「うん。だって、俺、誕生日だしー」
歌との相性が誠に宜しくない、端的に言えば音痴な甲太郎に、わざと、『誕生日おめでとう!』の歌をねだって、九龍は、へらへらーっと再び笑んだ。
「……俺が、『ちょっぴり』、歌との相性が良くないのは、今更、言う必要は無いな? 九ちゃん?」
「勿論。だ・か・ら」
故に、甲太郎の表情は益々歪み、ベッドに腰掛けた時から組まれていた彼の足は、忙しなく組み直されたが、これくらいのことは言っても罰は当たらないと、九龍は、ツーーーン、と、そっぽを向いた。
「………………本気か?」
「本気」
「…………大して上手くもない歌なんか聴いたって──」
「──俺は、甲ちゃんに『Happy Birthday to You』を歌って欲しいっ!」
「お前な…………」
「いいじゃんか。俺しかいないんだし。それに、例の夜会の時から、俺、ちょーっと気になってたことがあるんだよねー」
「気になってたこと?」
「うん。あの時、甲ちゃん、歌との相性が良くなくても、音楽が嫌いな訳じゃない、みたいなこと言ってたっしょ? ジャンルだって選り好みしないし、それに……、とか何とか、ごにょごにょ言ってたじゃん」
「確かに、そういう話はしたが……、そんなことが気になってたのか、九ちゃん?」
「そーです。結局、言葉濁されちゃったけど、俺さ、あの時の甲ちゃんのごにょごにょは、『歌だって嫌いじゃない』か、『歌うことは嫌いじゃない』の、どっちかだったんじゃないかって踏んでるんだよねー。だから、何かの機会にねだったら、甲ちゃんの歌が聴けるんじゃないかなー、と秘かに思ってた訳さね。……という訳で。こーたろさん、あの時のごにょごにょの真相は?」
「…………歌が嫌いって訳じゃない。……そう言い掛けて止めたんだ」
甲太郎は苦い顔で九龍を凝視したまま、九龍はそっぽを向いたまま、暫し二人は、去年秋に行われた夜会の折のことにまで話を遡らせつつ言い合い続け。
言い合いの果て、甲太郎は、九龍の想像通り、歌う、という行為が決して嫌いではないことを打ち明けた。
「あ、やっぱり、そういう路線だったか。なら、何処にも問題は無い! さ、甲ちゃん。歌って?」
「嫌だ」
「何で!? ケチ臭いぞ、甲ちゃんっ! いいじゃん、聴かせてくれたって! 歌のテストの時は、一人ずつ先生に呼ばれる形だったから盗み聞きも出来なかったし!」
「ケチとか、そういう問題じゃないだろっ! と言うか、その前に、人の歌を盗み聞きしようとするな! ……って、ああ、もう、そうじゃなくてっ! 嫌なものは嫌なんだよっっ」
「…………どーして」
「どうしても。特に、お前の前では歌いたくない」
「じゃあ、『歌が嫌いって訳じゃない』のに、断固拒否の理由をどうぞ。そういう態度ってことは、歌との相性が良くないって以外にも、理由があるんっしょ?」
上手い下手は別として、歌うこと自体が嫌いではないなら、早速! と九龍は甲太郎に向き直ったが、彼は、徹底抗戦の構えを取って、だから、「これっぽっちも殊勝じゃない!」と暫し彼へと突っ掛かった後、九龍は、そこまで嫌がる理由を打ち明けるなら、検討し直さないこともない、と譲歩した。
……勿論、それは『振り』だけで、何が何でも甲太郎に歌を歌わせてやる、と、彼は内心では意気込んでいた。
甲太郎は、低めのとても甘い声の持ち主だから、『多少』音程が外れていたとしても、そんな声が歌う歌を、一度くらいは聴いてみたい! との野望を、彼は長らく抱えていて、更には、甲太郎がこんな態度を取る時は、大抵、隠したい理由があることを学習し切っているから、その『理由』をも聞き出し、一石二鳥にしようと企んで。
「言いたくない」
「……どうして?」
「どうしても」
けれども、甲太郎の、断固拒否の構えは変わらなかった。頑だった。
「…………こーたろさん。又、それですかい?」
「嫌なものは嫌だし、言いたくないことは言いたくない。お前にだけは、絶対に白状したくない」
「どーーーーして!? 何でっ!?」
「……だから、どうし──」
「──どうしても、って答えは却下だかんな! 理由を言え、理由をっ。理由、理由ーーっ!」
その、余りと言えば余りの言い種に、九龍はキレ気味の大声を上げたが。
「……嫌な想いをするかも知れないから」
「へっ? 嫌な想い? 誰が? 甲ちゃんが?」
嫌な想いをする、と言われ、彼は目を丸くした。
「…………いや、お前が」
「……俺が? なして?」
「だから…………、どう──」
「──『どうしても』は、もういいってば。それよりも。甲ちゃん、俺、何か話がよく見えなくなってきたんだけど」
「……っとに…………。…………だからっ────」
真円、と言えるまでに目を丸くしたまま、んーーー……? と、思い切り九龍は首を横に傾け、そんな彼の態に、髪を掻き毟った甲太郎は、焼け糞のように、『理由』を吐き出した。
────彼が、歌との相性が良くないにも拘らず、歌うことそのものを嫌っている訳ではない理由は、持って生まれてしまった、一度憶えてしまったことを忘れることが出来ない、という記憶障害に絡むことだった。
物凄く強引に説明するなら、彼のそれは、『有り得ないくらい記憶力が良い』と同意で、故に、相手が苦手な歌だろうと、その気になれば一発で、歌詞もメロディも覚えることが出来るが、残念ながら、彼は、覚えた通りに歌えない──即ち、音楽の才能には恵まれなかった。
……だからこそ、彼は、歌うこと自体は嫌っていない。
忘れ去ってしまいたいことも忘れられず、憶えたくないことも憶えてしまう己の質を、己自身で裏切れる、数少ないことだから。
「……と、まあ、そういう訳だ」
「……………………………………屈折してるね、甲ちゃん……」
────そんな理由を打ち明けられて。
九龍は、傾げっ放しだった首を元の角度に戻し、うわ……、と小さく呟いてから、一言、率直な感想を呟いた。
「……悪かったな、屈折してて」
彼の、誠に素直な感想に、甲太郎は酷く顔を顰めた。
「いや、悪いってことはないっしょ。但、ちょーーーっと、言葉に詰まったと言うか?」
「ふん……」
「まあまあ。少なくとも俺は、さっきの話聞いて、嫌な想いした、とか、そういうことはないからさ」
…………けれども、だったのか、それ故に、だったのか。
表情を歪めた甲太郎を真っ直ぐ見詰めながら、九龍はニコッと笑ってみせた。