けてて欲しい、そう思ってるって話だ」

自身の言葉通り、龍斗に先手を打たれたことに対する不機嫌さは声に滲んでいたが、京梧は、赤ん坊を宥めるように彼の背を緩く叩きながら、龍斗の想いに己の想いを返した。

「京梧…………」

「……龍斗。正味の話、な。『あの夜』、柳生の野郎に、俺とお前が纏めて貫かれちまった時、俺は、お前と二人、一つの刃で貫かれたまま逝けるなら、一つの幸だって言えるのかも知れない、そう思った。……ま、二度と、あんなのは…………お前を逝かせちまうって轍を踏むのは、御免だがよ。……でもな。あの刹那、俺は、本当にそう感じてた。──それくらい。……龍斗、俺はそれくらい、お前に惚れてる」

その先も、少しばかりぶっきらぼうな口調で京梧の想いは語られ続けて、それが終えられた時、龍斗はやっと、伏せ続けていた面を持ち上げ、酷く驚いたような目をして彼を見上げ、京梧は優しく柔らかい笑みを浮かべながら龍斗を見下ろし、二人は暫く、見詰め合って。

腕の中の彼を抱き竦めたまま、京梧は、僅かの『下心』を胸の奥に忍ばせつつ青くて固い畳の上に横たわり、伸ばした腕で行灯を引き寄せると、仄かにだけ灯っていた灯りを落とした。

その部屋とは襖一枚を隔てるだけの隣で寝起きしている雄慶は、円空達を送って行ったまま未だ戻らず、棟を違える女達の声も届かず、辺りは、しん、と静まり返っていた。

建て付けが悪くなってしまっている所為でピシリとは閉まらぬ、縁側に面した障子の隙間から忍び込む月明かりで、灯を落としても、静かなその部屋は互いの顔を見遣るに困らなかった。

月明かりに映える半身と、陰影に染まる半身、その違いが際立つ双方の躰を、面を、抱き合いながら畳に横たわっても尚、二人は見詰め続け。

やがて、唇を寄せるべく、京梧が龍斗を抱く腕を狭めた時。

「京梧。お前に、言っておいた方が良いことがあるのだが」

微塵の色気も感じられぬ声を、龍斗は出した。