「で? 結局、ありゃあ何だったんだ?」
「……知らん」
「大方、幕府を呪う怨霊を騙った化け物なんだろうが……、幕府への恨み辛みが只の騙りだとすると、何で、一度は俺達の奥義が弾き返せたのかが判らねぇ」
「…………それの答えは、見当が付いているのではないのか?」
「……あん?」
「………………いや、何でもない」
────渦を巻きつつ襲い来た、二つの奥義が生んだ氣塊に、あの物の怪は真の身を崩され、と同時に、物の怪が生んだ単なる幻だったのだろう死霊の群れも消え。辺りに静寂が戻るのを待って、今日はもう引き上げるかと、鬼岩窟を出た京梧と九角は、潜っている間に日暮れてしまった村の中を、緩い足取りで進んでいた。
「すっかり、日も暮れちまったな。今、何刻だ?」
「さあ。暮れ六半……にはなっていないと思うが」
「暮れ六つか。下手すると、ひーちゃん、未だ女共に引き摺り回されてるかも知れねぇな……」
「……成程。龍を藍達に持って行かれたから、こちらに顔を出した訳か。…………情けない奴だな」
「へっ。何とでも言いやがれ。誰が、ひーちゃん一人置いて、こんな山ん中まで来るかってんだ。──じゃあな」
そうは広くない村のこと、ゆっくりと足を進めても、広間は直ぐに見えてきて、何となししていた話を切り上げ、京梧は門の方へと足先を向けたが。
「……おい」
「何だよ」
「藍達も、龍も、寺にいないかも知れぬのだろう?」
「多分。あの勢いなら、何処まで連れてかれたか判ったもんじゃねぇ」
「だったら、飯に付き合え」
どういう風の吹き回しか、帰ろうとした彼を九角は引き止める。
「……………………珍しいこと言いやがんな」
いきなりの申し出に、京梧ははっきり、驚いた顔を作った。
「付き合うのか。付き合わんのか。何方だ」
「……いいぜ。但し、飯じゃなくて、酒な」
「貴様、遠慮と言う言葉を知らんだろう……」
驚いて、が、直ぐに暫し思案し、ちろり、横目で九角の顔を眺めた京梧は、酒ならば付き合ってもいい、と尊大に言い、図々しい、と零しつつも、九角は彼を連れて屋敷に戻った。
「あ、若」
「天戒様、今まで何処……──。……蓬莱寺。あんた、何で」
昼前に京梧に連れ出され、そのまま何処かへ消えて、ようやっと帰って来た九角を、彼の帰りを待ち侘びていた九恫と桔梗は酷く案じていた風に出迎え、無事だった、と安堵してから、何で、あんたが未だ天戒様と一緒にいるのさ、と桔梗は京梧を睨んだ。
「訳は、てめぇの御館様に訊きな」
「天戒様に?」
「……桔梗。こいつは、俺が連れて来たのだ。だから、酒の支度をしてくれないか」
「え? ちょ……、天戒様?」
「いいから。そうしてくれ」
「天戒様がそう仰るんなら、そう致しますけど……。……あああ、それよりも! 天戒様、どうされたんです、その顔!」
きっ、と睨まれても、肩を竦めて薄い笑いを寄越すだけの京梧に、もう一度睨みをくれた桔梗は、京梧が勝手に付いて来たのではなく、本当に九角が誘ったのかと確かめようとして、覗き込んだ彼の頬に誰かに殴れたような痕があるのを見付け、叫び出す。
「俺がやったんだよ」
「……あんたが?」
「ああ。一発ぶん殴った」
「何だって!? 蓬莱寺、あんた、わざわざ天戒様に喧嘩売りに来たってのかいっ!?」
彼女の高い声へ、京梧は鬱陶しそうに『下手人』を打ち明け、故に桔梗は益々、キリキリと眦吊り上げ、
「桔梗。こいつが悪い訳ではない。何方かと言えば、俺の方に非がある。──いいから、兎に角酒の支度を」
