本当に何一つも知らない生娘を相手にしているんだと思え、と幾度も幾度も自身に言い聞かせた京梧が龍斗に施したそれは、啄みに似た、甚く軽い、唇同士を触れ合わせるのみのものだった。

が、寄せた面を直ぐさま離して、己も閉じた瞼を開いた京梧の目に映ったのは、きょとんとしながら、目をぱちくりさせている龍斗の顔だった。

「……どうした」

「…………今のは何だ?」

「何だ、って、お前…………。…………口吸い」

「そうか。そういう呼び方なのか。……あ、いや、そうではない。呼び方が訊きたいのではなく」

「……じゃあ、何が訊きたいんだよ」

「何故、あのようなことをするのかの、理由わけをだ」

「無粋なこと言ってんな……。あんな程度で、一々、何でするんだの何だの言ってたら、お前、頭の中、訳判らなくなるぞ?」

どうにも不思議そうな、納得のいかなそうな顔を龍斗が拵えているから、問わなければ良かったのに思わず問うて、結果、何でだの、どうしてだの、「今、この場でそんなことを訊くな!」と唸りたくなるようなことを言われた京梧は。

俺が間違ってた、本当に何一つも知らない生娘を相手にしてるんだと思え、じゃなくって、生娘よりも尚悪い奴を相手にしてるんだと思え、が正しい、と自らに言い聞かせ直し、又、龍斗の何でだのどうしてだのが始まる前に、もう一度、とっとと彼の口を塞いだ。

何かを言い掛けた彼の頤を摘む風に支えて施した二度目のそれは、いっそ容赦しない方がいい、との思い切りに基づいて行われた深いそれで、薄く開いていた唇にするりと舌を忍ばせ、存分に、好き放題味わってから、少しばかり身を離し、京梧は龍斗の様子を窺った。

…………龍斗は、瞬きも忘れた風になっていた。

僅か自身より遠退いた、京梧の、己が舌に絡んでいた舌と、長く触れ合っていた唇と、躰そのものを目で追いながらも、口を薄く開けたまま、大きく目を見開いて。

「……おい。ひーちゃん? 龍斗?」

長過ぎる、と京梧には感じられた程の、龍斗が無言のまま動かずにいたので、彼は恐る恐る、声掛けてみた。

何時までも、布団に肘付いた片腕のみで、半端に起こした体を支え続けるのもしんどかったから。

「…………………………京梧?」

と、その声で我に返ったように、やっと龍斗は言葉を発する。

「……何だ?」

「先程のも、今のも、真に、想い合う者同士がすることなのか?」

「無理矢理ってんじゃない限り、恋仲の相手以外とはしないな、普通」

「何故? 何故、恋仲になった相手と、あのようなことをする?」

「お前、又それか……?」

漸う京梧の名を呼んで、忙しない瞬きを再開した龍斗の言ったことはそれで、内心、「いい加減にしろー……?」と京梧は呻いたが。

「その…………、よく、判らなくて……」

「何が?」

「どうして、あのようなことをするのか。……と言うよりは、どうして、あのようなことになるのか、と言った方が正しいと言うか、私自身、自分が何を言いたいのかよく判らないのだが、あのようなことをする必要があるのか……?」

龍斗は、言い募るのを止めなかった。

「必要だからする、ってことじゃねぇと思うがな」

故に、仕方無い、とことんまで付き合うしかないだろう、と京梧は、龍斗を腕に抱き直し、彼の額を己が肩口に押し付ける。

「あのな、龍斗。お前、俺とこうしてるのは嫌か? 不思議なことか?」

「いいや。嫌ではない。不思議なことでもない……、と思う」

「さっきな、お前、俺に縋り付いてきただろう? どうしてだ?」

「どうして、と言われても……。そうしたかったからだ。私は、お前に身を寄せたいと思うし、そうしていると、お前がとても近いし……、お前が在ることを感じられるし……」

「……それは判ってんのに、何でそっから先が判らねぇんだかな…………。──なあ、龍斗。俺はお前に惚れてるから、お前とこうしていたいと思う。必要だからとか、そういうんじゃなしに、俺が、そうしたいと思うからだ。お前の唇を求めたのも、それと同じことだ。そうしたいと思うから」

「したいと思うのか? ああいうことを?」

「そうだ。惚れてるから、俺は、こうしてお前を腕に抱きたいと思うし、身を寄せていたいとも思う。お前の傍にいたいし、お前を傍に置いておきたい。……でもな、出来る限り傍にったって、境はあるだろう? 人にゃ、『自分』ってのを収めてる体って殻があるからな。だが、その破れる筈無い殻の向こう側までも、俺は触れたいと思う。殻の向こう側ででも、傍にいたいと思う。だから、少しでも深く、お前の傍にいられるように、お前に触れられるように、お前の『中』を求める。……そういうことだ」

「そう、か…………」

「ああ、そうだ。……人間なんざ、所詮は一人きりの生き物だ。どうしたって他人とは交われない。でも、それでも俺は、惚れてるお前の傍にいたくて、少しでも深く触れ合いたくて、身でも心でもお前を解りたくて、お前と交わりたい。お前の『中』までをも求めたい。……それだけだ。………………龍斗。お前は?」

────本当に、何一つも知らない生娘よりも尚質悪い龍斗を何とか丸め込んで、ここまで事を運んだ、それは確かだけれど。

あることないこと吹き込めば、思う通りに……、との下心を、始まりの時は持っていたのも確かだけれど。

その時、京梧は、龍斗を誑かす為でなく、本心を、彼の耳許で、ゆっくりと告げた。

「私、は……。…………ああ、私も、そうしたいと思う」

そういう想いなら、己も等しく……、と龍斗は、京梧の胸の中で呟く。

「そうか」

「そうだ。……良かった、私にもやっと会得出来たような気がする」

「要るとか要らないとか、ああだのこうだの、お前は考え過ぎなんだろ」

「考え過ぎ、と言うか……。あのようなことをするのだと言う話は、一度も聞いたことがなかったら、驚いたのだ」

「……お前、それでよく、遊女は春をひさぐのが商売、とか知ってたな」

「その辺は聞き齧りだ。遊郭と言うのは、子を生す行いを金で売る所だ、と教えて貰ったことがあって、それで」

「ああ、お前が餓鬼の頃に、教えだか何だか与えたって奴にか?」

「そうだ。子を生す行いも、そちらから教えて貰った」

「……………………どうやって?」

「頃合いのいい季節に、犬や猫が──

──もういい。言わなくていい。ったく、碌な教え方じゃねぇな……。人間様のそれと犬猫のそれを、一緒にするなっての。それに、お前もお前だ。そんな奴に教えなんざ乞うんじゃねぇよ」

「私とて、乞いたくて乞うた訳ではない。どうして生き物には子が出来るか教えてくれると言うから、教わっただけで。だが、この先は、お前が教えてくれるからもういい」

そうして、京梧の肩に、すりっと額を擦り付けて懐いてから、もぞもぞと龍斗は身を伸ばして、掠めるように、彼の唇に自身のそれを触れ合わせた。

「……龍斗?」

「一つ、覚えた。お前が教えてくれたことを」

「…………お前、どうしようもなく質が悪いな。っとに……」

思ってもいなかったことをされ、それまでとは別の意味で京梧は目を見開いたが、龍斗は唯、嬉しそうに笑むだけで。

喰らった不意打ちに苦笑しつつ、彼は、恋仲の彼の着物に手を掛けた。