この辺りには、人によっては流暢に、人によっては片言の、英語を話せる者が少なからずいる。

京一も龍麻も、レストランで何かを注文したり、行き当たりばったりに飛び込んだ宿で部屋を確保するくらいの英語なら、一応は何とかなる程度になったから、後を追い掛け声掛けた件の女性と、京一は、話せているようだった。

遠目から見ている龍麻にも、互い、辿々しいそれであるのは手に取れたが、意思疎通が出来ているらしいのに違いはなく。

恐らくは京一が、敢えて下らぬことでも言ったのだろう、その内に二人は、声立てて笑い合い始め。

そんな二人の姿を何処までも遠目に眺めて、龍麻は、重苦しい溜息を付いた。

────『お調子者の蓬莱寺京一』をよく知る者は意外に思うかも知れないが、彼はあれでいて、友人達が思っている以上に、他人に対する警戒心が強い。

けれども、ここは彼を知る誰もが納得するだろうが、人見知りは激しくないから、初めて訪れた街々で、そんな街々の角で、京一が、袖振り合った人々と屈託なく話したり、人々の中に溶け込んで行く姿を、これまでにも龍麻は幾度となく見てきた。

龍麻とて、人見知りが激しい訳ではないし、物怖じも人怖じも激しくないから、その時々に行き会っただけの、名も知らぬ、二度と会うことはないだろう人々との触れ合いは出来るが、京一程は長けておらず、故に、二人きりの旅に出てから今日こんにちまで、その手のことは、京一に任せられることの方が多かった。

それに。

京一は見て呉れが整っているから──龍麻とて、京一以上に見て呉れは良いけれど、相変わらず、彼には己の容姿に関する自覚は余りない──、話し掛け易そうだ、との雰囲気も相俟って、黙っていても声掛けてくる女性は多く。

今、京一と話し込んでいる件の女性がそうであるように、何処となく熱っぽい、何かを期待している風な眼差しで彼を見詰めながら言葉交わす女性も、話すだけでは満足せず、しなだれ掛かるような態まで見せる女性も、決して少なくはなかった。

……だから、やはり、今、そうであるように。

そんな女性達の姿を見る度。

明らかに何かを求めてきている女性達と話し込んでいる京一を見る度。

龍麻は、酷く心中を複雑にさせてきた。

…………京一のそんな姿に対して、龍麻は兎や角思わぬように努めている。

京一のオネーチャン好きは一種の癖のようなものだし、女性に何かを求めている風な素振りを取られても、ナンパめいたことをされても、求めていることをはっきり言葉にされても、京一は、言葉巧みに躱して事なきを得てしまうし、そんなようなことが起こる度、彼が、然りげ無く自分に気を遣ってくれているのに龍麻は気付いているから。

でも、何をどう堪えてみても、何をどう自分で自分に言い聞かせてみても、京一と楽しそうに笑い合う女性達に対しては、兎や角思うのを龍麻は止められなかった。

彼女達のように、己の性別が女だったら、己と京一との関係は、又、何かが違ったのだろうか、とか。

広州での一件からこっち、ずっと……ずっとずっと、以前通りに振る舞う努力をしているだけで、本当の自分は京一の前では何処か何かがギクシャクしていて、そんな軋みを齎すモノを思い切って京一にぶつけてしまいたいのに、結局出来ずにいて、なのに、そんな自分の目の前で彼女達は、何一つ憚ることなく京一と言葉を交わしてる……、とか。

京一のことを好きだと知ってしまった、愛していると知ってしまった己の前で、女であるというだけで、何の屈託もなく京一に何かを求めないで欲しい、とも。

…………そんな風に思ってしまう龍麻の『兎や角』は、とどのつまりは嫉妬だ。

そしてそれは、京一との関係に絡む鬱屈を龍麻自身の前に引き摺り出し、八つ当たりめいた想いを駆り立てる。

自分がそうであるように、京一とて自分の前では、以前通り振る舞おうと努めているだけで、実の処は何処か何かがギクシャクしていて、だと言うのに、女性達とは、京一は自然に笑い合ってみせる……、とか。