「は? え……、ああ、そうですね…………」
が、そんな二人の間に九角が割って入ったので、桔梗は納得いかなそうにしつつも、座敷を出て行った。
「やっぱりな」
「……何が」
「ちょいと、引け目に思ったんだろ? さっきのあれ。だから、付き合え、とか何とか言い出したんだろ」
「…………そんなつもりはない」
「ま、そういうことにしといてやってもいいけどな、俺は。あんたの中じゃ、どうだか知らねぇが」
「貴様、一々嫌味だな」
「お陰様で」
九角自身に促されても、ぶつぶつ口の中で何かを零しつつの桔梗が消えるのを待って、にやにやと九角に向き直った京梧と、ふん、と有らぬ方を向いた九角は、そんな風に言い合いつつ、どかりと座敷の片隅に座り込み。
「ふむ…………」
黙って成り行きを眺めていた九恫は、何やら思わされた風に、そろっと座敷より抜け出した。
「桔梗」
「九恫。何だい?」
座敷を出、勝手へと続く廊下で、酒の支度を乗せた膳を抱えて戻って来た桔梗を、九恫は捕まえた。
「お前、それを置いたら、さっさと戻って来いよ」
「何でさ。あんなのと、天戒様を二人だけになんてしとけないよ。天戒様はああ仰ったけど、本当は、あの赤毛猿と揉めて、手を出されたのかも知れないじゃないか」
「そんなことで、若が嘘を言う必要は無いと思うがな。──いいから、邪魔するな」
「…………どうして」
「案外な、お前曰く赤毛猿は、若にぶつけるには向きなんじゃないか?」
「ぶつける……? それ、どういう意味だい?」
廊下の真ん中で呼び止められ、京梧を見張る気満々だった腹の中を見透かされ、挙げ句、邪魔をするな、と釘まで刺されて、桔梗はふて腐れるようになったけれど。
「色んな意味で、だ。…………蓬莱寺は、礼儀だとか思慮だとか、政に対する考えだとかを、欠片も持ち合わせていない。だから、若には丁度いいかも知れない。少なくとも、鬼道衆の長だとか、九角家当主だとかを、持ち込まなくても済む相手だ」
若には、そういう相手が必要なのかも知れない、と九恫は彼女を諭した。
「…………例え、天戒様が、あたし達の前でも、鬼道衆の長だとか、九角家当主だとかを持ち込まざるを得ないとしても、たーさんがいるじゃないか。あの赤毛猿じゃなくて、たーさんに求めればいいじゃないさ」
「それは、師匠には──いや、違うな。若には無理だ」
「……何でだい?」
「若に、師匠だけ、鬼道衆と言う枠の外に置くなどと言う、器用なことが出来る訳がないからだ。『一度目』がどうだろうが、『二度目』だろうが、この三月と少し、師匠が鬼道衆の一人だったのは紛れもない事実だ。この先は、龍閃組と鬼道衆の別なく、と言ってみた処で、人間、そういう括りは早々容易くは壊せない。だとするなら、少なくともその括りが壊れるまでは、若の中での師匠は鬼道衆の一人だ。…………無理、だろう?」
「………………そうだね」
「だから、蓬莱寺辺りが丁度いい。立場だの何だの思い起こしたりせず、存分に喧嘩出来る相手が一人くらいはいた方が、若の為にはなるだろうさ」
幾度か九恫が言葉を重ねても、桔梗は承服し兼ねるような態度を取り続けたが。
「……ま、あのお猿さんの、何も考えてなさそうな空っぽのオツムを、天戒様の為に利用するってなら、考えてやってもいいさね」
九角天戒と言う男には、送って来たこれまでの生涯と、その立場故、混じり気の無い意味で立場を忘れて怒鳴り合える相手など、これまで一人もいなかったかも知れない、と彼女は思い直して、渋々の態を取り、九恫が言わんとしたことに頷きを返した。