「言っておいた方がいいこと? 何だ?」
抱き合ったまま転がっている今、どうして、女人に見間違えられることすらある、過ぎていると言い切れるくらい造作の良い、半分だけを闇に染め、半分だけを月明かりに映している秀麗な面に真剣味を乗せ、色気の無い声を出して、色気の無いことを言いやがるか、と眉顰めながらも、一応京梧は、聞くだけは聞いてやろう、と蠢きを止めた。
「私とお前の中では、もう大分以前の話になるのだが。二人で吉原を訪れたことがあったろう? 初めて、萩原屋へ行った日のことだが」
「…………? ああ。それがどうかしたか?」
「実を言えばあの時、私は、どうしてお前が吉原に行きたいと言い出したのか、よく判らなかったのだ」
「………………………………は?」
どうしても、今、言ってしまいたいことがある、と他ならぬ龍斗が言うのなら。……そう思い、『こんな時』なのに色気の無い声に耳傾けてみれば、唐突に、澱みなく、吉原は一度は行かなけりゃ男が廃る所、と信じて止まない京梧には何を言っているのかこれっぽっちも解らぬことを、しれっと龍斗が言い出したので、思わず彼は、龍斗の背に回していた腕を解き、一寸待て、と身を起こして、その場に胡座を掻いた。
「……俺には、お前の言ってることがよく解らねぇんだが…………。……ひーちゃん。もしかして、お前、吉原がどういう所か知らないのか? 未だに?」
「そうではない。吉原が、女人が春をひさぐ所だと言うのくらいは、あの時の私にも判っていた」
身を起こした彼に倣うように起き上がり、彼の真正面にきっちり正座した龍斗は、そうではなくて、と首を振る。
「じゃあ……、どういうことだ?」
「話せば長くなるのだが、構わないか?」
「……いいから。言え。とっとと」
「そうか? なら。──吉原が、そういう所なのは弁えていたけれども、その……何と言うか……、言わば幼い頃に受けた『教え』の所為で、私はずっと、子を生す以外の男女の交わりなど有り得ないと信じていたのだ。だから、春をひさぐ、と言うことが頭では判っていても、お前が吉原に行きたがった真の目当てが私には解らなくて、お前は、妻は娶りたくないが、子供は欲しいと思っているのだろうか、と思ったくらいで」
艶事が始まる直前だったのに、龍斗が言い出した訳の判らぬことの所為で、目を真ん丸くしたまま、背を丸め加減に胡座を掻いてしまった京梧へ、向き合いつつ誠に正しい姿勢で正座を続ける龍斗は、益々訳の判らないことを言い募り、
「…………………………お前、それ、本気で言ってやがるか?」
「当たり前だ。笑えない洒落を言っている訳ではない」
「……で?」
「後になって、吉原は、妻を娶らぬまま子供を得たいと思う男達の為にあるのではない、と知ったし、人は、子を生す為だけに『行い』に及ぶ訳ではない、と言うのも知ったけれど。以前は、恋をする、と言うのも、子を生す為にあるのだと考えていたのだ」
「………………だ、だから?」
「だから? と問われても困る。私は、有り体に言っているだけだ。──今まで、私はそういうことに対して酷い思い違いをしたまま生きてきたから、男女の恋情や色事のことなどよく判らないし、況してや男同士のことなど、もっと判らない。私に判っているのは、私はお前を恋しく想っている、と言うそれのみだ」
「……えーーーーと、だな。……要するに、それが、俺に言っといた方がいいって、お前が考えたことか?」
「いや、違う。そういう訳だから、何となくの察しは付くけれども、つい今し方、お前が私としようとしたのだろうことが、私にはさっぱりだ、と言いたい」
「………………………………あ、ああ。……そうだな、うん。仔細は判ったっつーか、あー……」
……そんな龍斗の話が終わった時、京梧は、ぽかん、と口を開けてから、徐々に、仰天の表情を呆れのそれへと移し、やがては悲壮とも言えるものに変えて、盛大に頭を抱えた。