どうして、自分の前では、某かを取り繕ったような態度を見せるんだろう……、とか。

様々に。

……それが八つ当たりでしかないことくらい、龍麻にもよく判っている。

京一が悪い訳ではないし、自分が悪い訳でもないことぐらい、判ってはいるのだ。

自分達は、互い、同程度に『愚か』で、はっきり白黒付ける前に躰を繋げてしまう、との過ちを、それぞれの意思で犯してしまった。

流されてしまったような部分がなかったと言えば嘘になるけれど、広州でのあの夜、身を結び合う選択をしたのは互いの意思で、故に、自分達の今の関係が何処か歪なのは、京一だけの所為でもなければ自分だけの所為でもなく、強いて言うなら互いの所為だ。

…………そんなこと、判っている。龍麻にも十二分に判っている。

唯、一寸したことで京一と言葉を交わし、笑みをも交わす、行きずりの、名も知らぬ女性達に、女性であるというだけで、嫉妬した処で致し方ないことも。

それが、どれだけ馬鹿馬鹿しいことかというのも。

馬鹿馬鹿しい嫉妬に引き摺られ、京一に八つ当たりめいた想いを抱いてみても、何も生まないことだって。

……ちゃんと、龍麻とて判ってはいる。

そもそも自分達の関係は、恋人とか、想い人とか言う、甘ったるいモノだけに支配されている訳ではなく、甘ったるいモノの遥か手前に、そして遥か奥底に、互いが互いにとって唯一無二の親友であり、たった一人の相棒であり、血の繋がりよりも掛け替えのない戦友で、絶対の存在、という『不変』が横たわっている関係で、愛だの恋だの躰の繋がりだのと言ったことは、その延長線上にあると言っても過言ではないモノだ、と、龍麻自身、言い切ることが出来る。

……でも。それでも。

だけれども。

自分が京一を好きだから、京一を愛しているから、そしてそれを京一も知っているから、自分の「好きだ」の言葉に、京一は或る種の『付き合い』で、『好きだ』と返してくるのだ、と思い込んでしまっている龍麻は。

京一が己に向ける『好き』は、己が彼に向ける「好き」とは次元も意味も違うのだろう、と受け取ってしまっている彼は。

京一と行きずりの女性達とが見せ付けてくる姿に、どうしようもなく心掻き乱されてしまう。

誰にも告げず、己達以外の何にも頼らず、頼れず、確かな当てもない、何時終わるかも判らない旅──幾度となく流離さすらいを繰り返し、生涯を費やしても何一つも変えられないかも知れない流浪の旅、そんな道行きに足踏み出して、早くも過ぎた約七ヶ月の間、京一と身を繋げたのは、本当に数える程しかなかった、というのも災いして。

自棄を起こすつもりはないが、それでも自棄になりたい時は龍麻にもあり、爛れた思考だと自覚し苦笑しながらも、己が望む「好き」も、「愛してる」も京一には求められないなら、躰だけの繋がりでも構わない、と思い詰める瞬間とて彼にはあるのに。

親友で相棒で戦友で、唯一無二の絶対の存在の彼に、これ以上を望むのは我が儘で贅沢なのかも知れなくとも、自分と彼を結ぶ数多の関係の中に、恋人、という言葉を織り込むこと望めないなら、躰だけでもいいと、龍麻とて、ちらり……、とは考えるのに。

そんな彼の目の前を、時折、京一と女性達の、今のような景色が過り、その景色の中で、京一は、『あの夜』以来、己には見せてくれない──と龍麻は思い込んでいる──笑顔を女性達に見せるから…………────

「ひーちゃん?」

「え? ……あ、ああ、京一。どうだった? 何か教えて貰えた?」

────遠い目をして、焦点を合わせず京一と件の女性をぼんやり見詰めていた龍麻の傍らに、何時の間にか京一が戻って来ていた。

様子が変だ、と顔覗き込まれてやっと、己が醜い物思いに耽っていたことに気付いた龍麻は、無理矢理に笑顔を拵え、京一を見上げた。

「お前────。…………いや、何でもない。……えっとな、こっから少しばっか東の方に行った所に────

「ふうん、そんなのがね。……じゃ、そこに行ってみる?」

「ああ。そうしてみようぜ」

強引に浮かべたのが一目で判る、龍麻の不自然な笑みに、京一は一瞬、顔を顰めて何かを言い掛け、が、そのまま飲み込み、龍麻が浮かべたのによく似た作り笑いを見せつつ、飲み掛けだったチャイを一息に飲み干した龍麻へ、例の彼女から聞き出したばかりのネタを告げた。

そうして、二人はそのまま。

何事もなかったかのように振る舞いながら、古びた市場を離れ始める。

……歩きながら、ふ、と彼等が見上げた空の色は、今の彼等の内心の気分とは掛け離れた青だった。