「旦那? 何でぇ、そんな、深刻そうな顔しちまって」

偶然行き会った際、河岸を変えないか、と言い出したのは京一の方だったから、口では、良かったのか? と問いながらも、切り上げてもどうということはない程度の買い物だったのだろうと踏んでいた村雨は、その時、ふいっと京一が浮かべた、困ったような、と言うよりは、やけに情けない、と例えた方が正しいだろう表情を受けて、意外そうに首を傾げた。

何故、京一は、そんな顔を拵えたのだろう、と。

「別に、深刻な訳じゃねえよ」

「…………先生絡みかい?」

「……あー、まあ」

「成程な。旦那がそんなツラする時は、大抵、先生絡みの何かだからな。判り易いこって」

だから、決して間違ってはいない筈、との想像に基づき、龍麻に絡むことかと問えば、京一よりボソボソとした声の肯定が戻り、やっぱりな、と村雨は苦笑する。

「判り易くて悪かったな……。………………明後日、二十四日だろ?」

「ああ。それが、どうか────。……ははーん、読めたぜ。明後日、お前さん達二人共、誕生日だったな。それで、か。先生へのプレゼントの一つも、って奴か」

すれば、村雨の表情の移り変わりを横目でチラチラ窺いつつ、京一は、日付の話をし始め。

話が読めてきた、と村雨は、苦笑を呆れ顔に変えた。

「まあな。でも…………」

「何をウダウダ言いやがるかねえ……。……上手くいったんだろ? 先生とのこと。先月の忘年会の時も、この間の新年会や麻雀大会の時も、いい雰囲気だったじゃねえか」

「……ああ。大分前に、お前にゃみっともねえ愚痴聞かせちまったし、あいつとデキてるって白状したのは俺自身だから言うけど。何とか、な。鞘には収まったっつーか。そんな感じになってさ。……幾ら相手が、どうにかこうにか、な関係になったひーちゃんでも、誕生日プレゼント贈るなんて俺の柄じゃねえけど、きっちり、そういうことになって初めての誕生日くらい、何か贈ってやった方がいいんじゃねえのかなー、なーんて思ったんだけどよー……」

すれば京一は、手にしたグラスを意味もなく揺らし、氷の鳴る音を立てさせながら、ぽつりぽつり、『情けない顔』をする訳を語り始める。

「けど?」

「何贈ったらいいのか、判んなくってなー……」

「何、って……。そんなに、深く悩むような話かい? 先生が喜びそうな物とか、欲しがってる物とかでいいじゃねえか」

「んなこたぁ、判ってっけど……」

「……京一の旦那にしちゃ、随分と煮え切らねえこと言いやがるな。何か、思う処でも?」

「…………ひーちゃん、あんま物欲ねえし。欲しがってる物がない訳じゃねえけど、あいつが今欲しがってるのは、万能野菜スライサー、とかいう、お前は何処の主婦だ、って突っ込み入れたくなるようなブツだしよ」

「………………先生、人生の方向性を、どっかで間違えてねえか?」

「俺もそう思う。明後日には二十四になるヤローが欲しがるもんじゃねえだろ? だから、欲しがってるモンは、誕生日プレゼントにするには幾ら何でも、だし、喜びそうな物っつってもな……」

「……『そういうこと』になって初めての誕生日なんだから、ベタなモンでいいんじゃねえか? いっそ、指輪でも贈ってやんな」

──現在、龍麻が欲しがっている一番の物は、万能野菜スライサー、という、若干頭を抱えたくなるような話が飛び出はしたものの、京一の口から溢れた『細やかな悩み』の筋は、大凡が、多分……、と踏んだ通りで、「幸せな悩みだな」と、村雨は、彼をからかう為に、指輪でも、と言ったのだけれど。

「考えなかった訳じゃねえけど…………」

気拙そうに打ち明けながらも、京一はひたすら、悩まし気な面を深めるだけだった。

「その手の物の、何が駄目なんだよ、京一の旦那? あんた等が収まった鞘は、恋人同士って鞘だろうが」

「…………そうだぜ。男同士だけど、俺達が収まった鞘の『一つ』は、恋人同士って奴だ。お前の言う通り。でも、何つーか……、上手く言えねえけど、そういうんじゃねえんだよ。恋人同士にはなったけど、結局の処、こうなった今でも、恋人同士ってのは、俺とひーちゃんの関係の一つでしかないっつーか。だから、そういう『甘い物』のやり取りは、俺等らしくねえっつーか、俺も、多分ひーちゃんも、そんなのは望んでないっつーか」