「判ってくれたか?」
「話は判ったが、判りたくねぇよ……。……ひーちゃん。いやさ、龍斗。一つ訊いていいか?」
「何を?」
「お前、衆道って知ってるか?」
「いいや」
「…………。……男と女の色事は、判ってんだな?」
「男女の色事の、何を?」
「例えば……仕方、とか?」
「雄が雌に乗るのだろう?」
「それは、犬猫の話だ、馬鹿野郎っ! 大体、雄と雌ってな、どういう言い種だっっ。だから、そうじゃなくてっ! ……って、怒鳴っても仕方ねぇな、多分……。……あー……、龍斗、お前、女抱きたい、とか思ったことねぇのか?」
「私は、子を欲しいと思ったことはない。子が欲しくないのに、何故、そのようなことを思う?」
両手で頭を抱え、結い上げた髪掻き毟り、うんうん唸りながら、思い付くままに京梧が問えば、龍斗は、とても不思議そうにしながらも、思う処をすらすらと答え、
「お前な…………。春が来りゃ、それこそ犬猫だって子作りに励むだろうが。その手のことに励むのは生き物の理の筈だぞ? 色っぽい女と擦れ違えば、腰の辺りが重くなるだろ? お前だって。女の肌に触ってみたいとか、思ったことあるだろうっっ!?」
「いいや。そのような覚え、私には一度もないが? 大体、何故、艶のある女人と擦れ違うと腰が重くなるのか判らないし、何故、女人の肌に触れたいと思うのかもよく判らない」
「……お前…………。そいつぁ幾ら何でも、おかし過ぎるぞ、男として……」
終いに京梧は、止めを刺された風に、畳の上にのぺりと倒れ込んだ。
「京梧?」
「…………悪い。一寸だけ、俺のことは放っといてくれ……」
「……? お前が、そうして欲しいと言うなら、そうするが」
「ああ、そうしてくれ…………」
思わず畳に懐いてしまった彼を龍斗は訝しんだけれど、少し黙れ、との京梧の遠回しな訴えを素直に受け入れ、小首傾げつつ、じっと彼を見下ろし始めて、その、子供のような無垢な視線が嫌過ぎると、京梧は、ごびん、と畳に頭を打ち付ける。
幾度か、ごんごん、頭を畳にぶつけて、うりうりと額を擦り付けもして。俺はもしかして、とんでもない奴に惚れたのかも知れない……。……と、彼は深く黄昏れた。
そして。
深く黄昏れたまま、彼は、『と或る考え』に至った。
────自分と龍斗は同い年の筈で、と言うことは、二十年、彼もこの世で過ごしている筈で、だと言うのに、女に──恐らくは男にも──触れたいと思ったことなど一度もない、と言い切った。
しかも、きっぱりと。
そんなこと、途方もない嘘だと思いたいが、龍斗が嘘を吐いているようには思えないし、こんな嘘を言う必要もないだろう。
ならば、それは掛け値なしに真のことで、真だと言うなら、男として、否、人としておかし過ぎると言うか、体の何処かが悪いんじゃないか? としか思えないが、病を患っている風にも見えないから、龍斗は一応は、文句の付け様のない健やかな体、となるけれど……。
…………え、でも、それって、もしかしなくても、健やかな体と健全な心を持ってるいい歳した大の男のくせに、色情を覚えもしない処か、興味が無い、なんて程度を通り越し、どういうことか会得すら出来ないってことか!?
──……それが、至った考えで、龍斗の無垢な眼差しに晒されている背中に、彼は嫌な汗を掻いた。
それはもう、蝦蟇の油よりもタラタラと。
「あ、あのな、龍斗っっ」
「何だ? もう、そっとしておかなくて良いのか?」
…………だが。
どうか、この考えは違っていると言ってくれ! と龍斗に乞おうとして、がばりと起き上がり、切羽詰まりながら迫った京梧は、ふん? と不思議そうに首を傾げつつも、にっこりと笑んだ龍斗を見て、ふと、今度は、と或ることに思い当たった。