「……そうか」
別に、嫌な想いなんかしなかった、とニコッと笑った九龍へ、ぽつり、呟きを返してから、甲太郎は眼差しを逸らした。
正直、そんな反応が返ってくるとは欠片も思っていなかったから。
…………九龍は、風邪は引く程度の馬鹿で、猪突猛進で、熱血馬鹿でもあって、誰に対してもフレンドリーで。
更に言うなら、過ぎる程のお人好しで、他人の痛みを自分の痛みのように受け取ってしまう処もあるから、己が、『歌うという行いを嫌えない理由』を白状したら、きっと、御免、とか、嫌な話をさせてしまった、とか言いながら、理由を聞き出して『しまった』自身の好奇心と、自身そのものに落ち込んでしまうのではないか、と甲太郎は想像していた。
だから、彼は、頑に理由を語るのを渋った。
九龍が洩らした率直な感想同様、自分自身、屈折している、と感じる事柄で、彼を落ち込ませたくなかったから。
が、思いの外、九龍の反応は『軽かった』ので。
もしかしたら、九ちゃんは心底、己に呆れてしまったんじゃないか、と咄嗟に思い込んだ甲太郎には、彼の面を見詰め続けることは出来なかった。
「……甲ちゃんさあ、まーーーた、今、後ろ向きなこと考えたっしょ? 後ろ向きなこと考えたら本気でぶっ叩くって、何度言えば判るんでしょーね、このネガティブ少年め」
──そんな甲太郎の思考を、九割方、察したのだろう。
這うように彼の方へとにじり寄った九龍は、眼差しを伏せた彼へと両手を伸ばし、無理矢理、己へと顔を向けさせ、メッ、と叱る真似をしてから、再び、笑みを拵える。
「もしかしなくても、甲ちゃん、俺が今の甲ちゃんの話、軽く流したっぽくしたのが気になった? 確かに言い方は軽かったかも知れないけど、流すようなつもりで、ああ言った訳じゃないんだよ?」
「………………別に、気にしたとか、そんなんじゃない」
「その態度と科白の、何処が気にしてないって? 目一杯気にしたって、顔全体に書いてあるんだけど。──さっきは思わず、屈折してる、なんて言っちゃったけど、理由や動機が何であれ、好ましく思えることがあるのは悪いことじゃないって俺は思うし、俺が強引に押し切ったからだったとしても、甲ちゃんが自分から、自分の持病絡みのこと話せるようになってるってのも、少なくとも俺は、悪いことじゃないと思うんだ。今まで誰にも言えなかったことを、少しずつでも言えるようになってけば、その分、甲ちゃんの心の中も軽くなってくんじゃないかって思えるから。……だから、敢えてサラッと流してみたって訳。了解?」
「……ああ」
「うし。んじゃ、甲ちゃん。約束通り、歌って?」
唯ひたすら、花が綻ぶように笑みながら、甲太郎の瞳をじっと見詰めつつ、九龍はそんな話をすると、甲太郎が納得の頷きを返すのを待ってから、又、誕生日と今日の出来事に託つけたおねだりを始め。
「約束って、お前……。俺は、お前のそのおねだりを受け入れた憶えはない」
「………………歌って。つーか、歌え?」
「どうしようもなく、諦めの悪い奴だな……」
何が何でも、九龍は自分に歌を歌わせるつもりらしい、と悟った甲太郎は、げんなりと肩を落とし、溜息を吐いた。
「お陰様で。諦め悪くて無駄に前向きなお陰で、甲ちゃんって人も、Get Treasure出来たんで。俺の根性は偉大だ!」
「自分で言うことじゃないだろ、そんなことは。────……っとに…………」
そんな風に、大仰に、嫌そうな素振りを取りはしたけれど。
「…………二度はないからな」
結局、彼は折れて、九龍よりの、『罰でもあるおねだり』を飲んだ。
「やった! じゃ、早速!」
その途端、ニパラっと九龍は顔を笑み崩し、ガッツポーズを決めたけれども、傍らの甲太郎が、約束通り『Happy Birthday to You』を歌うべく、組んでいた足まで崩して徐に姿勢を正し、剰え、何処か悲壮な覚悟を決めたような神妙な顔付きをしながら咳払いまで始めたので、勢い、彼も神妙にベッドの上に正座し、膝の上にてきっちり両手を揃えた。
