中身は、どうしたって食えない狸ジジイやもだが、面には、常と言っていいくらい好々爺の笑みを湛えている円空に呼び付けられ、つい昨日、二度と会うものか! と言い捨て合った者達同士は、江戸城・松の間にて、雁首揃える羽目になった。
自分達を呼び出した相手が相手だった、と言うのと、呼び出しを無視したら、又、龍斗が豹変するかも知れない、との二つの理由で以て、双方、嫌々ながら登城し、向き合って座しはしたものの、やはり双方、初手から、ふんっ、とそっぽを向いていて。
ああ、今日も……、と歩み寄ろうともしない一同を見回し、藍は一人溜息を付いて、一日、二日留守にする、と言い置き鬼哭村より消えたのに、何故かちゃんとその場に居並んだ龍斗は、遣る瀬無さそうな顔をして円空を見て、彼等を呼び出した当人の円空は、軽い苦笑を浮かべた。
──昨日、龍斗が消えた理由は、彼等の諍いをどのようにして丸く収めたら良いかを円空に相談してみようと思ったからで、彼の不意の訪問を受け、仔細を聞き届けた高名なご出家は、ならば……と、龍斗に相談を受けたからとの成り行きを上手く隠して一同を呼び付けようと決め、実際、そうしてみたのだが……、これは、聞いた話よりも酷いと、うっかり拵えてしまった苦笑いを引っ込めた円空は、一転、何かを楽しんでいるように、不機嫌そうに居並んでいる彼等へ、端的に言えば、知っていることや、思うことを好き勝手に語れ、と言った。
己の師でもある円空に促され、先ずは雄慶が仔細を語り始めて、が、彼の話が幾許も進まぬ内に、桔梗が揚げ足を取り始めて、雄慶は素直に頭を下げはしたものの、今度は小鈴が彼女に突っ掛かって、そこへ、九角と九恫が嘴を突っ込んだものだから、円空が設けた『話し合い』の場は、あっと言う間に言い争いの場になり、これ以上ここにいる必要なんかない! と、毎度の如く風祭が切れ、切れて立ち上がった彼や九角を京梧が馬鹿にし始め、故に争いは、腕っ節で片を付けようじゃないか、と言う処まで辿り着いてしまい。
吐き出されっ放しだった藍の溜息は一層深くなり、黙って言い争う彼等を眺めていた龍斗は、すう……っと据えた目をして片眉を跳ね上げたが。
そこで漸く、円空の仲裁が入った。
────心底愉快そうな笑い声を立てながら騒ぎを止めた、本性は、煮ても焼いても食えない古狸なご出家は、高野山阿闍梨にまでぎゃあぎゃあと噛み付こうとした、頭に血が上っている彼等を捕まえて、そうまで言うなら、お前達の望む通り、腕っ節で片を付けるが良い、と告げた。
但し、龍閃組と鬼道衆で戦うのではなく、龍閃組・鬼道衆双方と、龍斗一人で戦って、もしも龍斗が勝ったら、以降は龍斗の言うことを聞くように、とも告げた。
何処までも笑いながら。
「ひーちゃんと、俺達で、か?」
「流石に、俺達と龍一人では……」
そんなお達しを受け、一旦は、京梧達も九角達も、それは幾ら何でも、と躊躇いを見せたけれど、桁外れに強い龍斗と、一度、真剣に立ち合いをしてみたい、と内心願っていた彼等は、堪え切れぬ笑みを薄ら浮かべて同意し、
「円空様。中庭をお借りします」
さっさと手甲を嵌めて立ち上がっていた龍斗は、京梧達が円空の申し出を受け入れた時には既に、中庭に下りていた。
「円空先生。私も、龍斗と共に戦わせて下さいっ」
そんな成り行きを見て取って、これはもう、止められようもない、と藍は慌てて龍斗の後を追い。
江戸城・松の間前の中庭を舞台としての、『正式な立ち合い』は始まり。
……京梧達も、九角達も、勿論、藍も。
気付いていなかった訳ではなかった。
水無月が終わり掛けたあの夜に起こった騒ぎの際、龍斗が背中に背負っていた見えない黒い靄のようなものが、その時も彼の背後を覆っていたのに、気付かなかった訳ではないのだが。
内心、うわ……、と思わないでもなかったのだが。
男達は、ここで挫けたら男が廃る、女達は、ここで挫けたら女が廃る、と、それぞれ踏ん張ってしまった。
幾ら龍斗が強かろうと、再び人が変わったようになっていようと、自分達七人を一度に相手にして勝てるとは思えない、との計算も彼等の頭の中にはあったし、大人しく引き下がったり、尻尾を巻いて逃げたり、と言った類いのことが到底出来る彼等ではないので、円空が掛けた「始め!」の合図より暫く経った後、自分達が如何様な運命を辿るかも知らず、歳の割りには張りのあり過ぎるご出家の声が中庭に響くと同時に、龍斗に打って掛かった。
────その直後に何が起こったのかの仔細を語るのは、彼等の名誉の為に省くが、あの夜と同じ笑みを浮かべつつ、あの夜と同じ見えない黒い靄を背負って、藍の手も一切借りず、誠に嬉々として拳を振るい、情け容赦無く蹴りを放った龍斗に、一同は『手酷い目』に遭わせられ、「人間って、夜叉よりも恐ろしくなれるんだ……」と、謎な感慨を覚えつつ、中庭の玉砂利の上に突っ伏す羽目になった。
でも、龍斗は、累々と転がる一同の直ぐそこに仁王立ちし、呻く彼等を見下ろして、「未だやる気があるか?」と迫り。
多少、渋々ながらの感もあったけれど、彼等は大人しく、負けを認めた。
そんなこんなだった江戸城での一件以来、龍閃組の者達と鬼道衆の者達の間での、龍斗や藍の頭を痛めるだけの諍いは起こらなくなった。
円空が申し渡した通り、龍斗に負けた彼等は、その場限りではない、「この先は共に力を合わせて柳生崇高と戦う」との誓いを立てて、ちゃんと、それを行いに移した。
口論──否、口喧嘩がなくなった訳ではないけれど、それは、龍斗が目くじらを立てずとも良い類いの物だったし、少しずつ、龍泉寺と鬼哭村を行き来する者達も増え始めた。
徳川幕府そのものや、かつて鬼哭村の者達が幕府より受けた仕打ちへの恨み辛みの晴らし方、と言う部分に関する各人の考え方は、どうしても相容れる部分は多くなかったが、覚悟を決め、腹を割って話し合ってみたら、案外憎めない相手だ、と言うのが、皆解ってきたようで。
そう日付も経たぬ内に、龍泉寺に鬼道衆の誰かがいて、鬼哭村に龍閃組の誰かがいる、との風景も、何処となく覚束無くはあったけれど、当たり前になっていった。
とは言え、事の成り行きや、そんな風に流れて行く周囲に、龍斗の目も耳も届かぬ処で、未だにぶちぶちと、文句とも愚痴とも付かぬ物を零したがる者達はおり。その、龍閃組側の筆頭が京梧で、鬼道衆側の筆頭が九角だった。
勝負は勝負だし、命を預ける相手が龍斗だと言うなら異論は無い、と二人共に思っていたし、京梧は龍閃組の中心的な面子の一人で、九角は鬼道衆の長、と言うそれぞれの立場があるから、彼等は決して表立ってそれを態度に出そうとはしなかったけれども、正直、京梧も九角も、内心はとても複雑な心地のままだった。
二人揃って、極度の意地っ張りだったから。
………………だが。
江戸城でのあれより、辛うじて両手の指で数えられるくらいの日が過ぎた頃。