「……旦那。相っっ変わらず、お前さんって男の考えることは、複雑怪奇だな」

「うるせぇっ。お前に言われたかねえっ! ……あーもーー! 大体、こんなことで悩むこと自体、俺の柄じゃねえっての!」

そうして彼は、ブツブツブツブツ、村雨にしてみれば理解し難い想いを打ち明けてより、手にしていたグラスを手放し、己が髪掻き乱し、挙げ句、ゴビン、と音がする程、バーカウンターの天板に、額を打ち付け喚き出した。

「正直、旦那と先生の関係の本当の処は、俺には到底理解出来ねえが……」

はああああ、と盛大な溜息も吐き、あーだこーだ、一人で喚き出した京一の様子を眺めている内に、村雨は段々、盛大な惚気を聞かされている気になってきてしまって。

更には、彼にしてみれば複雑怪奇以外の何物でもない、が、京一の中では、言葉にするのは難しくとも、理路整然としているのだろう想いが齎す悩み話に、この上付き合い続けるのも馬鹿馬鹿しくなってきてしまって。

「ウダウダ悩むくらいなら、仲間内に、盛大に自分達の関係バラして、交際宣言でもして、それをプレゼント代わりにでもしてやれ」

どうしようもなくいい加減なことを、投げやりな調子で彼は言ってみた。

「…………似たようなことは考えたけどな」

────すれば。

飲み込み掛けた酒を、思い切り喉に詰まらせる一言が、京一から発せられ。

「ゲッホ……っ……。……ほ、本気かい……?」

涙目になって咽せながら、唖然、と村雨は京一を見詰めた。

「本気で、仲間内に俺達のことを白状しようってんじゃねえよ。──天香の一件が粗方片付いてきたろ? だからこの間、いい加減、日本に戻って来てるって、実家に顔出すなり連絡するなりしろって、ひーちゃんに責っ付かれたんだよ。で、そのことで、ああだこうだ何時もの口喧嘩してた時に、鞘に収まったら収まったで、今度はひーちゃん、俺の親父やお袋に申し訳ないと思い始めたっぽいのが判っちまってなー……。……あいつ、一寸したことで、すーーーぐドツボ嵌って悩む口だろ? だからいっそ、誕生日にかこつけて、俺の実家引き摺ってって、あいつとのこと、きちんと話そうかと思ったんだけどよ。そりゃ流石に拙いかって、思い直した」

が、京一は飄々と、どうということない風に、一時期抱えていた魂胆の一つを喋って。

「そりゃそうだろ……。第一それは、仲間内に白状するよりヤバいじゃねえか。先生だって気拙いだろうし、旦那の親だって……」

未だに酒が引っ掛かっている胸許をバンバン叩きつつ、村雨は心底呆れた。

「あー、そういう意味で拙いんじゃなくて。しんば、マジでひーちゃん引き摺ってって、家の親共もコーコーの頃からよく知ってるあいつと、そういう意味で付き合うことになったから、嫁も孫も諦めろって言ってみた処で、俺の親はビビるようなタマじゃねえよ。繊細って言葉とは無縁だからな。すんなり認めてくれるだろうし、ひーちゃんに兎や角言うことは絶対ない。賭けてもいい。その代わり俺は、他所様の息子の一生狂わせるんだから、ひーちゃんの実家まで行って土下座でも何でもして、半殺しの目にくらい遭って来い、ってな程度の申し渡しはされんだろうな。……本当にそうなっちまったら、家じゃなくて、ひーちゃんやひーちゃんの実家が大騒ぎになんだろ? だから止めたんだよ」

……でも、顎が外れそうになる京一の話は、未だ続き。

「…………………………旦那を育てた夫婦なことだけはあるな」

それ以外、何を言えと、の勢いで、村雨は、深い深い溜息を零した。