あんたを産み育てた夫婦なだけのことはあると、京一の両親に対する、それ以外は有り得ぬ感想を村雨が呟いてから、暫し、狭くて小さなバーのカウンター席に並び腰掛けた京一と村雨の間には、沈黙だけが続いた。

村雨の顔が利く──要するに、訳ありの知り合いらしい村雨とその連れ、との二人に気を遣ってくれたのだろう初老のマスターが出してくれる琥珀色の酒は、かなり上等で、溶け行く氷が斑に混ざったよく冷えたそれは、美味い、の一言で言い表せるものだったし、彼等の仲が仲なので、沈黙は、決して二人の何方にも負担には成り得なかったが、村雨は、京一とは全く違う恋愛観を持つが故に、複雑怪奇過ぎて理解出来ない、と評するしかない京一の心情や悩みに、沈黙の中、かなり頭を悩ませていて、京一は京一で、己とは全く違う恋愛観を持っている村雨からは、納得は得られても理解や共感は得られぬだろうと悟っている己が想い等々を、少なくとも今は、それ以上語る気にはなれなくなっていたから、敢えて沈黙に甘んじていて。

「…………はあ……」

「……ったく……」

が、やがて、村雨と京一は、揃って同時に、溜息めいた呟きを洩らした。

「辛気臭ぇなあ、村雨」

「誰の所為だか、判ってるかい? 旦那?」

「別に、俺は悪かねえぞ」

「開き直りやがって……。──で? 結局どうすんだ? 先生の誕生日プレゼント」

「……あー…………。……どうすっかなあ……」

「ちったあ知恵でも絞れよ。鬱陶しい」

沈黙の中、互い、本来なら使わずとも良い筈の頭を使ったが為の溜息を洩らした二人は、何となし、話を元に戻し。

「………………だよな。鬱陶しいよな。俺自身、鬱陶しいと思うぜ。さっきも言ったが、こんなこと悩むなんざ、俺の柄じゃねえし。ってことは、悩むだけ無駄だってことで」

あー、鬱陶しいっ! と言い切った村雨の科白と態度に何を思ったのか、不意に京一は、ガラリと趣きを変えた。

「あ? 悩むだけ無駄だと、どうなるってんだ?」

「決まってんだろ、無駄だから、悩むのなんざ止めるんだよ」

表情さえ、あっという間に、何かを吹っ切った、さっぱりしたそれに変え、ごっそさん、と呑み掛けだったグラスの中身を一息に煽って、さっさと彼は席を立つ。

「何だい、鬱陶しくウダウダ考えてる内に、それでも先生へのプレゼント、何にするか決まったってかい?」

んー、と、紫の竹刀袋片手に大きく伸びをした彼を見上げてから、村雨は、ちらっと腕の時計に目をやった。

これっぽっちも華美ではないが、品が良く、それを知る者は羨望の溜息と共に価格まで言い当ててみせるだろうそれの長針と短針は、現在時刻が午後六時を少しばかり過ぎたことを示しており、京一と龍麻が交わした、八時にアルタ前、との約束までには未だ二時間近くあると知った村雨は、唐突に何かを踏ん切ったらしい京一が、これより先の二時間で、目的の品を買い求めに行くつもりになったのだろうと踏んだが。

「決まったっつーか、何つーか」

すっきりした顔付きと風情を見せ始めた割には、『その部分』に関する京一の歯切れは、未だに悪くて。

「随分気楽な顔見せ始めた割にゃ、歯切れが悪いな、旦那。何をどうするか、決めたんだろう?」

「ああ。何をどうするかは決めたぜ?」

「なのに、『決まったっつーか、何つーか』、かい? ……勿体ぶらねえで、話の種に、先生に何を贈るつもりなのか教えろよ」

「……さーてねー? お前さんの想像に任せるさ。──マスター、御馳走さん。今度、ゆっくり邪魔するんで。……じゃな、村雨。又、その内麻雀やろうぜ。来月なら何時でもいいぜ?」

隠すことでもないだろうに、と村雨は問いを重ねたが、へらっとした笑いを浮かべ、いい加減に答えると、ヒラヒラっと手を振り、何処となく不服そうな村雨と、無言のまま一礼したマスターに背を向け、京一は店を出て行った。

カップに注がれた、二杯目の紅茶に口を付けながら、眼下を行く人波を眺め続けた間中、龍麻は、渋い、難しそうな顔を崩さなかった。

そんな龍麻に倣ったように、劉も又、酷く悩まし気な顔を拵え、カップの中の飴色のそれを、意味もなく揺らして。

「何ならいいんやろうな、京はんへのプレゼント」

「一応、さっきからずっと、考えてはいるんだけどさ……」

龍麻の悩みに、それなりには感情移入してしまったらしい劉は、一緒になって、龍麻から京一へのプレゼントは何がいいのか、との議題に真剣に取り組み始め、龍麻も、出涸らしでしかない知恵を、もう一度だけ、とひねくり倒し……、が、結局、暫しの間、向き合い、ああだこうだと言い合ってみても、解決案も、打開案も生まれず。

「何かもう、悩むの馬鹿馬鹿しくなってきたなー」

とうとう、龍麻は悩むことも、出涸らしの知恵を絞ることも、放棄した。

「そやけど、京はんにプレゼントは贈りたいんやろ?」

「それは、まあね」

「なら、何とかして、目星だけでも付けんと」

「うん。俺だって、そう思うよ。そうは思うけど……、本当に、悩むの馬鹿馬鹿しくなってきちゃってさ。だから、止める、こんなことで悩むの。本気で、俺達らしくないから。俺と京一の間の、しかも『こんなこと』で、ああだこうだ悩むなんて、絶対、らしくない」

くっ、と二杯目の紅茶を煽って、勢い良くカップを戻し、小さな握り拳まで固めながら、「こんなことは『らしくない』」と龍麻は言い切り。

「そやかて……」

「大丈夫。心配してくれて有り難う、弦月。何をどうするかは決まったから、本当に大丈夫」

スルッと、背凭れに引っ掛けておいたコートを取り上げながら立ち上がった彼は、素早くテーブルの上の伝票を引っ掴んだ。

「へ? 決まった? ……何にするん? 京はんへのプレゼント」

「それは、内緒。──じゃあ、又ね、弦月。今月は、一寸忙しいから駄目だけど、来月になれば少し身軽になるからさ。夕飯でも一緒に食べようよ。良ければ、雛乃さんも連れておいでよ。勿論、バレンタインの頃は外して」

つい先程まで、酷く難しい顔をしていたのに、急に、ケロッと開き直った風な素振りを見せて、ヒラヒラっと手を振った義兄を、ちょっぴりだけ慌てつつ劉は見上げたけれど、龍麻は愉快そうな笑みだけを残して、駅ビルの片隅の、喫茶店を出て行った。