「……心して聴けよ」
「勿論っ! 絶対忘れないしっ」
「いや、遅くとも明日には忘れてくれ」
「えー……。それは、勿体無いからヤだ。寧ろ、自慢して歩きたい」
「……お前、自慢して歩いたらどういうことになるか、判ってるんだろうな」
「………………言わない。誰にも言わない。自慢もしないっ。大丈夫だ、安心しろ、甲ちゃん!」
「激しく嘘臭い。お前の大丈夫が、本当に大丈夫だった例もないしな。だが……、まあ、いいか。バラしたら、只じゃおかないだけだから」
「んもーー。信用ないなー。大丈夫だってばさ」
「それが、嘘臭いと言ってる。────あー……、兎に角、う、歌うからな」
「お、応っ」
「…………いいな?」
「……うん。…………ってか、とっとと歌ってくれよ、甲ちゃん。前振り長過ぎ!」
珍しく緊張しているのか、やけに上擦った声の甲太郎が、暫し、中々往生際の悪いことを何や彼やと言い募ったので、釣られ、似たような声のトーンになった九龍は、一々それに付き合ったが、その内に、会話に全く生産性がないことに気付き、早くしろ、と甲太郎を急かして。
「仕方無いだろうっっ。誰の所為だと思ってんだ、馬鹿九龍っっ!」
急かされた、往生際の宜しくない彼は、湧き上がった、九龍から見れば理不尽としか言えない怒りに身を任せ、ちんまり正座を続ける九龍の頭を、ガッ! と両手で掴んで強引に己の方へと引き摺り、「何事!?」と、ジタバタを始めた彼の耳許に、噛み付きでもするかのように唇を寄せた。
「へっっ? 甲ちゃ──」
「──いいから、その口を閉じろっ!」
がっちり掴まれた頭は痛く、耳朶には息が掛かってこそばゆく、九龍は益々暴れたけれど、甲太郎は彼を一喝すると、再び盛大な咳払いをし、深呼吸を一度してから、望まれた歌を小声で歌い始める。
「………………………………………………甲ちゃん」
────ゆっくり歌ったとて、歌い始めから終わりまで三十秒と掛からない『Happy Birthday to You』を、耳許にて、小声で奏でられた直後。
九龍は、ボフンっっ、と顔を真っ赤に染めながら慌てて両耳を手で覆って、低い唸り声で甲太郎を呼んだ。
「……何だよ」
何故か、薄い怒りが籠っている風な声で名を呼ばれ、改めて、甲太郎は九龍へと顔を近付け。
「………………反則だ。反則過ぎる! 酷い、どうしてくれるんだ、甲ちゃんっ!」
「反則って、何のことを言っ────。……ぐふっっ……っ」
軽く首傾げながら、何が言いたい? との顔になった甲太郎の肩を、九龍は渾身の力で掴んで押し倒した。
「九龍っ!! 何しやがるっ!」
不意を突かれて押し倒されただけでなく、口から内臓が飛び出るんじゃないかと思えた程の勢いで腹の上に飛び乗られ、呻く羽目になった甲太郎は、少々の間悶絶してから、己に乗り上げたままの九龍に文句をぶつけたが。
「上手いとか下手とかいう以前に、甲ちゃんの歌声があんまりにも反則過ぎだから、ちょーーーーーっと、チューしたくなっちゃったんじゃんか」
「…………はあ……? 九ちゃん、お前、何言ってる?」
この上もない真顔で、九龍は、「歌の所為でキスがしたくなった」などと言い出し、ずいっと迫られた甲太郎は、怒り顔を呆れ顔に変えた。
「何って、俺は思ったことを言ってるだけだぞ、甲ちゃん。甲ちゃんの歌の所為で灯っちゃった、熱いパッションを思うままに!」
「……九ちゃん。お前は、どうしてそんなに馬鹿なんだ?」
「むう。甲ちゃんは、直ぐに馬鹿って言うっ! ホントのこと言っただけなのにーっ」
「何時も言ってるだろ。馬鹿を馬鹿と言うのは当然のことだと。お前が馬鹿だから、馬鹿と言ってるだけだ。────九ちゃん。そういう時は、もっと相応しいやり方があるだろうが」
そうして、心の底から呆れている風な顔付きのまま、甲太郎は、耳許でねだられた歌を歌ってやったあの時のように、九龍の頭を両手で掴み、手加減なく引き寄せて、くりんと丸くなった九龍の瞳を覗き込みながら、唇を重ねた。